忘れられない、新美南吉の詩3選
3月22日、貝殻忌。
30歳を目前にして病没した童話作家・新美南吉氏の命日である。
「てぶくろをかいに」「ごんぎつね」などで知られる南吉氏は、詩も残している。
“汽車は 月夜を 走つてた” で始まる詩「月夜の話」、 “彼ハ小さな星です”(原文ママ)で始まる詩「小さな星」などは、聞いたことがある方もいるのではないだろうか。
今回はその中から、私が特に忘れられない新美南吉氏の詩を3篇紹介する。

忘れられない3篇
落葉
私ガ烏臼ノ下ヲ
ユクト
金貨デモクレルヤウニ
黄イ葉ヲ二枚
落シテヨコス
サテ私ハ
コノ金貨デ
手套ヲ一揃買ツテ
懷シイ童󠄂話ノ狐ニ
持ツテツテアゲヨウ
“烏臼” はナンキンハゼという木のことで、秋は鮮やかに紅葉する。
ナンキンハゼといえば赤橙色のイメージがあったが、南吉氏は黄色な葉に心を動かされたようだ。
“童話ノ狐” “手套” という組み合わせは、きっと「てぶくろをかいに」の仔狐のことを指しているのだろう。
「てぶくろをかいに」は私の大好きな童話なので、この詩も読んですぐに覚えられるほど大好きになった。
秋の、もの寂しい空気を、明るく晴れた日にしてくれる一篇だと思う。
創世記
アナタハ空󠄁中ニ
花󠄁束ヲトラへ
アナタハ煙󠄁草カラ
蝶ヲトバシ
アナタハ潮︀ニ
洋燈ヲトモシ
アナタハ梢󠄁ニ
星ヲトマラセ
アナタハ魚ヲ
銀貨ニツクリ
アナタハ黑板ニ
家鴨ヲナカシメ
アナタハ雪󠄁原ニ
ピアノヲタタキ
アナタハ噓ヲ
七ツノ胡桃ニシ
アナタハ雲カラ
オミ足ヲタラシ
アナタハ法螺ヲフキ
手ヲ拍キ
散步シ
外套ヲヌギ
カゲラウトナリ
蜜蜂トナリ
光トナリ
影トナリ
消󠄁エル
アナタノ祕書ハ
白墨ヲ折リ
石版ヲカツイデ
山ヲ下リ
淚セキアヘズ
“アナタ” が誰を指すのかは分からない。
実在したのか、夢なのか、詩情なのか、分からない。
実は思い当たるモデルは浮かんでいる。
いかにも煙草から蝶を飛ばしそうな人物だ。
この詩は26歳頃の作品なので、その予想が当たっていることも十二分にあり得るが、モデルが人間でない可能性も視野に入れて、ここでは書かないことにする。
ただ、 “アナタ” の正体に関わらず、 “アナタノ秘書” はおそらく南吉氏その人だろう、と考えている。
私はこの詩の、 後半の加速感がとても好きだ。
前半のファンタジックな世界観が、夢から醒めるように現実味を帯び、急加速していく。
短命なカゲロウとなり、活発なミツバチとなり、光となり影となる。対称的なモチーフに目まぐるしく変化し、そして消える。
“消エル” から次の連が脳内で読まれるまで、だいぶ余韻があるように感じられる。
最終連を読むとき、世界がひとつ消えたような喪失感、非情な現実感におそわれるが、それでも読み返したくなる詩だ。
春風
お母さん あなたの俤は
春 乳󠄁母車にのつてやつて來る
わたしが戶口に凭れて
埃を追󠄁つてゆく春風を見てると
あなたは乳󠄁母車に乘つて
私の兄さんに押させて來る
お母さん あなたは
やさしい佛樣達󠄁の國から
來たのに
大きな明󠄁るい蓮の花󠄁の傍から
來たのに
何という貧しさでせう
あなたは窶れてゐる
あなたの着物は手織󠄂の木綿です
そしてこの乳󠄁母車は强い匂ひのする
籐車で
きゆろきゆろと小鳥のやうに
鳴くのです
お母さん あなたは何處へいくのですか
と私が訊くとあなたはかう答へる
――私はまたお醫者へいくんだよと
お母さん あなたはさういつてまた
まだ羽織󠄂の肩󠄁揚げのとれない兄さんに
押されて行く
幼い兄さん 桃の木の下を通󠄁るときには
一枝をお母さんが折りとれるやうに
その乳󠄁母車をとめて下さい
桃の蕾はまだ小さくつても
お母さん あなたの俤は
かうして春の眞晝ころ
私が戶口に凭れて通󠄁りを見てると
乳󠄁母車でやつて來てやがて行つてしまふ
――春風と來て春風といつてしまふ
題は「春風」だが、本文の前に
――母死にまして二十年
兄も亦幼にして逝󠄁けり
という、はしがきが添えられている。
南吉氏の母親は、彼が4歳の頃に世を去っている。そして実兄は生後3週間も生きられなかったそうだ。
面影だけが乳母車に乗って、顔も知らない兄に押されてやってくる。
“母死にまして二十年” 、ということは南吉氏が24歳頃の詩。
南吉氏は20歳を過ぎた頃から結核を患っていたため、 “死”を意識する日も多かったのだろう。
最初の “お母さん” という呼びかけと、「春」「乳母車」という言葉の柔らかな生命力に、ぎゅっと胸を締め付けられる。
“きゅろきゅろ” という擬音は南吉氏の詩に度々登場する。
乳母車だけでなく、鳥の鳴き声にも使われている。
しかし、ここまで優しく哀しい “きゅろきゅろ” は無いと思う。
また、最後の “行つてしまふ” が、どのような表情なのか、読むたびに想像してしまう。
行ってしまうのに慣れて、微笑みながら見送っているのか、ついて行きたくて唇を嚙みしめているのか。
読むたびに違う表情が見える詩である。
まとめ
新美南吉作品は、童話も詩も、素朴な美学の上で書かれていると思う。
綺麗な世界を書こうとしているという意味ではない。
俗世から目を背けたような書き方をしていなくとも、諸々の “大人の事情” を知らない子どものように、純朴で飾り気がない。
詩を読むたびに「ああこの人は本当にそう感じているんだ」と思う。
どれをとっても、心からの言葉だと思う。

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南の南吉、北の賢治。
宮沢賢治「そしてわたくしはまもなく死ぬだろう」を読む
互いに会ったことのない新美南吉氏、宮沢賢治氏。
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今度は宮沢賢治氏の詩を読んでみませんか。
実物を読んでの考察記事です。
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新美南吉氏はというと、北原白秋氏、鈴木三重吉氏らとともに、この本に携わっていました。
私は普段、近代の詩から感じたこと(詩の書き方や、詩に対する姿勢など)を書いています。
新美作品がお好きな方は、こちらのマガジンがおすすめです。
この他にも、近代詩マガジンがあります。
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