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宮沢賢治「そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう」を読む|自分を書くこと、とは

普段、このシリーズでは近代~昭和初期にかけて活動した文士の作品から、「詩のどこが良いのか」「どう書けば詩なのか」を探していく。

どの記事も一本で完結している。

今回は宮沢賢治氏の詩群『疾中』から、「そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう」を読む。

「永訣の朝」では妹のトシを見送る側だった彼が、自身の死期を悟った頃に書いた一作。

なので「永訣の朝」はじめ『春と修羅』の内容などとも比べながら書こうと思う。




はじめに、宮沢賢治とは

明治29年生まれの詩人、童話作家。
農業や法華経信仰に基づいた世界観で創作し、作中に方言を用いることも特徴。

今でこそ児童文学の作者や詩人として名高いものの、生前は児童誌『赤い鳥』に作品が載せられることはなかった(実は、無償での広告掲載はあったもよう)。

それどころか、没後まで大衆にはほとんど無名の存在だった。

生前の自費出版詩集『春と修羅』は、ほとんどゾッキ本(新品の本でありながら、古本同然の安値で扱われるもの)になってしまった。

しかし草野心平氏から同人誌『銅鑼』に誘われているほどで、当時の詩人たちの間では知られた存在であったことが窺える。

詩人の中原中也は密かに『春と修羅』に感銘を受け、夜店で買い占め、知人に配布している。


そしてわたくしはまもなく死ぬのだろう

そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう
わたくしといふのはいったい何だ
何べん考へなおし読みあさり
さうともきゝかうも教へられても
結局まだはっきりしてゐない
わたくしといふのは

宮沢賢治『疾中』より


観察者が分からなかった “自分”

『春と修羅』序詩に書いてある“わたくし”

実は宮沢氏は、こう書いている。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

宮沢賢治「春と修羅 序」

これを言い換えると、「宮沢賢治は他と交流する生き物のひとつ」で、「交流によって因果関係の中にいるもの」。
つまり宮沢氏の “自分” (わたくし)となる。

では「あらゆる透明な幽霊の複合体」とは何か。
それを考えると長くなるので、ここでは「何かしらに影響を受けて自分が作られている」ということだと思うことにする。
科学的にも、象徴的にも。

しかしそれは、ある意味万人に共通しており、宮沢氏のことであると断定できる特徴ではない。


「永訣の朝」などに見える “逆・青い鳥症候群”

「青い鳥症候群」とは、自分のおかれた環境に満足できず、転職や転居などを繰り返すこと。

『春と修羅』を読むと、宮沢氏がその逆であることを感じさせるようなフレーズが、沢山出てくる。

自分のおかれた環境が、自分にとって最も適している、もしくは自分にはもったいないくらいだと思っている。
なので、他人のために生きる。

そのような雰囲気を感じた。

わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
(中略)
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
(中略)
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

宮沢賢治「永訣の朝」

「自分のために、ありがとう」「もらっていこう」「皆のために祈る、願う」

誰かの所有物でなく、感情ももたないものから霙を “もらって” いくなど、謙虚すぎるほどの姿勢が表れている。

これは、おなじみ「雨ニモ負ケズ」の精神でもある。

これほど “宮沢賢治” らしく生きながら、なぜ自分のことが分からなくなってしまったのだろうか。


因果関係の中にいるということ

ここで、『春と修羅』の序詩に戻ってみる。

たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

宮沢賢治「春と修羅 序」

“ある程度まではみんなに共通いたします” という一文を考えると、その “ある程度” を抜いた部分が宮沢賢治その人だと考えられる。

しかし、 “すべてがわたくしの中のみんなであるやうに…” という一文から、これが仏教の「じゅうじゅうたいもう」の状態であることが窺える。

重々帝網とは、帝釈天の宮殿に網が巡らされていて、そこに沢山の宝珠がついているようす。

ただし、宝珠の一つは全ての宝珠を映し、全ての宝珠は一つの宝珠を映している。
それが、沢山あるどの宝珠でも当てはまっている状態である。

つまり “ある程度” が通用しなくなる部分とは、違う個体である事実くらいのものだと宮沢氏は考えていたのではないだろうか。

・自分は風景の一部を構成するものであり、その中でも人間という種類である。

・風景を構成するひとつひとつが、風景の一部を構成するという役割をもっている。

(上記は決してコイズミ構文ではない。
木々から見て「人間がいる風景に自分が生えている」
人間から見て「木々のある風景に自分が立っている」
という状況をつくるために、木々と人間が存在する……これで伝わるだろうか)

・何かしらの役に立つことで風景の一部となり、因果関係のある世界にいられる。

・農業をし、科学者で、詩を書き、童話も書き……そのような行為は、誰でもそうする可能性があり、特別自分だったからしたわけではない。

そのような人が病に臥したら、どうなるか。

誰かのおかげで回復できたら、また何かの役に立ち、因果関係を作ることができるだろう。

一方で今回の「そしてわたくしは…」では、もう回復の見込みが無いと悟ってしまっている。

ここで「永訣の朝」「雨ニモ負ケズ」を思い出してみる。

妹トシは死に際でも彼に役割を与え、因果の中に居続けた。

しかし彼は「欲は無く」を貫きたい人間なので、死んでお返しができなくなるような状態では、一方的に頼み事をすることを望まない。

結局、彼にとっての彼自身は、有機物なのだろう。


まとめ

多くの詩人が詩作によって「自分とは何か」を見つめることになる。

宮沢氏はむしろ、自分を周囲の風景や因果関係の中に「分散」させながら詩を書いていた。

彼にとって、自己を語ることは世界を語ることであり、世界の一部として自己が溶け込んだといえる。

献身の果てに、死を前にして「わたくし」を見失った宮沢氏。

その戸惑いさえも隠さず書き残した一節は、虚飾を剥ぎ取った詩人の、最も純粋な「心象スケッチ」である。


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《引用・参考》

『春と修羅』より「序」「永訣の朝」:『宮沢賢治全集1』ちくま文庫、筑摩書房、1986年

『疾中』より「そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう」:『宮沢賢治全集2』、ちくま文庫、筑摩書房、 1986年

「雨ニモマケズ」:『【新】校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇』、 筑摩書房、 1997年

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