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コロナ禍を言い訳に停滞する生活に、そろそろ終止符を打ちたい。

「自分の実感している年齢は何歳か」議論。ここ数年、人とよく話す話題。

私は現在27歳ですが、中身は23歳で止まったままです(自称)。昨日も仕事中に話題になった(働け)のですが、私と同じく、みんな実年齢より3〜5歳下を言っていた。

その数年って、どの時代でもそう感じるのか、コロナ禍で停滞していた数年を味わった私達だからこそ数年間の時が止まっているのか。


🎭


私verの”コロナ禍”といえば、社会人2年生になる手前の頃。

フリーターとして、本業の仕事と居酒屋を掛け持ちし始めて「今から新たな生活だ!」のあたりで大波がやってきた。どちらも営業停止になり、3ヶ月ほど家でひとり過ごす日々。

その大波が去ってから、世間は徐々に”マスクとともに、なら”外出OKな風潮がやってくる。

おもろい。

ここ最近出会う年下の子達、もろ学生時代にコロナ禍を生きてきた年代。

「留学行こうと思ってたけど、コロナで行けなかったんですよね〜〜」勢の話を、ここ数ヶ月の間で何人から聞いたことか。そして行けずして、社会人。なんて苦しい話。

といっても、留学に行けなかった後輩たちのことを今更他人の私が考えても、な〜〜んにも意味がないので、一旦放置するとして、自分について考える。

コロナ禍を経て、安定とミニマル化が進む。

社会人になりたてかつ、上京したてだった頃にやってきたコロナ禍。自宅勤務生活。今の”私”はこの自宅勤務中に形成された”私”といっても過言ではない。

この自宅勤務中の3ヶ月間「仕事もせずに家でダラダラだけはだめな気がする」と本気でワードプレスのブログを始めたり、部屋の断捨離を徹底的に始めたり、お金の使い方も前より荒くなくなったし、生活を小さく、小さく。

炊飯器でケーキ作ったり、
ダルゴナコーヒー作ったり、

正直コロナ禍で自分と向き合った日々がなければ、今も私は全力で東京を楽しみながら毎日遊び呆けていた気がする。

後付けに過ぎないけれど、私の人生の中であの3ヶ月は結構大きな存在で、なくてはならなかった日々だなぁと思う。まあなんでもかんでも、やったことに対して「意味のある行動だったな〜」と思いたい性格なので、ポジティブに捉えているだけかもしれないが。

あの数年間で出来なかったことたち

ソーシャルディスタンスなパレード前
(快適だった……)

とはいえ、やりたかったことは全くもってできなかったのも確か。旅行大好きだった私から奪われた旅行。コロナ禍を経て、自宅での楽しみ方を知ってしまったのもある故、今となっては外出が減った。

実家にも2年ぐらい帰れなかったし(これがいちばんしんどかった)、東京にきたらやろうとしていたことは全部後回し、ディズニーの年パスも返金だったし、当時想像していた未来は全くもって別のものとなった。

働いていた居酒屋も潰れて、この先が不安で思いやられる。今まで楽な生活だったなぁというか、何でもできる状況だったのに、何でなにも行動してなかったんだろう、というか。

自分の行動範囲や理想がわからなくなった

徐々にマスク無しの生活が復活してきて、もう数年が経つ。果たして今の自分が、年を重ねて落ち着いた自分なのか、コロナ禍を経て考え方が変わった自分なのか、どっちなのかわからない。まあどっちもか。

自分の仕事がなくなった数ヶ月間の不安で、より安定を好むようになっていたここ数年。変に動き回るより、平凡に楽しい今を過ごしていたほうが楽なのです。怖くない。

とはいえもう、コロナ禍を理由に行動範囲を狭めるのは言い訳になるぐらい、コロナ禍とは疎遠になったこの世界。なんでもかんでも「コロナだったから」で逃げ道を作れる世界はもう終わった。「コロナでできなかったから、最近それ挑戦したんです」をセットにしたい。

あと数年も経てば、コロナ禍から10年経過した日常がやってきて、それでもなお「あの頃コロナだったからできなかったんですよ〜」なんて、言い訳にすぎなくなる。もう言い訳としては使えそうにないし、私は使いたくない。

あの日々を経験したからこそ、『安定』の強さと脆さを学んだし、今は何でもできる状況、ということも身を持って感じる。



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