神様の向こう側(第5話)
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「じゃあ課長、お先に失礼します」
帰り支度を終えて立ち上がる若い部下に、和也は軽く手を上げて応えた。月曜の夜、事務フロアにはもう彼らしかいない。
「悪かったな、間違い探しに付き合わせて」
「全然大丈夫ですよ。早く見つかって良かったです」
「そう言ってもらえると助かるよ。気をつけて」
夕方になって資料の間違いに気付いた和也は、部下と一緒に残業して、その原因を探していたのだ。早く見つかったと言ってもらえたが、時計はもう8時を指そうとしている。
みちなり食堂、ラストオーダー9時だったよな。そう考えた瞬間、頭の中に女性の姿が浮かんだ。短期アルバイトだと紹介された、島原沙希の笑顔。
氷川の話によると、彼女はつい最近、実家があるこの街へ戻ってきたという。資格と経験がある薬剤師の仕事を探しているため、短期間のアルバイトは都合が良かったらしい。
「じゃあ彼女、実家暮らし?」
「少しの間は実家にいるけど、兄貴一家が同居してるから、長くは住めないんだってさ。仕事が見つかり次第、部屋を借りて引っ越さなきゃいけないみたいだな」
「なるほど」
みちなり食堂は火・水曜が定休日だから、今夜は彼女も働いているだろう。今から行けば会えるかな、と思ったところで、和也は自分自身の連想に驚いた。
俺、どうして彼女に会いたいと思ったんだ?
和也は軽く頭を振り、少し勢いをつけて立ち上がった。
きっと、彼女の目がとてもきれいだったから、少しだけ強く印象に残っただけだ。頭の中で自分に言い聞かせながら、机の上を軽く整頓する。みちなり食堂へ行くのは週末にして、今夜はコンビニ弁当でも買って帰ろう。
その夜、和也は久しぶりに京香の夢を見た。
ダイニングチェアに座って本を読んでいた彼が、懐かしい気配を感じて振り向くと、大きな花束を持った京香が立っている。赤、白、ピンク、オレンジ、黄色……様々な色と形をした小花が、京香の唇や顎を隠すように揺れていた。
「どうしたの、すごい花束だね」
和也の声に、京香は嬉しそうに微笑む。
次の瞬間、煙が広がるように花束が大きくなった。小花の霧が立ちこめて、和也と京香の間をカラフルに遮る。色彩の鮮やかさに耐えられず、和也は無意識に目を閉じてしまった。
「……ぶだから」
京香の声が、小さく響く。
再び目を開けると、彼女の姿はなかった。和也は夢の中のみならず、そこで実際に目を覚ましたのだ。いつものベッドに横たわっていると気付くまで、数秒間が必要だった。
「夢、か」
和也以外に誰もいない、暗い寝室。
「どうして、こんな夢を見たんだろう」
独りごちてみても、誰の答えもない。
夢に理由なんかないと、和也は昔からそう思っている。予知夢など見たことはないし、夢占いも当たらない。それなら、たったいま見た夢も、単なる脳味噌のひとり遊びなのだろう。
でも。
夢の中の京香が何を言ったのか、和也は気にせずにいられなかった。……ぶだから、語尾だけがかろうじて聞き取れた言葉。考えても見つからない、あるかないかさえ分からない答え。
「ただの、夢だ」
あえてそう声に出し、和也は再び目を閉じる。とても眠れそうになどないけれど。
