神様の向こう側(第14話)
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「私、バツイチだって話したじゃないですか」
缶コーヒーを両手で弄びながら、沙希が少しだけ小さな声で話し始めた。
「気にしてなかったけど、言ってたね。自分が悪いわけじゃないけど自分のせい、って」
「そうなんです。子どもを産めなくて、私」
決して湿っぽくはないけれど、あっけらかんとしているわけでもない声で、沙希は話を続ける。
「義実家が厳しいって言うか、二言目には『世間の常識に外れるな』っていう家で。私がスーフォアを取り上げられたのも、女がバイクなんてあり得ないって、ただそれだけの理由だったんです」
「今時そんなこと? 島原さんの義実家だったら、俺とそんなに年齢違わないよな」
「有沢さんよりは年上だと思いますけど、かなり頭が固くて。元ダンナも、両親には逆らえない人でした」
沙希が一瞬、和也に小さな笑顔を向ける。そしてまた、手の中の缶コーヒーに視線を戻した。
「結婚して、1年ちょっと経った頃かな。いつまでも子どもができないなら、病院で調べて来いって義母に言われて。それで検査してみたら、私のほうに原因があったんです」
「だから、自分が悪いわけじゃないけど自分のせい、って」
「子どもを持てないなんて、世間の常識じゃあり得ない。今のうちに別れてくれるなら、慰謝料代わりにいくらか包むけれど、断るなら離婚訴訟を起こすって言われちゃいました」
世間の常識、か。ずいぶん頭が固い人たちだと思う反面、自分にも同じようなところがあると和也は気付く。
拓が結婚すると言ったとき、和也は子供ができたのかと息子に訊いた。そして、沙希に心惹かれているくせに、18歳の年の差を言い訳のように気にしている。彼女の元義実家ほどではないけれど、自由な発想を持っているとは言い難いだろう。
「でも、いまはこれで良かったかな」
話しにくいことを言い終えた沙希が、顔を上げた。
「新しいスーフォアに出会って、実際に走ってみて、何かが吹っ切れた気がします。バイクの背中にいると、いつもの風景が少し違って見えること、私はずっと忘れてました」
「そうだね、確かに違って見える」
「でしょ? 車もどこにでも行けるけど、バイクの解放感はやっぱり最高です。錯覚かもしれないけど、走っている間だけは、自分がどこにも縛られていないような気がして」
同じ二輪乗りとして、和也にはその意味がわかりすぎるほどよくわかる。彼もバイクに救われた1人なのだから。
Vストロームで走っていると、彼は何も思いださずに済んだ。京香を失った悲しみも、拓が独り立ちしていく寂しさも、会社に所属しているストレスも。気温も風も、空気のにおいも受け入れながら、一定のスピードに身を任せる。その時間だけは無になることができた。
バイクには「鉄馬」という表現がある。他人から見たら無機質な鉄の塊も、持ち主にとっては血の通った愛馬だ。二輪乗りなら誰にでも、その感覚が理解できるだろう。
「俺と一緒に走ろう」
そして、和也はほとんど無意識のうちに、その言葉を声にしていた。
「いろんな道を走ろう。いろんな景色を一緒に見に行こう」
俺たちは、バイクに乗る者しか知らない感覚を共有している。その事実が、年齢差へのわだかまりを一瞬で溶かしていた。
「いいですね」
沙希が再び和也を見て、大輪の向日葵のような笑顔を浮かべる。
「私も、有沢さんと一緒に走りたいです。まだ走ったことがない道も」
「じゃあ、手始めにもう少し走ろうか」
「もちろんです。今度は有沢さんが前を走ってもらえますか?」
「いいね。もう少し海沿いを行ってみようか」
いろんな道を走ろう。いろんな景色を一緒に見に行こう。いまの和也には、その約束ができただけで充分だ。
心地良い海風が、笑い合うふたりの間をやさしく吹き抜けていった。
