⭕️【火がつくる時間】①火鉢論――火を育てるということ
【火がつくる時間】①
火鉢論――火を育てるということ
子どもの頃、私は火遊びが大好きだった。
子供の頃は、駄菓子屋に行けば花火が買えた。祖父は庭でしょっちゅう焚き火をしていた。マッチが身近だったから、よく塵紙を燃やして遊んでいた。
家族からは、「いつか火事を起こすといけないから気をつけなさい」と何度も言われていた。
その注意の甲斐あってか、私はこの年齢まで火事を起こさずに生きてこれた。私ではなく、家内がボヤを起こしたことはあるが。
幸い大きな火事を起こすことはなかった。
むしろ、火事を防ぐ側に回ることが多かった。
後年、ボランティアで消防署の敷地を緑化することになったのも、不思議な縁だったのかもしれない。
火は、危ない。
私は、火が好きだった。
理由は分からない。
ただ、炎や炭火を眺めているだけで飽きなかった。
祖母の家には、大きな丸い陶器の火鉢があった。
冬になると炭が熾され、その部屋だけがゆっくりと温まる。
祖母の家を訪ねると、私はその火鉢の前に座り込み、火箸で炭を突いて遊んでいた。
灰を寄せたり、炭を返したり、ときには塵紙を燃やして叱られたり、餅を焼かせてもらったり。
祖母や叔母は、そんな私を見ながら笑っていた。
「あなたのお母さんも、小さい頃は同じことをしていたのよ。」
そんな話が始まる。
母が火鉢をいじっていたこと。
一酸化炭素中毒で倒れたこと。
飴を焼いていたらしい。
そのとき落とした火箸と煮えた飴で足に酷い火傷をしたこと。
たわいもない昔話が、次から次へと続いていく。
祖母の家には猫が何匹もいた。
火鉢の置かれた部屋は猫たちのお気に入りで、障子を自分で開けて入ってくる。
部屋に私たちがいると、一瞬だけ驚いた顔をする。
それでも、「今日は人がいるのか」という顔で、そのまま火鉢の近くへ丸くなる。
火のそばは、人だけではなく猫にとっても居心地のよい場所だった。
私は夢中で炭を育てていた。
祖母たちは昔話をしている。
猫は眠っている。
誰も何かをしようとしているわけではない。
誰かが会話を盛り上げようとしているわけでもない。
それでも、その部屋には穏やかな時間が流れていた。
今になって思う。
あの火鉢は、部屋を暖めていたのではない。
時間を暖めていたのである。
火は、人を急がせない。
炭は、放っておけばよいものではない。
灰を寄せ、炭を返し、ときどき空気を送りながら育てていく。
その所作に合わせるように、人の身体もゆっくりになる。
身体がゆっくりになると、時間もまたゆっくり流れ始める。
だから、昔話が始まる。
だから、猫は眠る。
だから、子どもは飽きもせず炭を眺め続ける。
火は、暖を与える道具ではない。
人の身体の速度を変える存在なのかもしれない。
祖母たちのゆったりとした話し声。
眠る猫の、静かに上下する呼吸。
ときおり炭の爆ぜる音。
火鉢の前では、時間の流れが少しだけ遅かったように思う。
人はまず、火を囲む。
同じ暖かさを感じる。
同じ時間を過ごす。
そのあとに、ようやく言葉が生まれる。
今年の冬、私は立派な黒柿の関東火鉢を手に入れた。
長年憧れていた火鉢である。
けれど、家では炭を熾すことを妻に禁止されている。
仕方なく、茶道用の電熱炉を灰の上に置いて使っている。
少し変わった使い方ではあるが、それでも火鉢の前に座る時間は心地よい。
いつか妻が留守にした日には、本物の炭を熾してみようと密かに企んでいる。
子どもの頃から、私はあまり変わっていない。
今もなお、火を育てているつもりでいる。
けれど本当は、いつも育てられていたのは、私の時間だったのかもしれない。
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