⭕️接触の内側 — 休職期間③、私は何を観測していたのか
第三章 観測と言語化
街を歩くことが、
単なる気分転換ではなくなってきたのは、
いつ頃からだっただろう。
最初は、
ただ「停止しないため」に歩いていた。
家にいると、
そのまま一日が終わってしまう。
歩数計の数字が400歩とかになってしまう。頭もぼーっとしてしまう。
だから外へ出る。
神社へ行く。
街道を歩く。
喫茶店に座る。
そんな繰り返しだった。
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だが、
歩きながら、
私は次第に、
「この街では、何が起きているのだろう」
と考えるようになっていた。
例えば、
向島の花街。
浅草の祭の後。
北千住の雑踏。
赤羽のせんべろ。
街には、
ただ人が存在しているだけではない。
人と人との距離感。
偶然の居合わせ。
半分だけ社会に接続された人達。
観光でも、
労働でも、
家庭でもない、
曖昧な中間空間。
そういうものが、
街の中には確かに存在していた。
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私はそれらの「接触帯」を
歩きながら、答えを探していった。
なぜ、
神社の境内では落ち着くのか。
なぜ、
喫茶店のざわめきは耐えられるのか。
なぜ、
会社へ戻る想像だけが苦しいのか。
その違いを、
自分の身体反応を通じて観測していた。
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その頃には、観測したことを基に
noteへ文章を書くことも増えていた。
街で感じた違和感。
祭の後の空気。
着物の集まりで感じる距離感。
都市の中で、
人が“完全には孤立せず、
しかし深くも繋がらない”
状態。
それらを少しずつ、
言葉へ変換していった。
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面白かったのは、
休職によって、
むしろ観測の感度が上がっていたことだった。
会社員として働いていた頃の私は、
常に成果や締切へ意識を向けていた。
納期。
品質。
レビュー。
次のタスク。
だが、
会社人格が停止したことで、
逆に、
街の中の微弱な接触が見えるようになっていった。
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そして私は、
次第に気づき始めていた。
自分が休職期間中にやっていたことは、
単なる散歩ではなく、
“都市の中で、
人がどのように接続し、
孤立を回避しているのか”
を観測することだったのではないか、と。
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