第6話『火が消えたあとで』
夜が明けきっても、空は灰色だった。
煙の残り香が風に混じり、土と血の匂いが鼻をつく。
生き延びた小隊の面々は、負傷者の手当と野営の準備に追われていた。
テント代わりの布を張る手が震えているのは、寒さのせいだけではない。
その中心に、椎名理緒はいた。
傷の手当も後回しに、次々と兵士たちに声をかけていく。
「……水は十分にある? 包帯が足りないなら私のを」
「中尉、ご自分の手を……」
「いいの、あとで。あなたたちが無事だったことのほうが大事」
その声はいつもより少しだけ掠れていた。
それでも、兵士たちはその背に支えられているように、静かに頷いた。
――そんな様子を、蓮は少し離れた岩陰から見ていた。
彼もまた、傷だらけだった。
膝に手をついて息を整えながら、椎名の後ろ姿を目に焼きつける。
「……あの人は、いつもそうだな」
一人で、背負って、前を歩いて。
自分たちのために、あの崖を越えて、あの命のやり取りの中に飛び込んで。
それでも、誰よりも早く立ち上がり、誰よりも多くの命を見つめていた。
蓮はゆっくり立ち上がり、彼女のもとへと歩いていく。
「中尉、交代してください」
椎名が振り返る。
ほんのわずかに驚いたような顔をして、それから――ふっと、表情を和らげた。
「ありがとう。でも、もう少しだけ」
「少しもだめです。中尉が倒れたら、自分たち全滅ですよ」
そう言って、椎名の手から布と水筒を奪う。
「……言うようになったね、蓮」
「そりゃあ、一ヶ月もあなたの下で生き延びたんです。自分だって多少は」
椎名は笑った。
蓮の前で、戦場で笑うなんて、思えばこれが初めてかもしれない。
「……あの時、私を信じてくれてありがとう」
「信じてたから、助けたんじゃありませんよ」
「……?」
「俺が、あなたを死なせたくなかったんです。信頼とか、任務とか……そういうのより、もっと前のことです」
焚き火の傍に腰を下ろしながら、蓮は言った。
それ以上、椎名は何も言わなかった。言えなかった。
代わりに、静かにその場に座る。
焚き火の炎が、二人の影を揺らす。
戦場にありながら、今この瞬間だけは、まるで時間が止まったように静かだった。
そして、椎名がふと、ぽつりと呟いた。
「……明日も、生きていられるかはわからないけど」
「はい」
「それでも、私は……明日も、あなたとこの部隊を守りたいと思うの」
蓮は焚き火を見つめたまま、静かに頷いた。
「じゃあ俺は、明日もあなたの隣にいます」
それが、戦場で生きる者たちにとっての、最大限の約束だった。
夜が更けるにつれ、炎は小さくなっていった。
それでもその光は、二人の胸に確かに灯っていた。
