創作「熾火」(Ep.4.0)
大学を卒業した後、二社目の勤務先として昌行がサプライシステムズ社に転職したのは、一九九六年四月のことであった。求人内容には「三十歳程度まで」とあったが、応募の時点で昌行は既に三十一歳になっていた。また、誕生月が三月なので、新年度に入社すると三十二歳になってしまう。それでも何とか採用され、拡張される予定だったサポート部門への配属を希望した。
一九九五年十一月、Windows95が発売されると、個人向けのパソコン市場は爆発的に拡大した。それに伴って、パソコンメーカー各社にとっては問い合わせ窓口の拡大が急務となっていった。各社は、パソコン本体の売上はもちろんのこと、サポート窓口における顧客満足度まで競い合うようになっていた。サプライシステムズは、その初めの頃の段階で、M社のサポート業務の主要部門を受託し、業務の規模を拡張してきたのだった。
これまでの約三年の間、M社の要望に応じて回線や要員、対応時間帯の増強に応えてきたサプライシステムズであったが、M社のサポート体制が一新され、業務の中心はM社の関連子会社が担うことになった。その結果、受託していたサポート部門は縮小・閉鎖することを余儀なくされたのだった。
「それならばせめて」
入社以来一貫してこのサポート部門の拡張に努めてきた昌行には、この業務への愛着は強かった。それゆえ、その幕引きも自らの手でと考えたのである。しかしそれは、一年後輩の須永陽子が担うことが既に決定していた。自分が担当するのでは情が絡むと判断されたのだろうか。それにしても、須永さんは損な役回りだなと思いながら、昌行は自席に戻っていった。その昌行を、須永は待っていたかのようだった。
「谷中さん、あの」
「ええ、聞いていますよ。あとで少し話しましょうか」
昌行は須永に対して、そっと目配せをした。入社の年次こそ、昌行の方が先であったとはいえ、実年齢では須永が年長であったこともあって、後輩扱いをすることなく、常に敬語で接していた。須永とは単に業務を引き継がせるだけではなく、サポート担当者たちの不安が極力抑えられるよう、よくよく打ち合わせをする必要があるなと昌行は考えていた。どうやら指示や命令以外にも、やることは多そうだ。そう考えながら、須永あてのメールを作成していたのだった。さて、この話をいつどこで須永としたらいいものか。考えがまとまる前に、その日もいつものように慌ただしく暮れていった。もう二人の社員の田岡慎一と小島玲子は、業務の終了をフロア全体に告げたあと、昨日までのように派遣のスタッフたちと和やかに談笑している。健気に業務に勤しんでいた二人を見ながら、昌行の心は疼いていた。部署の縮小と閉鎖については、まだ昌行と須永にしか知らされてはいなかったためである。昨日までと違う風景を見ていたのは、昌行と須永の二人だけだったのだ。
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