⭕️接触の内側 — 休職期間④、私は何を観測していたのか

第四章 「元に戻る」ではない復帰

休職期間の終わりが近づく頃、
私は少しずつ、
「そろそろ復帰を考えなければならない」
と思い始めていた。

だが正直に言えば、
会社へ戻るイメージは、
なかなか持てなかった。

街を歩くことはできる。

神社へ行くこともできる。

着物仲間と会うことも、
茶席へ出ることもできる。

しかし、
会社へ戻る想像だけが、
妙に重かった。



特に大きかったのは、
「以前と同じ形では、もう無理なのではないか」
という感覚だった。

そして私には、
もう一つ別の不安もあった。

私は58歳だった。

定年再雇用が視野に入る年齢での休職は、
「少し休めば戻れる」
だけの話ではない。

もし復職後に再び崩れれば、
その先にあるはずだった、
“定年後も社会と接続し続けるルート”
そのものが閉じてしまうのではないか。

そんな感覚がどこかにあった。

私は休職期間中、
街を歩きながら、
自分がどのような環境負荷で壊れたのかを、
かなり考え続けていた。

業務量。

求められる完成度。

レビューの緊張感。

特に、
調査レポート完成直前の工程は、
常に強いプレッシャーを伴っていた。

私は、
「仕事そのもの」が嫌だったというより、

“高密度の緊張状態が継続する構造”

に耐えられなくなっていたのだと思う。



最初、
私は、
上司も「現職での復帰は難しい」と考えているのではないか、
と思っていた。

そしてもしそうなら、
異動しかないのではないか、
とも考えていた。




だが実際には、
会社側は、
私が想像していたような
「異動前提」の対応を考えていたわけではなかった。

最初それを知った時、
私はかなり焦っていた。

私は、
「今の環境では無理なのだから、
異動するしかない」
と思い込んでいたからだ。



だが会社側の説明は、
少し違っていた。

異動以前に、
現職の業務を代替できる人員がいない。

だからまずは、
現職の中で、
どのように負荷を下げながら接続を維持できるか、
を考えたい。

そういう話だった。

それは私にとって、
少し意外だった。

私はずっと、
会社というものは、
「個人が環境へ適応する場所」
だと思っていたからだ。

だが実際には、
環境側もまた、
接続を維持するために変化し始めていた。



会社側から提示されたのは、
「以前と同じ条件で戻る」
という話ではなかった。

業務量の軽減。

派遣社員によるサポート。

そして、
最も負荷の大きかった、
レポート最終工程については、
上司自身が引き取る、
という提案だった。

それは、
単なる“頑張って戻れ”ではなく、

「環境側も構造を変える」

という話だった。



その時、
私は少し驚いていた。

会社というものは、
基本的には、
個人が環境へ適応する場所だと思っていたからだ。

だが実際には、
私が休職期間中に言語化してきた、

・どこで負荷が高まるのか
・何が再発因子だったのか
・どういう接続なら維持可能なのか

という観測が、
会社側の調整にも繋がっていった。



もちろん、
不安が消えたわけではない。

むしろ今でも、
「本当に戻れるのか」
という感覚は残っている。

だが少なくとも、
今回の復帰は、

“元の自分へ戻る”

という話ではなく、

“壊れない接続方法を再設計する”

話になり始めていた。

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