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神様の向こう側(第9話)

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「本当にありがとうございました」
 テーブルの向かい側で、沙希が嬉しそうに言う。バイクショップの隅にある、小さな休憩コーナーで。
「俺、結局何もしなかったよ。島原さんは、自分で気に入ったバイクを見つけたわけだから」
「そんなことないですよ。有沢さん、整備士さんにいろいろ訊いてくれたじゃないですか。私が気付かなかったことがいくつもあって、すごく心強かったです」
 沙希の弾むような笑顔が、愛機に出会えた喜びをそのまま語っている。きっと、乗りたくて乗りたくてたまらなかったのだろう。そう思うと、和也は息苦しいような気持ちになる。
「あの、氷川さんから聞いてるかもしれないですけど……私、以前結婚してて」
 和也の胸の内に気づいたかのように、沙希が身の上話を始める。
「義実家が結構、厳しい家だったんです。それで、結婚するときにバイクを止められちゃって」
 その話は、和也も氷川から聞いていた。事前に知らされてよかったと、口には出さず心だけで思う。
「離婚することになったのは、なんて言うか『私のせいだけど私が悪いわけじゃない』みたいな理由だったんです。だから、義実家が少し慰謝料を持たせてくれて。そのお金を使わせてもらって、バイクにリターンすることにしたんです」
「なるほどね」
 それ以外の言葉を、和也には見つけられなかった。詳しい理由が気にはなるけれど、突っ込んで訊けるはずもない。
「向こうの家のおかげでバイクに乗れれば、恨んだり憎んだりしないで、人生を穏やかにやり直せると思って」
「それに、バイクに乗ってるときは、嫌なことなんか考えないで済むし」
「ですよね。だから今、気に入ったバイクが見つかってすごく嬉しいんです。またスーフォアになるとは思ってなかったけど」
 人に歴史ありというけれど、このひとも大きな壁を乗り越えようとしているんだな。思わぬ身の上話に、和也は胸がつかえたような気持ちになる。俺にバイク選びの手伝いを求めてきたのは、その壁をどうしてもぶち壊したかったからか。
「おかしな話をしちゃって、ごめんなさい」
 沙希は照れたように小さく笑い、ミルクティの紙コップを口に運んだ。
「全然、おかしな話じゃないよ。みんな、その人その人の歴史があるんだから」
「そう言ってもらえると、気持ちが軽くなります。あの、これからも、バイクのこといろいろ相談していいですか?」
 このひとが紡ぎ直す人生に、俺は少しでも関われるのだろうか。和也はふと、そんなことを考えている自分に気付いた。何とかしてあげたいというより、何か手伝わせてほしいという、願いのような思いが心にある。
「もちろんいいよ、いつでも。俺、休みの日は基本ヒマだし」
「良かったあ、ありがとうございます! 私、みちなり食堂でのバイトがもうすぐ終わるんで、連絡先を交換させてもらってもいいですか?」
「あ、全然大丈夫」
 連絡先の交換など、今どき日常茶飯事だ。スマートフォンを取り出しながら、和也は顔が熱くなる気配を覚える。沙希が氷川の店のアルバイトを辞めても、これで彼女に連絡が取れるのか。
……何を想像しているんだ、俺は?
 自分の感情が混乱している意味を、和也は無意識に認め始めていた。ずいぶん昔、まだ拓が生まれるずっとずっと前に、同じような気持ちを抱いたことがある。

 恋心。
 とても若かったあの頃、和也が見ていたのは京香だった。そしていま、彼の目の前には沙希がいる。


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