⭕️接触の内側 — 休職期間①、私は何を観測していたのか
第一章 停止していた頃
休職して最初の頃、
私は、本当に何もできなくなっていた。
昼を過ぎても起き上がれない。
目が覚めても身体が動かない。
ようやく起きて、ソファに座り、
気づけばまた眠っている。
そんな日が続いていた。
夜まで寝てしまうこともあった。
今振り返ると、
あれは「怠けていた」というより、
身体そのものが停止していたのだと思う。
脳が、
「これ以上は無理だ」
と強制停止をかけていたような感覚だった。
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当時は、
好きだったものへの興味もかなり薄れていた。
2020年頃から続けていたいくつかのボランティア活動も、
役職を降り、距離を置いた。
残りの人生、長く付き合っていくライフワークになるだろうなと目していた活動だった。
街の花壇や公共空間の緑化装飾に関わることは、
もともと好きだった。
植物そのものというより、
「街に弱く接続すること」
に惹かれていたのだと思う。
通りすがりの人が、
花を見て少し表情を緩める。
名前も知らない誰かと、
空間だけ共有する。
そういう関係性が好きだった。
だが、その頃の私は、
そうした“弱い接続”ですら維持できなくなっていた。
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一方で、
完全に人との接触を断っていたわけではなかった。
完全に一人でいると、
今度は世界との接続が切れていく感覚があった。
着物仲間と会ったり、
茶席に出たりすることもあった。
ただ、
以前のように「活動している自分」としてそこにいるのではなく、
どこか、
“社会から半歩外れた状態”のまま、
街や人との接触だけを静かに受け取っていた気がする。
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今思うと、
あの時期の私は、
会社を休んでいたというより、
「会社人格」が停止していたのだと思う。
納期。
レビュー。
メール。
成果。
そういうものに反応して動く身体が、
完全に沈黙していた。
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しかし一方で、
完全に“無”だったわけでもない。
布団の中で、
ぼんやりスマホを見ていた。
街の写真を見る。
昔歩いた場所を思い出す。
向島。
浅草。
祭の後。
喫茶店。
路地。
身体は停止していたが、
意識のどこかでは、
まだ街との接続だけは切れていなかったのかもしれない。
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