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芥川龍之介の「長崎」は随筆か詩か - 詩人でありたかった作家 -

このシリーズでは近代~昭和初期にかけて活動した文士の作品から、「詩のどこが良いのか」「どう書けば詩なのか」を探していく。
どの記事も一本で完結している。

今回は番外編。
芥川龍之介氏の文章「長崎」。

11月は萩原朔太郎氏や室生犀星氏などの “田端詩人” も扱ってきたので、その二人とも親交があった人物にしようと思っていた。

芥川氏は、「柳川隆之介」というペンネームで執筆していたこともある。
由来は、北原白秋氏の出身地と本名から。

ここまで詩人に憧れておきながら、なぜ詩人として名を馳せなかったのか。
彼の作品は本当に詩と呼べないのだろうか。

この記事は「長崎」と数本の随筆から、彼にとっての詩を探る。



詩人でもあると思っていた小説家

まず「長崎」を読む前に、芥川氏が自身を詩人だと思っていたということに触れておく。

萩原朔太郎氏はそのことについて、よく語った。

「君と僕とは、文壇でいちばんよく似た二人の詩人だ。」と、芥川君は常に語つた。芥川君は、自ら「詩人」と稱して居たからである。

萩原朔太郎「芥川君との交際について」

我々の詩について――新しい詩壇の詩について――芥川君が聰明な理解と見解をもてることは、前述べた如く自分の常に敬服する所である。

(中略)

實に詩人といふためには、彼の作品は(その二三のものを除いて)あまりに客觀的、合理觀的、非情熱的、常識主義的でありすぎる。

(中略)

彼が實に書かうとしたものは、催眠劑としての文藝でなく、もつと生活實感に迫つてくる、眞の意味での「詩」であつたのだ。しかも彼の教養が、理智の透明さが、詩人としての彼の表現を妨げた。

萩原朔太郎「芥川龍之介の死」

萩原氏は芥川氏を「詩人ではない」と言い続けた。
しかし芥川氏の没後に、詩人の素質があったことを認めている。

現実から遠のくためのもの” ではない文芸を、芥川氏は書こうとしていた。

その書こうとしていたものこそ詩だったが、芥川氏は頭が良すぎて書けなかった。

というのが萩原氏の見解である。

自死を以て「睡眠剤としての文芸」と決別したことで、自身に詩人の要素があることを実証した、とも述べている。

ではいよいよ、彼の文章に秘められた “詩人” が見える、「長崎」を読んでいく。


文章「長崎」

菱形の凧。サント・モンタニの空に揚つた凧。うらうらと幾つも漂つた凧。

路ばたに商ふ夏蜜柑やバナナ。敷石の日ざしに火照るけはひ。町一ぱいに飛ぶ燕。

丸山の廓の見返り柳。

運河には石の眼鏡橋。橋には往来の麦稈帽子。――忽ち泳いで来る家鴨の一むれ。白白と日に照つた家鴨の一むれ。

南京寺の石段の蜥蜴。

中華民国の旗。煙を揚げるリスの船。『港をよろふ山の若葉に光さし……』顱頂の禿げそめた斎藤茂吉。ロティ。沈南蘋。永井荷風。

最後に『日本の聖母の寺』その内陣のおん母マリア。穂麦に交じつた矢車の花。光のない真昼の蝋燭の火。窓の外には遠いサント・モンタニ。

山の空にはやはり菱形の凧。北原白秋の歌つた凧。うらうらと幾つも漂つた凧。

芥川龍之介「長崎」

「長崎」の青空文庫におけるNDC分類は914で、随筆やエッセイにあたる。

しかし私はこれを読んだ時、詩だと思った。

萩原氏が言う通り客観的すぎる (見えたものの名前だけを連ねているだけだ) が、十分すぎるほどに詩だと思った。

「町一ぱいに飛ぶ燕」は七五調で心地が良く、眼鏡橋麦わら帽子蝋燭の火サントモンタニの組み合わせは韻を踏んでいる。

客観的ではあるが、それだけ言葉の奥にある感情を「想像する」余地が生まれている。

どのような表情で見ているのだろう、どのような気持ちなのだろう。

ただの観察では終わらないものが、この文章にはこもっているように感じる。


さて、芥川氏を詩人と認めなかった萩原氏は、自著の序文で詩についてこう述べている。

 私の詩の読者にのぞむ所は、詩の表面に表はれた概念や「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのものに感触してもらひたいことである。

萩原朔太郎「月に吠える」序文

確かに萩原氏の観点では、芥川氏の文章は詩という分類から外れてしまうかもしれない。

一見、無感情に見え、言葉の奥底にあるものを汲み取るのが難しいからだ。
言葉の奥底に、何も無い可能性が捨てきれないからだ。



芥川氏の「詩的精神」


一方で芥川氏は、こう述べている。

僕の詩的精神とは最も広い意味の抒情詩である。僕は勿論かう云ふ返事をした。すると谷崎氏は「さう云ふものならば何にでもあるぢやないか?」と言つた。僕はその時も述べた通り、何にでもあることは否定しない。

芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」


叙事詩とは、出来事を後世に語り継ぐための詩。
民族の教養は、口伝えの叙事詩が形作ることもある。

芥川氏は、何でも叙事詩になりうることを否定していない。

それは極端な話、エッセイや「マッチ一本、火事のもと」などのキャッチフレーズも叙事詩に括られるということだ。

詩をメインに創作する者もそうでないものも、詩的精神がある限り詩人となりうる。

ただ、それは芥川氏にとっての詩的精神に過ぎない。
他人は他人で、個人的に詩を定義しても良いと私は考えている。

実際に芥川氏は「わが散文詩」という作品群を書いたが、萩原朔太郎氏の散文詩と比べると、詩とは呼び難い。随筆らしさが強く感じられる。

しかし随筆らしくとも、芥川氏にとっては詩の定義に当てはまった文章であり、萩原氏や私が思い描く詩とは、少し違っていただけなのだと思う。

従って芥川氏は、詩人の肩書きも持つ人物と言える。


余談 : 文芸は “ヒステリイ” から始まる?

ヒステリーとは、感情的な葛藤が原因となって起こる神経症。

実際に病気ではないのに痛みが起きたり、逆に知覚が麻痺したり、発熱や精神症状を訴えたりするもの。

そして感情を統御できず、激しい興奮・怒り・悲しみなどをむき出しにした状態なども指す。

(前略)
僕はヒステリイの療法にその患者の思つてゐることを何でも彼でも書かせる――或は言はせると云ふことを聞き、少しも常談を交へずに文芸の誕生はヒステリイにも負つてゐるかも知れないと思ひ出した。

(中略)
しかし兎に角詩人たちはいづれもヒステリイを起してゐた。

芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」

感情の発露、そこから生まれる主張や想像、それが詩になり文芸になる。
実際にヒステリーであろうとなかろうと。

つまり彼の観点では、文芸より先に詩があると言える。
文芸が焼き上がった陶器だとすれば、詩は焼く前の粘土である、という風に。

そう考えると、小説家であるより前に詩人であるというのは、芥川氏からすると辻褄が合っている。


すべてを詩と呼ぶのは難しい

私も時々、「これは詩と呼びにくい」と思う作品に出会う。
もしかすると私の作品もどこかで、同じ事を言われているやも知れない。

しかしそのようなことが起きても、
起きうるからこそ、
詩人は「理解しようとはするけれど、理解できたとて同調はしない」ことで、各々が詩人でいられるのだと思う。



《今回の参考・引用》

・「長崎」


・萩原氏と芥川氏の交流


・芥川氏が文学について語る


・散文詩を読み比べる


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