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【中編小説】金色の猫 第12話(全33話)#創作大賞2024

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読了目安時間:約5分(約2,600字)

「ねえ、トトロは? みたことある?」
 そう尋ねながら、琴乃はクリームチーズの生ハム巻きへピックを突き立る。「ない」俺は赤いピックを手に取った。よく見ると、先端に小さなハートがついている。指先でピックを転がして回転する赤いハートを見つめながら、「大きくなれるんすよ、ジブリみなくても」とだれともなしにつぶやいた。
「うん、知ってるよ。君はもうじゅうぶん大きい。少し大きすぎるくらいにな」
 ストロング缶を片手に持ったまま、もう一方の手を伸ばして俺の髪をわしわしと掻き撫でる。「やめろ、酔ってんのか」軽く手を払うと、琴乃がふわりと胸へ倒れ込んできた。俺の胸元を、甘い匂いのする液体が濡らす。
「ごめん!」琴乃は慌てて缶をテーブルに置き、濡れたバスタオルで俺の胸を拭った。よりいっそう湿っていくような気がしたが、俺は黙って彼女のつむじを見つめていた。
「酔ってないから」琴乃は俺の太腿に手をつき、上目遣いでこちらを見上げる。
 淡い褐色の瞳は溢れんばかりで、眦は赤く染まっていた。あまりにも彼女が酔っているので、こらえられず横を向いて笑った。
「なんで笑うの」
 ふてくされてそっぽを向き、赤いクッションを抱えた。そして真っ白な両脚を持ち上げると、俺の太腿へ乗せて寝ころがった。ふくらはぎのむっちりとした感触が布越しに伝わる。白いショートパンツの裾から水色のレースが覗いた気がして、思わず視線を逸らす。
「なあ、おい、寝るならベッド行けよ」
「まだ、ねない。明日もお休みだもん」
 掠れた声でそう言って、クッションを抱えたまま横を向く。パイル地のパーカーが捲れ上がり、なだらかな脇腹が露出する。「ああ、もう、お腹冷えるぞ」大きくため息をつき、パーカーの裾へ手を伸ばした。中指の先がそっと彼女の腰に触れる。指の腹に残るやわらかい女の肌の感触。
「なに、ちょっと、くすぐったいんだけど」
 琴乃が身体を起こし、俺の指先を摑む。クッションが床に落ち、乱れたパーカーの胸元から小ぶりの胸の影が見えた。パーカーの下に何も着けていないらしく、とろみのある生地にぷっくりと先端が浮いている。
 風俗嬢のちなつが姿を消してからずっと堪え続けてきた欲望が、はち切れんばかりに爆発しそうになっていた。下腹部に気配を感じて視線を落とすと、ひさしぶりの生身の女に喜喜とするもう一人の俺と目が合う。
 琴乃もまた、切れ長の大きな目でそれを見ていた。もぎたてのような瑞瑞しい瞳が、仄明かりに揺れている。ふいに彼女の華奢な手が俺の指先を掴み、それを大きく盛り上がった下腹部へ誘った。自分自身を触らせられるとは思いも寄らず、俺は目を見開いて彼女を見た。
「ねえ、これ」琴乃は俺の手の甲を撫で、婀娜っぽい笑みを浮かべる。
 今までにないほど熱を帯びているのが、厚手の布越しでもわかった。
 琴乃はたじろぐ俺に目を細め、指先へその肉厚な唇をつけた。やがて滑らかな舌先が俺の中指の腹を濡らし、あっという間にその熱く湿った口内へ吸い込まれた。彼女は舌先を器用に使い、二本の指を刺激する。嬉しそうに俺の指をしゃぶる彼女を見つめながら、真っ白な快楽へ溶けていった。
「ごめん、もう、むり」
 ソファへ琴乃の身体をゆっくりと押し倒し、その美しい生え際に口をつけると、彼女は不意を突かれたような顔をした。
「かわい……」
 長い睫毛、尖った鼻先、赤く上気した頬、と順番に口をつけた。
 堪え切れなくなった琴乃が、俺の首へ手を回してかたちのいい唇を尖らせる。そしらぬふりをして片眉を上げたら、「もう」と唇を奪われた。彼女の口内へ満ちたアルコールの匂いに、俺は生まれてはじめて酔いのようなものを感じた。淡い光に満たされた熱く蕩ける水の中で、俺は途方もない解放感を覚えていた。

✴︎

 真冬なのに暖房がいらなくなるくらい、俺たちは汗だくになって互いをむさぼり合った。
「獣みたいだったな」すべてを出し尽くし、呆然と天井を見上げる。
「そうかな、ここまで真剣に取り組むのは人間くらいじゃない」琴乃は笑った。
 縺れ合いながら俺たちはソファからベッドへ移動し、今は裸のまま布団に包まっている。琴乃は俺の身体のどの部位が枕に相応しいかくまなく確かめたあと、腕の付け根あたりにすっぽり収まっていた。
 大きくウェーブした張りのある髪を人差し指に絡め、天井へ溶けた淡い光を眺める。ふと記憶の隅から、白い歯を見せて笑う、大きな灰色の鼠が顔を出した。やがてそれがぬいぐるみに付いているタグに書かれた絵だと気がつく。
「なぜかぬいぐるみだけは持ってたな」
「ぬいぐるみ……? なんの話?」琴乃が声を上擦らせる。
「トトロ。いや……うん、たぶん、トトロの。でも俺が持っていたやつはトトロじゃなかった。トトロに出てくる……なんか」
「なんだろ、ネコバス……?」
 聞き覚えのない固有名詞に首を傾げる。「猫のかたちをしたバスなの。いや、バスのかたちをした猫?」彼女はそう付け加えた。
「いやちがうな、黒い……雲丹みたいなやつ」
 雲丹! と復唱しながら少し笑い、「まっくろくろすけだ」はしゃいで、彼女は俺の胸を軽く叩いた。
「そういうの?」
「うん、まっくろくろすけ」
 ほとんど家にいない父親だったが、俺が小学校低学年くらいまでは帰ってくるたびに必ず何かくれた。
 おそらくパチンコの景品であろう駄菓子の詰合せや、どこかの女に見繕ってもらったであろうサイズの合わない靴、一巻すら持っていないのに「おもしれえぞ」と渡された『ONE PIECE』の十三巻。その独り善がりな土産のうちのひとつが、知らないアニメ映画のタグがついた雲丹のようなぬいぐるみだった。
 その日の父親は特に酔っていて、全身から甘ったるい油と酸っぱいアルコールの匂いを漂わせていた。風呂から出たばかりの寝間着姿の俺に、鞄から出した雲丹を押し付けたかと思えば、流しへ猫みたいな量のゲロを吐いて誤魔化すように笑った。父親の土産を母親がよく思っていないのを知っていたので、だらしない笑顔の薄気味わるさごと、押入れに放り込んでしまった。
「そっか、まっくろくろすけっていうのか……」
 琴乃は幼い子どもの声を真似て、劇中のまっくろくろすけの歌を口遊む。そのあどけない声に、心臓に生えた黒い刺がしんなりやわらいでいく。俺は少し大きくなりすぎた身体をまるめ、その華奢な胸に額を寄せた。彼女は何も言わずに俺の頭を抱き寄せ、ゆっくりと後頭部を撫でてくれた。一定の拍子で揺れるあたたかな水底は、まろやかで甘く懐かしい香りがした。

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