神宮球場に戻ってくるということ
神宮球場という場所には、不思議な力がある。
2011年、東日本大震災が起きた年。野球どころではない空気が日本全体を包む中で、所属していた東京国際大学硬式野球部は全日本大学野球選手権に出場した。
私自身、その大会で東京情報大学との2回戦に先発投手としてマウンドに立つことができた。
当時の神宮球場は、ただただ「特別な舞台」だった。テレビで見てきた場所。プロ野球選手やトップレベルの大学生が立つ場所。そこに自分が立っているという事実を、どこか現実味のないまま受け止めていたように思う。
結果として、龍谷大学、東京情報大学、日本体育大学に勝利し、準決勝まで駒を進めることができた。しかし、準決勝では慶應義塾大学に逆転負け。3勝はしたものの、その道のりは決して楽なものではなかった。1回戦、2回戦はいずれもタイブレーク。3回戦も1点差。全国大会で「勝つ」ということの重みと難しさを、選手として初めて突きつけられた経験だった。

それから時は流れ、2025年。今度は選手ではなく、指導者として神宮球場に戻ってくることができた。
正直に言えば、信じられない出来事だと思っている。
これまでリーグ戦で一度も優勝したことのない杏林大学硬式野球部が、たまたま就任1年目のタイミングでリーグ戦優勝、さらに関東大会(横浜市長杯)を無失点で制し、神宮大会への切符を掴んだ。結果だけを見れば、出来すぎていると思われても仕方がない。
ちなみに、2011年に東京国際大が初優勝を決めた相手は杏林大学で、その試合は早くに降板はしたが先発投手を務めた。
そして2025年、杏林大学が初優勝を決めた相手は東京国際大である。私の母校を倒して優勝を決めたのである。
色々な方々からは、なんか複雑じゃない?と声をかけられたが、私としては指導している選手たちが頑張った結果なので素直に嬉しいと思った。

そう、その結果は決して偶然ではない。選手たちは、派手さのないものの地道な練習の日常を淡々と積み重ねてきた。思うように勝てない時期も、評価されない時間も、自分たちの立ち位置を受け入れながら、目の前の練習に向き合い続けてきた。まさに今年のスローガンでもあったチャレンジャー精神こそが、この舞台につながったのだと思っている。
私が意識してきたことは、技術を教えること以上に「目標に対しどうプロセスを作っていくか」という点だった。その場の勝敗に一喜一憂するのではなく、勝負に対しての準備・姿勢・再現性といった、結果の手前にある部分をどれだけ徹底できるか。全国大会になればなるほど、その積み重ねの差が、終盤の一球に表れる。
学生として立った神宮球場と、指導者として立った神宮球場。
見える景色は同じはずなのに、感じる責任の重さはまったく違った。ベンチから見る選手の頼もしい背中、マウンドへ向かう自信のある足取り、その一つひとつに、これまでの過程が重なって見えた。
今回の神宮大会でも、9回2死まで勝利は目前だった。しかし、そこから同点に追いつかれ、延長タイブレークの末に敗戦。全国大会で勝ち切ることの難しさを、指導者として改めて思い知らされた。

それでも、この舞台に立てたのは、間違いなく選手たちのおかげだ。彼らが日々の練習を信じ、チームの方針を信じ、最後まで戦い抜いてくれたからこそ、指導者として再び神宮球場に立つことができた。感謝してもしきれない。
2011年、選手として味わった悔しさ。2025年、指導者として味わった悔しさ。その質は違えど、胸に残るものは同じだ。そしてその悔しさこそが、次へ進むための原動力になる。
神宮球場はゴールではない。今回見た景色を「一度きりの経験」にしないために、何が足りなかったのか、何を積み上げるべきかを、また選手たちと共有していきたい。
次にこの場所へ戻ってくる時は、接戦を勝ち切れるチームとして。指導者としても、チームとしても、もう一段階上の景色を見るために、またゼロから積み重ねていく。そんな目標を胸に、今日も指導を続けています。

