佐藤春夫「うぐひす」から学ぶ - 句点の効果・内側から広がる詩 -
このシリーズでは近代~昭和初期にかけて活動した文士の作品から、「詩のどこが良いのか」「どう書けば詩なのか」を探していく。
どの記事も一本で完結している。
門徒三千人の文士・佐藤春夫
ふと佐藤春夫氏の命日が、私の誕生日と同じ5月6日であったと思い出した。
日も近いので、彼の詩「うぐひす」を取り上げようと思う。
佐藤春夫氏といえば、門徒三千人と噂される小説家。
彼の訳した魯迅の「故郷」を読んだ方も多いと思う。
あの谷崎潤一郎氏から彼の妻を譲られた、苦労性な雰囲気の人物である。
うぐひす
君を見ぬ日のうぐひす。
海近き宿のうぐひす。
波の音にまぢりなくよ。うぐひす。
ひねもす聞くよ。うぐひす。
うぐひす。うぐひす。うぐひす。
句点の効果
この詩はすべての文末が句点で締められている。
特に最後などは「うぐひす、うぐひす、うぐひす。」でも良かったはずだが、やはり句点で締められている。
ここが恐らく技で、この句点は鶯の鳴き声を連想させるものだと思われる。
鶯は「ホケキョッ!」と歯切れよく鳴く。
「ホケキョ〜」と間延びする声の個体は稀である。
「うぐひす」と書かれているタイミングで、実際には鶯が鳴いたのかもしれない。
「君を見ぬ日の(ホケキョッ)」という具合に。
内側から広がっていく詩
このシリーズの別記事でも「マトリョーシカのような詩」などと例えた詩があったような気もするが、見つけられなかったのでここでも書く。
まずは、何もない真っ白を想像してほしい。
「君を見ぬ」で人間(春夫氏)が現れ。
「海近き宿」で人間の外側に建物が現れ。
「波の音」で建物の外側に海が現れる。
これが私の言う、マトリョーシカのような詩である。
鶯の声が一日中聞こえる、という事象を表すにも、この順序がバラバラでは綺麗にまとまらない(海から人間へ、内側に狭まっていく表現の場合もあるが)。
別記事でも何度も書いているが、目線の移動や世界の構成は、スッと腑に落ちる詩を書く上でも重要である。
まとめ
反復はありきたりのため取り上げなかった技法だが、ここまで「うぐひす」を連発してもしつこさが薄いのは、やはり句点で一呼吸置くからだろう。
そして同じ言葉を繰り返しつつ、心の目線はズームアウトして、同じ場所を見ていないからだろう。
反復の良さを出すための心得として、覚えておこうと思う。

《参考及び引用》
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(2025年1月投稿・1290文字)
余談
学習の跡を見返すと、私は鳥にまつわる詩を選ぶことが多いと気がついた。
私の名前にも入っている生き物、鳥。
そろそろ私も鳥の詩を書くときかもしれない。
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