【創作小説】奈落の観測者⑧ ― 沈黙を破る波紋 ―
アメリウス連合の広報官が、静かな照明に照らされた会見場でカメラの前へ立つ。
整えられた微笑み。その裏側に沈殿する「焦燥」と「責任転嫁」の濁りを、モニター越しのモラドは黒い煤のように視ていた。
「『アイギス号』における混乱は最小限であり、我々は人道的支援を継続している」
だが、その声明が世界へ流れた直後――ネットの深淵で火の手が上がる。
レオンが放った“名簿から消された10名”という断片的な情報は、行き場を失っていた大衆の疑念へ油を注いだのだ。
「くそっ……どこから情報を嗅ぎ付けてくるんだ……!」
列強の閣僚たちは、発信源不明のリークに苛立ちを露わにする。
一度でも「嘘」の綻びを見つけた群衆は、飢えた獣のように残りの真実を求め始める。
アイギス号を取り囲む軍艦の異様な数と、「安全」を繰り返す公式声明。そのあまりにも不自然な乖離を、もはや誰も見過ごせなくなっていた。
そして事態鎮静のためか、あるいは“口封じ”の準備が整ったのか。
突如として、二名の富裕層がメディアへ姿を現した。
「私はすでに帰宅し、静養している。船内は平穏だった。何も問題はない。騒ぎ立てることこそが、この問題を大きくしている原因だ」
豪奢なリビング。穏やかな笑み。
だが、その映像を見つめるレオンの表情は険しかった。
「二名は“無事”を主張した。だが、残りの行方は依然として闇の中だ……」
モラドの隠れ家。薄暗い室内で、レオンは古びた記録書に刻まれた名簿を指先でなぞる。
「俺が掴めているのは七人までだ。残りの三名だけが、どうしても追えない」
魔法による追跡。潜入。裏市場の情報網。
ありとあらゆる手段を用いてなお、その三名だけは痕跡が存在しなかった。
まるで最初から、この世界に存在していなかったかのように。
「不用意に動けば、証拠ごと俺たちも揉み消される。列強はもう、“三名を存在しなかったことにする”最終段階へ入っているはずだ……さて、どうしたものかな」
モラドは静かにモノクルの位置を直した。
彼の視界では、各国の思惑が濁流となって複雑に絡み合い、巨大な圧力となって“上”へ噴き上がっている。
「……動きは上方だな」
その呟きは、まるで不吉な予言だった。
列強が隠蔽と責任転嫁の泥沼に沈む一方で、周辺の小国たちは固唾を呑んで情勢を見守っている。
彼らは理解していた。
この波紋が限界を超えて拡散した瞬間、それは国境すら呑み込む“パンデミック”という暴力へ変貌することを。
一方――封鎖されたアイギス号。
その一室では、ハムナが激しい熱に浮かされ、意識を失っていた。
彼女は倒れていた婦人を助け、医務室へ運んだ。
ただそれだけの、善意による行動。
だが、その代償はあまりにも大きかった。
別室では、リゼが震える手を組み、祈ることしかできずにいる。
そして隣接区画。
防護服を纏った医師が、ハムナから採取した血液を無機質な検査装置へ流し込んでいた。
「……適合率は高い」
モニターを見つめる医師の声が低く沈む。
「彼女も“被験者”として価値があるかもしれないな。おい、身元を洗え」
冷酷な呟きは、隔離室の静寂へ溶けていく。
レオンが追う“消えた三名”。
その正体は――国家がウイルスの軍事転用を目的に秘匿した、“生きたサンプル”たちの末路だった。
