⭕️【火がつくる時間】②焚き火論――火は、人を待っている
🔴子どもの頃、焚き火は暮らしの中にありました。
遊びに飽きると、また火のそばへ戻る。仲間と囲んでも、一人で眺めても、焚き火は何も求めません。
振り返ってみると、焚き火は人を集めていたのではなく、「帰ってこられる場所」をつくっていたのだと思います。
シリーズ【火がつくる時間】第2話です。今回は、焚き火を通して「時間」と「居場所」について考えてみました。🔴
【火がつくる時間】②
焚き火論――火は、人を待っている
祖父は、老後になると大きな畑を耕していた。
家庭菜園というには広すぎる畑だった。今はもうなく、何軒もの戸建てやアパートになっている。
その畑の隅には、焚き火をする場所があった。
農作物の残渣や剪定した枝を燃やし、ときには古い板切れもくべる。
今から半世紀も前の時代である。
まだ空き地も多く、焚き火は特別なものではなく、暮らしの中にあった。
公害が問題になっていた時代だったが、無頓着な祖父は、塩化ビニールなども放り込むものだから、黒々とした煙が上がることもあって、
子どもの私は「毒ガスだ!」と叫びながら逃げ回ったものだ。
今なら笑って話せる、悠長な時代の記憶である。
祖父が焚き火を始めると、近所に住むいとこたちが自然と集まってきた。
焼き芋を作る。
棒で火をつつく。
燃え方を競うわけでもない。
ただ、火を眺める。
しばらくすると、誰かが銀玉鉄砲を始める。
缶蹴りに行く。
メンコが始まる。
みんな、それぞれ別の遊びへ散っていく。
けれど私は、遊びに飽きると、また焚き火へ戻っていた。
暗くなるまで炭を突き続けた。
ときには熱くなった空き缶に触れて大きな火傷をしたこともある。手のひらに水ぶくれができ、親に隠していたがすぐに見つかってしまった。
そんなことがあっても、焚き火好きは変わらない。
焚き火は遊びではなかった。
帰ってくる場所だった。
大学生の頃。免許を取った高校時代の仲間と休みのたびに車を乗りどこかに行っていた。ある時、渓谷の方へ遠出し焚き火をしようではないか、ということになった。
かなり車を走らせ、程よい場所を見つけた。
よしこのあたりでやろう、となったが、誰も火を熾せない。空き地のない東京で育った友人達は、日常的に焚き火を楽しんだ経験がなかった。
煙ばかりが上がり、火は育たない。
「もう諦めようぜ。」
めんどくさがりの友人がそう言った。
私は思わず、「任せてみな」と言って火を熾した。
子どもの頃から見てきた火だった。
火は、急がせれば応えてくれるものではない。
小さな枝で櫓を組み、空気を送り、大きな枝を加え、薪を組み替え、少し待つ。
すると、ようやく火は育ち始める。
私は友人たちの間では、どちらかといえば、いじられ役だったのだが、その時は大いに感心され、おい凄いな、と見直されたことを覚えている。
やがて時代は変わる。
空き地は姿を消し、祖父の畑も住宅地になった。
焚き火は「暮らし」ではなく、「迷惑」と呼ばれるようになった。
昔の名残りで父が庭で焚き火をすると、近隣に越してきたと思われる人が写真を撮りに来た。
おそらく苦情を申し立てるためだったのだろう。小学校の焼却炉が、ダイオキシンが発生するからと撤去され始めた頃だった。
父は不満そうだったが、焚き火をやめた。実際に区役所だか消防所だかから注意があったのかもしれない。
その後、私は、綱島へ引っ越してから、鶴見川の河川敷で何度か焚き火を楽しんだ。家の前で近所の人とバーベキューを楽しんだこともある。少し焚き火をしてみたが、やはり煙が気になった。
そして、消防署の緑化活動に携わるようになってから考えが変わった。
住宅が増えた街では、煙は人の暮らしに影響する。
地域のSNSでは、誰かが焚き火をするたびに、
「また燃やしてる。」
という書き込みが並ぶ。
火は昔と変わらない。
変わったのは、火を囲む社会のほうだった。
焚き火そのものは消えなかったが、
今度はキャンプという文化の中で、多くの人が再び火を囲むようになった。
焚き火台が並び、炎を眺める時間そのものを楽しむ人が増えた。
私も、その流れをどこか嬉しく眺めていた。
キャンプブームが来るずっと前から、私はソロキャンプをしていた。
スポーツマンズグリルという、重い鋳物のグリルが私の相棒だった。
家族連れの中で、一人焚き火を眺めている私は少し変わり者に見えたかもしれない。だが、それでよかった。
仲間と行くキャンプで囲む焚き火も楽しかった。
酒を飲みながら、遅くまで話す。
会話が途切れても構わない。
誰とも話さなくてもいい。
ただ火を見つめている。
ただ炎が揺れている。
薪が崩れ、炭が赤くなり、ときおり小さく爆ぜる。
その時間だけで十分だった。
焚き火は、人を呼ばない。
「集まれ」とも言わない。
「帰るな」とも言わない。
来たい人が来る。
離れたい人は離れる。
そして、また戻ってくる。
祖父の畑でも。
キャンプ場でも。
私は何度も、その風景を見てきた。
だから今は思う。
焚き火がつくっていたのは、炎ではない。
人が自由に近づき、自由に離れ、それでも同じ時間を分かち合える場所だった。
人は、その火のそばで、それぞれの時間を過ごし、また思い思いに去っていく。
焚き火は、人を縛らない。
だからこそ、人は何度でも帰ってくるのだ。
火は、ただそこで、人を待っている。
そして、人が帰ってきたとき、また静かに時間を育て始めるのである。
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