19歳だった頃の私が描く、社会人像
19歳の頃の私が描いた、未来の理想像に心を打たれた27歳の私が、今ここにおります。

× 運きまわりたい
○ 動きまわりたい
こういう、今後どんなことしたい!だとか、どんな自分になりたい!だとか、そういう妄想をするのが10代の頃から好きなのです。
そして「妄想なんだから、出来る出来ないではなく、本音を描こう」と決めて描く。なので突拍子もないことがたくさん描かれている。
27歳になった今でも、こういう妄想を1枚の紙に書き出すことは頻繁にあるが、こんなにも何も考えずに書くことができなくなっている自分に気づく。
27年間生きてきて得た知識的なものが邪魔をして、発想力も低下している、みたいな。『卒業して4月→3月(1年間)で全県住める?』とか、そんな考えなんて浮かびもしなくなったわ。どういうこっちゃ
それでもこんな、世の中を知らないワクワクしている学生時代の私を、とてつもなく愛おしく思うのです。羨ましい。

ちなみに19歳の冬なので、高専生だった私にとっては就活そろそろ始めようかぐらいのタイミング。ビッグイベント=就活って意味なはず。
就活始めるタイミングから、でかでかと『フリーターなりたい!』とか言ってる私。大人目線で見ると、なめんなよ、とか思っちゃう私がいるくせに、今なんて堂々とフリーターやってるし、別にそれで不自由はしてないし、安定した生活もできていて、結局やってみないと人生わかんないよなともすごく思えるのです。
実際に正社員としての生活を経て、フリーターになってた私は、今どう生きたいか考えても結局正社員は無理だ……と思うし、フリーターのままがいいなと思っちゃう。
「スーツ着て働くのはいつでもできる、若いうちにやることやりたい」とも思ってるし「人とちがうことしたい」「いろんなテーマパークで働きたい」「リュックひとつで1年家無し生活」「本を出版」あぁ、もうどれも、何もかも、ここに描いている願望は、今の私も同感です。何ひとつ変わっていない。人は変わらないんだよ。たぶん
社会に出てからの『慣れ』って怖くて、というか中毒性というか依存性があって、それをすごく痛感します。学校を卒業して、実家から出て、地元から出て、守ってくれるものがない状況は、安心できない。だからこそ安心できる場所にしがみつきたくなる日々。
新入社員として入社とき「とにかく嫌でもこの会社に通い続けるだけで、東京に一人暮らしで遊べるぐらいのお金がもらえるんだ」という安心感があった。そして半年通って合わなかった仕事、軽度の鬱。それでも”普通”と言われる正社員を半年で辞める、ってとてつもなく怖い。
メンタルが追いつかなくて半年で退職して、喜べるはずなのに「あぁニートだ、世の中みんな働いてんのに、私仕事辞めて当てもなくベッドで寝てるよ、こんな朝に」というあの恐怖。
日雇いバイトでつないだあの数ヶ月は、安心感も安定感の欠片もなく怖かった。怖かったけど、そこに行ったら行ったで「芸人やってるんだけど1本じゃ無理だから日雇いしてるんよ〜〜」とか「日本語の勉強のためにここでバイトしてます」とか、結構みんな普通に生きていた。
そこから今の職場にたどり着いて、バイトだけど社会保険に入れて有給もちゃんと取れて、丸6年。9割フリーターの人たちで、あぁ居場所ってあるんだなぁ、こっちに来たらこれが普通なのか。安心しきって6年も経ってしまった。
私はもっとやりたいことがたくさんあったはずなのに、安心感に埋もれていた。それがだめなわけではないし、毎日幸せだし楽しいし、ずっとこのままでいいとも思ってしまう。けど、やっぱり何かを求めてしまう。
この6年間、いつ転職しても、いつどんな状況になっても良かったはずなのに、何も変わらなかった私。不安定から安定を手に入れると、すがってしまった、幸せだった。
正社員をやめたとき、保険証を回収されて、ペラッペラの国民保険証を手に入れたときの底辺感。すごいのよ、1枚の紙に点線があって、その点線をちぎった紙が、国民保険証なんだよ。ただの紙だから、透明のフィルムに入れて。あの点線をちぎって保険証を手にしたあの日の情けない自分、そして年末調整・確定申告を自分で区役所でするの。
あのぐらぐらな日々から、硬い保険証を再び手に入れて、会社が確定申告をやってくれる安定感。捨てられないよね。一度体験したからわかる、会社って楽だ。
今の私を、当時の私が見てどう思うのだろう。たしかに興味のあった、やりたい仕事を安定して続けられていて、喜ぶと思う。それでもやっぱり「1年間で全県住める?」という考えが湧き出ていた時代の私のほうが、よっぽどかかっこいいと、思ってしまうな〜〜〜
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