⭕️接触の内側 — 休職期間②、私は何を観測していたのか

第二章 街へ出始める


休職してしばらく経った頃、
私は少しずつ、
「なるべく外へ出よう」
と思うようになっていた。

もちろん、
最初から元気だったわけではない。

むしろ逆で、
家にいると、
そのまま一日中寝てしまうことが多かった。

昼を過ぎても起き上がれず、
ソファに座ったまま、
気づけばまた眠っている。

何もしないまま、
窓の外だけが夕方になっていく。

そういう日が続いていた。

だから、
「回復のために外へ出る」
というより、

「このまま完全に停止してしまわないために、外へ出る」

という感覚だった。



比較的早い段階から、
私は、学生時代に考えていたテーマを、
もう一度考え直し始めていた。

AIを使いながら、
断片的だった思考を整理し、
思想書や哲学書のような形へまとめ直していく。

最初は、
半ば自分のためのメモだった。

だが、
会社から切り離された状態で街を歩いていると、
以前は気づかなかったものが、
少しずつ見えてくる感覚があった。
まとめた記事はnoteに投稿した。



そして私は、
二、三日に一度くらいの頻度で、
神社仏閣を巡るようになっていた。

特別な信仰心があったわけではない。

ただ、
神社やお寺という場所には、
「何もしなくても存在していてよい空気」
があった。

境内のベンチに座る。

木を見上げる。

手水の音を聞く。

それだけで、
少し神経が静かになる。



気づけば、
御朱印帳の残り頁はどんどん埋まっていった。

休職前から使っていた一冊目は終わり、
二冊目に入っていた。

一度、写経にも挑戦してみた。
初めてだったせいか、湧いてくる雑念が気になって、次回はもっとしっかりやろうと反省した。



最初の頃は、
まだカメラも持ち出していなかった。

写真を撮るだけのエネルギーが、
まだ戻っていなかったのだと思う。

転機になったのは、
三月の終わり頃だった。

有松への旅行資金を作るため、
昔使っていたCONTAXのT-2を売りに行った。一度落としたことがあるせいで正常に動作せず、買いとり価格は残念だった。

もう一台のPENTAXの一眼レフカメラは値がつかないと言われ、持って帰った。
30年前、安物買いの銭失いにならないようにと、CanonやNikonの人気機種ではないけど、ちゃんと良い機種を選んだつもり。カメラに詳しい仲間からは、
おっ良いのを選んだな
と褒められたZ-1という機種だったのだが。

だがその流れで、
逆にまた、
フィルムカメラという存在を意識し始めることになった。

値段がつかないと言われたこのカメラを何十年ぶりに使ってみようと思った。



四月の初め、
私は愛知の有松へ一人旅に出た。

あの旅は、
かなり大きかった気がする。

絞りの町並み。

古い街道。

観光地というより、
「生活と歴史がまだ接続している場所」
という感覚。

会社を離れて宙吊りになっていた自分が、
街道という“移動の痕跡”に触れたことで、
少しだけ呼吸を取り戻していた。



そこから私は、
「街道を歩く」
という行為に惹かれていった。


八王子から日野へ続く旧甲州街道。
千住の旧日光街道。
品川の旧東海道。

いつもならパソコンに向かっていた時間に、着物を着て歩く。

ただ目的地へ向かうのではなく、
「人が通ってきた痕跡の上を歩く」。

その感覚が、
妙に今の自分に合っていた。

街道には、
完全な観光地とも、
完全な生活空間とも違う、
不思議な中間性がある。

私はその頃まだ、
「接触帯」という言葉をはっきり使っていたわけではない。

だが今思うと、
あの頃すでに私は、

“人と人、
時代と時代、
生活と移動が重なる場所”

を、
無意識に観測し始めていたのだと思う。

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