第5話『決断の夜明け』
それは、作戦が開始されて二日目の夜のことだった。
「……完全に包囲されています」
蓮の報告に、椎名中尉は地図を睨みつけたまま小さく頷いた。
偵察任務中に敵部隊の動きを察知し、急ぎ撤退を開始したものの――
既に、敵は彼らの動きを読んでいたかのように、四方から圧力をかけてきていた。
味方の本隊とは分断された状態。
補給はなく、通信も途絶。
残されたのは、椎名率いる10名の小隊と、蓮の冷静な観察眼。
「迂回路は……東の峡谷しかありません。ただし、抜けるには崖下を強行突破する必要があります」
「……しかし崖下には警戒部隊がいる。全員を連れて進むのは、リスクが高い」
椎名は判断を迷っていたわけではない。
彼女は、部下を生かすための最善策を探していた。
それでも、猶予はなかった。敵の包囲はすぐそこまで迫っている。
「中尉、囮を出して、部隊を峡谷へ回しましょう。自分が行きます」
蓮が静かに言った。
「だめよ」
「でも、このままじゃ――」
「私が行く」
きっぱりとした声だった。
一瞬、蓮が言葉を失う。
「……中尉が行ったら、隊は?」
「副官のあなたが引っ張って。あなたならできると、私は信じてる」
椎名の瞳はまっすぐに蓮を見ていた。
信頼、覚悟、そして覚悟の裏にある恐怖までも、その目に宿っていた。
「……信じられるわけ、ないですよ」
「……」
「こんな時に、あなたがいなくなったら……誰が背中を守るんですか」
感情が漏れ出しそうになる蓮を、椎名はそっと見つめ、微笑むように言った。
「……私の背中は、信じて預けた人にしか守れないのよ」
沈黙の中、部下たちの視線も二人に向けられていた。
「……わかりました。じゃあ俺が崖下を掃除します。中尉は、全員を連れて突破してください」
椎名の表情が変わる。
「蓮……!」
「“副官の俺ならできる”って言ったの、あなたです」
わずかに椎名の唇が動いたあと、静かに頷いた。
「――いいわ。でも無理はしないで」
「中尉も」
――夜が明ける前、作戦は実行された。
蓮が先行し、崖下の敵部隊を陽動。
わずか5分後、椎名が残りの部隊を率いて峡谷へ突入する。
銃声、爆音、怒号が入り混じる中、蓮は一人、炎の中を駆けた。
一方、椎名は部下の命を背負って駆け抜ける。
敵の銃弾が足元を穿ち、爆風が頬をかすめるたびに、彼女の決意が試される。
――信じていいのか。あの副官の判断を。
いや、違う。彼を信じるということは、自分の判断を信じるということ。
そう思った瞬間、椎名は迷いなく叫んだ。
「突破するわよ、全員、私に続いて!!」
そして――戦いの末、部隊は無事に峡谷を抜け、敵の包囲を振り切った。
数時間後、薄明かりの空の下、背後から聞こえた声。
「中尉!」
振り返れば、泥と血にまみれた蓮の姿があった。
椎名は、ほんの一瞬、表情を崩して言った。
「遅いわよ、バカ」
蓮はにやりと笑った。
「信じてくれたから、生きて戻れました」
椎名はただ頷き、視線を空へ向けた。
戦場という地獄の中でも、確かに芽吹くものがある。
それは――信頼という名の、絆だった。
