人間関係、遠距離になってからが面白かったり。
「絶対に会いに行くね」
「ご飯行こうね」
「また遊ぼうね」
さて、これを言われてどう感じるか。性格ごとの面白い違い。私の場合、言われた直後の脳内、その言葉の重さを考える。

今月末に今の職場を退職するので、ここ最近、職場で出会う人達とこういう話になることが多い、というかほぼそんな会話。
人間関係って、遠距離になってからが本番というか、どれぐらい強いものだったのかわかっていく。
ただ職場が一緒で気があったから仲が良かったのか、遠距離になろうとも・共通の話のネタがなくなったとしても会い続けるぐらい深いものなのか。
別に会わなくなったらなったでそれでいい、アニメのシーズン1から2にいくみたいな、自分の人生のここからここまでお世話になった人なんだな、楽しかったな、で終わり。
それでも稀に、シーズン1から2にいったとしてもまだ一緒にいてくる人がいて、とても嬉しいことだし大切にしたいと思う。
10年、20年を超えた、友達
小学生の頃の友達は20年、高専時代に知り合った友達ですら、ついに”知り合って10年”の枠を超えてきた。
何かの本で「友達かどうかは10年経ってみてやっとわかる。」的ニュアンスの言葉を見て、たしかにな〜〜と思った。

10年経って、学校を卒業してもなお、未だに会える友達は年に1度だとしても、きっと今後もなんだかんだ会い続けるんだろうなぁ。
やっぱり10年レベルを超えてくると、気を使わないというか、まあ何を言っても嫌われないだろうの自信もあってか、すごく心地が良い。
来月になると関東から引っ越すので、最後に関東にいる友達みんなに会おう計画を個人的に実行中で、
学生時代の友達に関しては「まあ別に今後も会うでしょ、だから会えたらでいいや」と、予定を入れるのを後回しにしていて、なんなら会わずに去りそうな人もいるけれど、今後も会うだろうしさみしくない。大切だな〜〜と思う。
相手の熱量と、私の熱量
私は感情の面で嘘がつけないので、例えば可愛いと思えないのに「かわいい〜!」とか、かっこよくないのに「かっこいい!」とか、行きたくないのに「行きたい!」とか、そういう言葉を嘘だと思っていながら声に出せない。
退職するにあたって、関東から出るにあたって、「さみしくなりますね」「え〜〜嫌だ!」と言ってくれる人がたくさんいるけれど、内心(いや、今までそんなに喋ったことないやん)と思ってしまうぐらいには歪んでいる。
その言葉が来るたび、シンプルに「そうですね、さみしいです」といえばいいものを、嘘がつけない私は「ふふっ」と笑顔で誤魔化す。
好きな人たちを大切にしたいため、本音しか話したくない。

今後も関わっていきたい職場の人も何人か居て、それでもやっぱり共通の話題がなくなってからが肝。
今は会いたいと思っていても、新しい環境に行くとそうでもないかもしれないし、さみしいかもしれないし、離れてみないとわからない。
これから数ヶ月の間で、私の人間関係がどんどん変わっていくと思うとすごく楽しみ。悪い意味はまったくない、会わなくなったらなったでいい。今は寂しいけれど、行ってみないことにはわからない。
これだけ寂しいと言っておいて、退職した人たちの名前なんてすぐ忘れていくんですよ(私の場合)。
大好きだった先輩が退職する日、こんなに泣いたことないってぐらい大号泣したけれど、結局3年ぐらい経っても1度も会ってないし、案外そんなもんだったりする。
それでもその先輩との思い出は楽しかった、で脳内に残っているのでさみしくはない。
逆も然り。今後、退職しても会う人達は、相当深い関係になれると思うから、遠距離になってみてもなお、誰と仲良くできるかな〜〜今後の人生を一緒に楽しんでくれる人たちがもしかしたら出来るかも(重い)という楽しみもある。
どれだけ「今後も会おうね!」と本音で言ってるとしても、頭の中では(今日が最後かもしれないよね)と思いながら、みんなと話す。良い意味でね。
遠距離になってからも、仲良くしたいと思った人は絶対に繋ぎ止めるから、冷めてるようで、私はとても重いです。とても。
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