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第3話『君になら』

――理緒と蓮の出会いから1ヶ月後

砂塵に霞む遠景に、沈みかけの陽がゆっくりとその輪郭を曖昧にしていた。
警戒区域の最終見回りを終えた蓮は、傾きかけた太陽の色をちらと仰ぎながら、歩調を緩めた。無言のまま歩く女性の背を、黙って追いかける。

その背――椎名理緒という女性は、どんなに任務が過酷でも愚痴をこぼさず、どんなに傷ついても誰かに頼る姿を見せない。
蓮にとって彼女は、尊敬に値する人間そのものだった。
けれど今は――その背がほんの少しだけ、揺れて見える。疲労のせいか、それとも。

「中尉、あの……今日の見張り、代わりますよ。まだ時間、ありますし」
「……大丈夫。任務は分担で動いてる。あなたの担当は、もう終わってるでしょう」

昔なら、そこで会話は終わっていた。だが――今日の理緒は違う。
彼女は、少しだけ視線を蓮に向けて、微かに眉尻を下げた。

「でも……ありがと。気にしてくれたのは、わかったから」

それは、彼女がようやく他人に見せた、素の柔らかさだった。
蓮は言葉にできない何かが胸の奥でじんと熱くなるのを感じながら、彼女と並んで歩き出す。

夜。
任務拠点から少し離れた仮設の警備拠点にて。
風が弱まり、空には星が滲みはじめていた。

理緒は焚き火のそばで膝を抱え、何も言わず夜の静けさに耳を傾けていた。蓮はその向かいに座り、少し距離を取って彼女を見守っていた。

しばらくの沈黙のあと、理緒がぽつりと口を開いた。

「……君さ、最近よく話しかけてくるようになったよね」
「……すみません。迷惑だったら、控えます」
「ううん、そうじゃない。ただ……最初は、少し戸惑ってた」

その声には、あの日までの硬さがなかった。
誰も寄せ付けなかった壁が、ひとつ、ゆっくり崩れた音がした気がした。

「私のこと、何か調べてたようだけど」
「……はい。気になって。知りたいと思ったから」
「何も出てこなかったでしょう。孤児で、親戚にも頼れなくて、誰にも守られなかった子どもだった。それだけよ」

風が吹いた。火の粉が、淡く空に散った。

「だからか私、人前では寝られないの。誰かに背中を見せたら、あっという間に終わる。そういう場所で生きてきたから」

蓮はその言葉にすぐ答えず、静かに、彼女の目を見て言った。

「……それでも、自分は信じてます。椎名さんは、誰よりも強くて、優しい人です。守られなかったぶん、誰かを守ろうとしてる。だから……今度は、自分が椎名さんを守ります」

言い終えたあと、理緒は一瞬だけ、目を見開いた。
蓮は覚悟していた。拒絶されるかもしれない、また心を閉ざされるかもしれないと。
けれど彼女は――静かに瞼を閉じて、小さく、深く息を吐いた。

「……そっか。そう言ってくれる人、今までいなかった」

そして次に彼女がとった行動に、蓮は息を呑んだ。
焚き火の明かりが揺れるなか、理緒はすっと蓮の隣に移動して、彼の肩にそっと身を寄せた。

「……今だけ。少しだけ。力、抜いてもいい?」

その声は、小さく震えていた。でも、確かに甘えていた。
肩に感じる温もりが、蓮の鼓動を速める。
彼女の体温はほんの少し冷たくて、それでもとても近かった。

「はい。……どうぞ、安心して、休んでください」

しばらくすると、彼女の呼吸は穏やかに落ち着いていった。
かつては誰にも背を預けなかった椎名理緒が、今、自分の肩に眠っている。
それは蓮にとって、何よりも重く、何よりも誇らしい信頼の証だった。

焚き火がぱちぱちと音を立てる。
夜は深まり、二人だけの静かな時間が流れていた。


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