第8話『静けさの中で』
戦場の喧騒が過ぎ去ったあとの静けさは、どこか残酷だった。
それまで動き続けていた心と身体が止まったとき、初めて湧き上がってくる感情がある。
椎名は、静かにベッドに横たわる蓮を見つめていた。
治療を受けた彼は今、前線から離れた野営地の一角で眠っている。
顔色は悪くない。呼吸も穏やか。
それでも、椎名の胸は時折締めつけられるように痛んだ。
(どうして、こんなにも……)
これまでにも、部下が傷ついたことはあった。
でも、こんなにも心が乱れたのは初めてだった。
「……中尉」
微かに声がして、蓮のまぶたがわずかに開いた。
意識が戻ったことに、椎名はわずかに目を見開き、すぐにその表情を緩める。
「おはよう。まだ眠っていてもよかったのに」
「……もう、中尉の顔を見られたから十分です」
「ふざけてる余裕があるなら、安心ね」
椎名はいつもの調子を保ちながらも、どこかほっとしたように小さく笑った。
その笑顔に、蓮もかすかに口元を緩める。
「俺、夢を見てました」
「夢?」
「中尉が俺を置いて行こうとする夢です。ずっと遠くに行ってしまうような……」
椎名の胸が、きゅっと縮こまった。
その夢は、蓮自身の不安の表れなのだろうか。
「そんなこと、しないわよ。あなたは――」
口にしかけて、椎名は言葉を止めた。
何と言えばいいのか、自分でも分からなかった。
部下として、仲間として、背中を預けられる存在として。
それだけではない何かが、心の内に確かに芽生え始めている。
けれど、それを今、言葉にするのは早すぎる気がした。
だから椎名は、言葉の代わりに、そっと蓮の手を取った。
「……無理をしないで。まだ少し、休んでて」
蓮は少し驚いたように椎名を見つめたあと、小さくうなずいた。
「はい。中尉がそう言うなら」
そうして再び目を閉じた蓮の手を、椎名はそっと握り締めた。
(こんなふうに、無事でいてくれるだけで……)
彼の体温が確かにそこにあることに、心から安堵する自分がいた。
外は静かだった。
けれど椎名の胸の奥では、確かに、何かが動き出していた。
それはまだ恋という名では呼べない感情。
でもきっと、それに近い何か。
そう思いながら、彼女は夜が明けるまで、その手を離さなかった。
次回は蓮側の視点で、この話を書きます。
