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【福井】越前百万石に行く旅②-1~一乗谷朝倉遺跡〜

※2024年5月の内容です

福井旅2日目は…一乗谷朝倉遺跡にいってきました!
この日はほぼ一乗谷を散策。とても広いエリアなのでもうちょっと時間多めに取っておいた方が良かったと思いました
この他にも永平寺や恐竜博物館、丸岡城のある坂出市など寄ってみましたが、時間がなくて十分回れずでした
また今度の機会だなあ

●2024年5月の福井旅↓↓



一期一振は朝倉氏にもご縁のあった刀剣だったそうなので、本日の御伴してもらいました
豊臣つながりで日向君にも一緒に
珍しい組み合わせになったな


一乗谷朝倉氏遺跡博物館

まずはこちらにやってきました「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」
一乗谷朝倉遺跡の出土品や発掘調査の内容を展示している博物館で、2022年10月にオープンしたそう
2階に原寸大の朝倉館再現、1階に当時使用されていた川湊「一乗の入江」の石敷遺構が保存されております

本館はスタイリッシュな建物
建築に携わったのは、安曇野ちひろ美術館も手掛けた内藤廣さん
写真だと、天気が良いのでシェードが下りていますが、夕方になると2階の復元館が外からも見えるようになります
1階の石敷遺構はこの博物館を建設した際に発見されたそうです
一乗谷の町は大きな町だったそうですが…2020年代になってもまだまだ知られていない遺跡が眠っているんですね
面白そう

博物館のマスコットキャラクターはシシカゲとおコマ
一乗谷遺跡で発掘された、金製の刀の目貫の獅子と笏谷石製の狛犬がそれぞれモデルだそうです
かわいい

一乗谷朝倉氏遺跡とは?

一乗谷朝倉氏遺跡の何がすごいのか?
ポイントは3つ

  • 国の三重指定(特別史跡、特別名勝、重要文化財)を受けている

  • 範囲が278ヘクタールと、山城、城下町、庭園など主要な建物だけでなく街全体がほぼ完全な状態で発掘されている

  • 当時の人々の暮らしがわかる出土品がたくさん発見されている

日本のポンペイと呼ばれていますが、その言葉どおり、当時の人々の暮らしや建物跡がそのまま良い状態で残っているのだそうです
どんな職人さんが住んでいたとか、そういうことまで詳しくわかるとのこと
すごいな

この一乗谷に町をつくった朝倉氏、
どんな一族だったのかというと…

朝倉氏は但馬国朝倉庄出身の武土です。南北朝時代に越前に入国し、越前朝倉氏の歴史が始まりました。応仁の乱を契機として、越前国を治める戦国大名となり、以後、5代100余年の治政を保ちました。

初代孝景は家訓の中で、一乗谷に重臣を集住させることや、能力による登用、国内の人材を育成することの大切さを説いています。歴代当主はこの方針を受け継ぎ、越前の発展と安定に注力しました。

5代義景は、のちの15代室町将軍足利義昭を一乗谷の安養寺に迎え入れ、朝倉館で盛大にもてなしますが、義昭を奉じて上洛することはしませんでした。

天正元年 (1573) 、織田信長との戦いに敗れ、 朝倉氏は滅亡し、城下町も灰儘に帰しました。

https://asakura-museum.pref.fukui.lg.jp/site/history

なるほど
大河ドラマだとどうしても織田信長の浅井・朝倉攻めがよく出てくるので、最後の方のイメージが強いですが、一乗谷はその当時100年平和が続いた大きな都市だったんですね
4代・孝景と5代・義景の時が最盛期だったようです
ちょうど京の都も荒れ果てている時期だったろうから、当時の日本の中でも豊かな都市だったんでしょうね

戦上手で知られ朝倉家の軍事力を支えた朝倉宗滴や、
太郎太刀・次郎太刀を使っていた真柄一族、
北辰一刀流など多くの流派の元となる中条流の剣豪・富田勢源もこの朝倉氏全盛期の時代の人たちのようです
軍事力・経済力・人材といろんな面で豊かだったことがわかります

↓↓真柄一族が使っていたとされる太郎太刀・次郎太刀を見に熱田神宮に行った記事はこちら

↓↓真柄荘があった越前市への旅はこちら

というか、初代・孝景と5代目・義景の肖像画…似すぎでは?

あとから同じ画家さんが書いたんだろうか?初代に似せて書いたのだろうか?それとも初代の顔がわからないから今の殿様に似せたとか?
それとも代々みんな似た顔だったんだろうか?
ビザンツ帝国の皇帝の肖像画ぐらい、そっくりです

⚫︎参考:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/東ローマ帝国の皇帝一覧

いや、もはや全部一緒

また一乗谷の全体地図をみると…典型的な河岸段丘ですね
山の間の谷に流れる、一乗谷川にそって街並みがつくられています

見どころは朝倉館跡など城下町の遺構がメインになりますが、周辺の遺跡や屋敷跡も回ろうとすると丸一日じゃ周りきれないぐらい広い範囲です

この範囲に当時の遺構がほぼそのまま残っていると考えるとすごい…
しかし、現在は復元町以外は朝倉館や家臣の家など特に建物などは残っておりません

当時はどんな感じだったんだろう?
ということで、当時の様子を画像や映像で復元した「戦国時空伝・一乗谷戦国まちあるき」アプリを使います


一乗の入江

博物館の1階、入ってまず見れる実物の遺跡がこれ「一乗の入江」
当時は「安波賀(あばか)」と呼ばれていたこの地区。三国湊へつながる足羽川や、北の庄〜美濃を結ぶ美濃街道、一乗谷〜平泉寺までの安波賀街道の入り口でもあり、いわば様々な交通ルートの中継地点になっていたようです

一乗谷の入り口に当たるこのエリアに、幅5メートル長さ35メートルに渡って石が敷き詰められています
まだまだこの遺跡の正体は解明されていないそうで

・足羽川から運んできた荷物を下ろす「船着き場」説
・ぬかるみやすい道を歩きやすくした「道路」説

などがあるようです
どちらもありそうだな…とても大きな石畳みの道という感じです

さっそくアプリで当時の様子を再現してみます

ここに
こんな感じで道路があったようです

ここ安波賀は朝倉宗滴の屋敷があった場所でもあり、近くの金吾谷という地名のところに屋敷があったそうですが…

博物館から線路沿いにあったあたり
位置的には一乗谷のメインストリートの入り口付近といったところでしょうか?
なるほど

もう一つの屋敷跡は、越前東郷駅近くにある永昌寺の北側にあったそう
東郷地区は、江戸時代に大野藩の参勤交代が通るようになり、宿場町としても栄えたところで、今もレトロな街並みが残っているところです
ここもまた行ってみたいところだなあ


城下町の都市計画

さて2階に行くとさらに詳しい展示が。城下町の街づくりや人々の様子がわかる出土品が展示されています
当時の一乗谷の人口は約1万人。今で言ったら南越前町ぐらいかな?
その人々の生活を支えるライフラインがしっかり整備されていたようです
いわゆる上下水道、井戸やトイレは各家庭に1個ずつあった様子
豪華な建物と違って身近で目立たないところですが、人々が暮らす都市計画には必須の技術ですね

一乗谷朝倉氏遺跡の北側手前にも、瓜割清水(しょうず)など湧水が今でも湧いており、生活用水が豊富だったことがうかがえます

城下町の人々

大きな都市なので様々な仕事をする職人さんがたくさん住んでいたそうです
生活に必要なものを作る、紺屋、土器や陶器を作る職人、数珠を作る職人、檜などの板をまげて桶などを作る桧物師
武士の道具を作る、鉄砲職人、鋳物師など
どんな職業の人が住んでいたのかまでわかる遺跡はほとんどなく、珍しいのだそう
さすがは「日本のポンペイ」と呼ばれる遺跡ですね

数珠をつくる職人さんに関わる出土品
鉄砲の弾を作る鋳物職人さんに関わる出土品

また、博物館のキャラクター、シシカゲ・おコマのモデルになった獅子目貫や笏谷石製狛犬やなども
狛犬ちゃん、ちょっと小さめでかわいいね

シシカゲのモデルの目貫
おコマのモデルの狛犬
そうだね、でもどっちもかわいいよ

そのほかにも、お歯黒の道具や日々の食事を作る包丁、茶の湯道具、将棋の駒など、庶民や武家の生活がわかる出土品がたくさん発見されているそうです


城下町の巨大ジオラマ

そんなさまざまな人々が住む
その様子を1/30のスケールで再現したのがこの大きなジオラマです
室町時代の典型的な町家、庶民の長屋が道路沿いに建てられています
建物や町並みだけでなく、いろんな職人さんが働いてますね…

大きな道路沿いに面したところはお店だったようです
よく見る江戸時代の時代劇の街並みとは違って、でっかい看板のようなものはありません
家の軒先に折り畳みできる台・見世棚(みせだな)を設置、そこに商品を並べるという簡易的なお店
…どちらかといと、忍たま乱太郎で見る町の景色ですね

見世棚に刀やお皿など…生活用品が並んでいます
何屋さんなんだろう?
刀を研いでいる職人さんもいます
お医者さんのお家 室内で薬を調合しているようです
たくさんの人が住む町では、医療機関も充実していないとですね

区画の内側というか奥まったところに、寺院や武家屋敷があります

蹴鞠をする武士か公家の人々
大きなお屋敷は四方を塀で囲まれているようです

朝倉家のお宝

朝倉家ゆかりの品々も展示されておりました

●毛氈鞍覆と白傘袋(復元)

室町幕府の将軍から有力大名に使用が許可されていた、毛氈鞍覆と白傘袋
こちらが復元されておりました
4代・孝景の代に許可されたとのこと。公的にも有力な大名として認められていたということですね
こちらの複製品は、米沢の上杉神社所蔵のものをもとに復元したものだそうです。新潟の上杉家ゆかりの品が現代の復元作業に関わっているのはうれしいですね

●朝倉長光写し

朝倉氏が所有していた刀剣の一つ、朝倉長光
長船派の刀剣で大般若長光や小豆長光の兄弟刀、ということになるでしょうか?
実物は現存せず、こちらは残っていた刀絵図をもとに復元したとのこと
拵はこの朝倉長光のもの…というより、出土した刀装具の中から、意匠が揃うものを太刀拵え一式として復元したそう
もしかするとこんな感じで刀につけていたのかも
まだまだ分からないことたくさんある遺跡で興味深いな

朝倉長光写し
太刀拵の目貫なども復元されています

●籠手切正宗

また、朝倉家に縁のある刀剣はほかにもあり、東京国立博物館所蔵の籠手切正宗などがあります
ちょうど今年の2024年3月、三日月宗近が展示されていたお隣のケースに展示されていました

↓↓三日月宗近展示&特別展『中尊寺金色堂』&『本阿弥光悦の大宇宙』の様子はこちら

●朝倉英林壁書

というか朝倉家、あまり名刀をむやみに収集しないようにという家訓があったようですね
「朝倉英林壁書」は、初代・孝景が制定したとされる分国法で、行政・司法や国防・警備、外交のほか人事面など、さまざまな面にについて国を治める基本が書いてあります

第四条 名刀購入の戒め
名刀をむやみに所望して購入してはならない。その理由は一万疋の値段の太刀を持っていたとしても百疋の値段の鑓を持った百人にはかなう筈がないからである。百疋の鑓を百挺購入して百人に持たせると一方面は防ぐことができるに違いない。

extension://elhekieabhbkpmcefcoobjddigjcaadp/https://asakura-museum.pref.fukui.lg.jp/files/uploads/history_eirinkabegaki_1.pdf

今見ても「なるほど」と思える内容がいくつかあります
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」という言葉を残した朝倉宗滴のお父さんなので、現実的で実利的な内容が多いです

「他国の人を祐筆(公的文書を作成する官僚のこと)にしてはならない」、「一芸に秀でた優秀な人材を他国に行かせてはならない」など、機密情報や人材の流出を防止する内容があったのも興味深かったです
その時代だからスパイが入り込むこともあっただろうし、逆に自国の情報がもれたりすることも懸念していたんでしょうね

そう考えると、後年の織田信長の「楽市・楽座」がいかに画期的な政策だったかがよくわかります
関所も撤廃とかすごい判断したんだな


朝倉館原寸再現

さてここから、5代当主・朝倉義景の館が原寸大で復元されているエリアへ
大きなお屋敷…今の唐門がある南側のエリアにお客さんをもてなす「ハレ」の空間、北側には当主のプライベートな生活空間「ケ」のエリアがあったそうです
足利義昭の元服式を行った主殿や会所もこの建物の一部になります

入り口にある模型

このうち、このメインのエリアが原寸大で再現されています
会所と泉殿、小座敷が主に復元されており、政治などを行う主殿は角のみ
本当に一部なので、全部の建物を含めたら広大なお屋敷だったんでしょうね

引用:https://www.chunichi.co.jp/article/553766
会所側からみた復元朝倉館の様子
泉殿側からみた会所の様子

すごい!!
当時は中庭に花壇があったようですが
ちょうど行ったタイミングでは、5月18日に足利義昭の元服儀式「加冠の儀」再現のイベントがあり、その準備のためか能舞台が張り出されていました
実際に将軍・足利義昭がやってきたときにも、このように座敷から能舞台が張り出され能が演じられるなど、連日宴が催されていたそう

再現するのは、室町幕府最後の将軍となった足利義昭(1537~97)の元服式「加冠(かかん)の儀」。5代当主・朝倉義景(1533~73)が烏帽子(えぼし)親(後見人)となり、1568(永禄11)年4月に「朝倉館」で盛大に行ったとされる。

 義昭は、13代将軍義輝の弟。当時30代になっていたが、仏門に入っていたため、元服式をしていなかった。義輝が暗殺された翌66年に還俗(げんぞく)。朝倉氏は一乗谷近くの安養寺を御所として造営し、67年に将軍の後継者として迎え入れた。

 一乗谷朝倉氏遺跡博物館によると、室町幕府では将軍を補佐する管領(かんれい)が烏帽子親を担ってきたが、非常時のため朝倉氏が務めたという。

室町幕府最後の将軍の元服式再現、一乗谷朝倉氏遺跡博物館と国学院大 [福井県]:朝日新聞デジタル (asahi.com)

●会所

会所の様子も「加冠の儀」再現のイベントに合わせて忠実に再現
義昭を迎えた十二間がこちら

足利義明の御座が設けられた十二間
この襖の奥が次ノ間

床の間の掛け軸と手前の香炉・燭台・花瓶の三具足
掛け軸は義昭が一乗谷で元服した際の資料を元に再現したもの
三具足も同時代の来迎寺のものを元に復元したそうです
また、この花瓶に活けられたお花…よく見たら和紙でできた造花なんですね…
よくできてるなあ
普段は中庭の花壇にも、越前和紙の造花が使われているそうです

分館に飾られていた越前和紙の水仙
色が鮮やかでとってもきれいです

…にしてもちょっと暗くない?
と思いましたが、これも当時を再現した照明になっているからなのだそう
なるほどね。今現代は天井からの蛍光灯の光に慣れていますが、昔の室内はこんな感じの明るさだったのかな?

当時のお殿様目線だとこんな感じでしょうか?
右側に主殿、左側に泉殿が見えます
ちょっと一期一振さんに立ってもらいました
当時はこんな感じで能を鑑賞していたのでしょうか?

また足利義昭をもてなしたお料理のメニューも豪華
まず一献〜三献、三献の内訳は膳が七ノ膳まであり、その後にも四献〜十七献続きます。何時間も宴が続き、休憩を挟みながらの大宴会だったようです
珍しいもの美味しいものばっかりで目もお腹もいっぱいになるわな

「朝倉義景亭御成記」によると、宴会は十七献まであり、その献立の一部を列記すると……

初献:鳥 五種
二献:したたみ まきするめ ひしおいり
三献:はむ はらら子 鯉 御ゆづけ
   一ノ御膳 塩引 焼物 桶金 あえまぜ 香物 かまぼこ ふくめ
   二ノ御膳 すしふな はむ 鯛 にし 御汁 たこ 焼鳥
   三ノ御膳 数の子くらげ、いか小さし 御汁(白鳥) 御汁(笋)

三献は七ノ御膳まであり、さらにそこから四献が続きます。
記されているメニュー(食材)の数は80以上もあり、まさにごちそう。いかに贅を尽くしたもてなしだったかがわかります。

https://www.chunichi.co.jp/article/553766
https://www.digital.archives.go.jp/img/741987

●泉殿

会所の斜め向かいにある板の間のスペース
実物はもう少し広かったのかな?どうだったんだろう?
一乗谷にやってきた京の公家をもてなすため、こちらで酒宴が催されたそうで
その時、庭と屋敷飾りが素晴らしかったとそのお公家様が日記に記しているそうです

●小座敷と池庭

足利義昭が休憩に使用した小座敷と池庭も
中庭との間に垣根?のようなものがあって、ちょっと隔離されている感じ
ずっと大歓迎の大宴会じゃ疲れますもんね
小さめの畳敷きのお部屋に、お水の流れる庭があり落ち着くスペースです

足利の将軍様のかわりに三日月さんに立ってもらいました

探究ラボ・体験学習スペース

最後に、探究ラボ・体験スペースへ
こちらでは、実際の発掘調査の流れ、道具の使い方、研究の流れややり方などが詳しく解説されていました

発掘調査で使われている道具や、どうやって調べるのか?などが、実際の道具や発掘当時の写真と一緒に展示されており、
道具は実際に手に取って体験することができました

おコマちゃんのモデルになった笏谷石のミニ狛犬を計測
へえ~かたちを記録するのに、こうやって計測するのね。面白い

出土した陶器のパズルもありました実際に出てきたものがこうやってぴったり合えばいいけど…ないピースもあるんだろうな

パズルのピースには磁石が入っているのか、カチッとくっつくようになっていましたこのほかにも6つほどあったのですが、このパズルがなかなか面白くて…もくもくと陶器復元職人していました楽しい

館内にはカフェ「KARAMON」があります
美味しそうだなあ…

メニューがシャレオツ

定番のCARAMON御膳もいいけど、季節の果物のパフェも美味しそうだなあ
期間限定のメニューには可愛い手毬寿司もあるみたいです



それでは博物館を出発して、いよいよ遺跡の方に向かいます
遺跡の入り口の春日神社に寄っていきます

春日神社

一乗谷朝倉氏遺跡の入り口にある安波賀春日神社
創建は1068年。ちょうど東北の前九年の役(1051〜1062)と後三年の役(1077〜1087)の間ですね
越前朝倉氏に代々崇拝された神社で、一乗谷に唯一現存している朝倉時代から続く神社だそう

苔むした石段に大きな杉がたくさん
山の中の神社という感じでちょっと怖いです
緑がたくさんで雰囲気は清々しいんですが、熊が出たらと思うと怖い…
今は落ち着いた静かな神社ですが、当時は朝倉氏の戦勝祈願などがよく行われていたそうです

ちょっと天気が悪かったためこの時は行けなかったのですが、もう少し登ると「瀧殿社」という朝倉義景を祀った社殿があります

一乗谷城の戦いで織田信長に敗れた義景は自害しますが、その際悪霊になり今後この地の領主になる人に祟ると言った内容の遺言を残したとのこと
よほど無念だったのでしょうが…その後本当に越前国主は戦死したり、早くに亡くなったりして次々と変わります

『落城ノ時謂従臣曰存念旨趣有之間予ガ遺骸ヲ一乗ノ滝ヱ沈ムベシ悪霊トナリテ富国ノ国主五十代ノ内ハ障碍ヲナシ可申シトノタマエリ』
「滝殿権現縁起」抜粋(現代語訳:義景が落城の時、家臣に“私の遺骸を一乗滝へ沈めよ。悪霊となってこの国(越前国)の国主を50代に渡り害を与える”と申した

https://sengoku-his.com/977

結城秀康が越前に入り越前松平家の時代になってもそれは続き…秀康は30そこそこで亡くなり、息子の忠直は改易、そのまた息子の光長の時には御家騒動と…
戦国時代から江戸時代初期でまだまだ混乱の時期だとしても、ここまで続くとちょっと気になりますね
その呪いのことを聞きつけた福井7代藩主・松平吉品は、春日神社を再建。同時に朝倉義景を瀧殿社を祀り、その後松平家は朝倉氏も敬うようになります

縁起では、春日神社の神主が朝倉義景の霊と対面し、国を呪うというのをなだめ、きちんと敬いますので、国の守護神となってくれるようお願いしたと記されています。

https://sengoku-his.com/977

その後は松平家の崇拝厚く、毎年参詣することになったそう
このおかげか、福井藩・松平家は無事明治の世まで続くこととなります

↓↓結城秀康や松平家ゆかりの福井城や福井市内の史跡をめぐる旅はこちら


一乗谷朝倉氏遺跡

春日神社からまた車で少しいくと…つきました!
一乗谷朝倉氏遺跡です

すごく眺めの良い風景
あいにくの曇りでしたが、これ晴れてたらものすごくいい光景だろうな~
すごいな、これ全部に町があったんだ

昔のソフトバンクのCMでもありましたが
あの「白い犬のお父さん」の故郷という設定があるみたいです
(※CMの設定。「お父さん」を演じているカイくん自身は北海道出身)


アプリのスタンプラリーも進めていきます

●復元町並

まず復元町並みに行ってみます
当時の様子はどうだったんだろう?
向かって山側の西側に上級武士の屋敷が、
一乗谷川の東側が、庶民の町家と中級武士の屋敷があります
まずは南側の入り口から入っていきます

復元町の模型

いや、いつかの忍たま乱太郎で見た光景…
スタッフの方々も当時の服装で町のあちこちにいます
隣のおばちゃんとか大家さんとかが出てきそう

室町時代の町の風景
時代劇でよく見る丁髷・日本髪とは違った姿です
長屋の入り口 ちゃんと中で営業しているみたいです
こちらは越前和紙の小物屋さんみたい
長屋の裏 共同スペースに井戸があります
土井先生の長屋の裏ってこんな感じだったな

庶民のお家は町家と呼ばれる長屋。板葺屋根で屋根が飛んでいかないように石で押さえてあります
通りに面して入り口があり、間取りは裏に通り抜けられる土間、通り側の商売や食事に用いる「ミセ」と奥の寝室などに利用した「ナンド」のふた間
典型的な中世長屋ですね

お店も江戸時代の時代劇のような大店作りではなく、町家の窓の下に商品を並べる棚・見世棚があり、そこに商品を並べて販売する感じです
江戸時代の時代劇見慣れてると、ずいぶんコンパクトなお店ですね

●上級武家屋敷

武家屋敷は周囲を塀に囲まれ、出入り口には門があります
礎石の上にある柱の数でその家の格式がわかるそうで、
4本の柱がある門=薬医門・上級武家屋敷
2本の柱がある門=棟門・中級武家屋敷
と違いがあるそうです
復元町並の南側にあるのが「斉藤殿」のお屋敷、北側にあるのが「川合殿」のお屋敷のようです

武家屋敷の薬医門

こちらのお屋敷は「川合殿」のお屋敷のようですね

お屋敷の見取り図
笏谷石の井戸

庶民の家にも各戸に1つ井戸がありますが、ここのお屋敷は5つぐらいありますね…
このほかにも敷地内にトイレ、ゴミ捨て場がちゃんと整備されており、インフラが整った町であることがわかります
さらに日本でトイレ跡が初めて発掘されたのが、ここ一乗谷だそう
本当に当時の人々の暮らしがしっかりわかるんですね

…が、肝心の領主の屋敷・朝倉館跡ではトイレ見つかっていないそう…
え?どこで用足してたの??
それも含めてまだまだ研究が進められているそうなので、これからの発見も楽しみですね

さて、ここでアプリのVRが見れるようです
ちょっとやってみます

このあたりに…
こんな感じでお屋敷があった?ようです

いや、ちょっと座標ずれてますやん
微妙にずれてますが、上級武士の屋敷にはこんな感じで中庭と建物があったようです

●中級武家屋敷

お向かいには、中級武士の屋敷を復元した建物が
上級武士の屋敷よりちょっと小さめですが、敷地内に納屋と板蔵
母屋である主殿の間取りには、主室・前室・奥の間の畳敷きの3部屋に、板敷の納戸
台所があり、お魚を庖丁式でさばいている様子が再現されています

台所の様子
屋内の土間に井戸があります

主室には当時の服装をしたスタッフの方々が
当時もこんな感じで将棋とかしていたのかね?
奥の間には、真柄十郎左衛門が活躍した姉川の戦いの図と、熱田神宮に奉納されている真柄の太郎太刀の写真が展示されていました

忍たまの世界から出てきたようなスタッフさんたち
いつもはお人形が置いてあるそうです
でっか!!部屋の一角ぐらいあります
その下に姉川の合戦図があります
庶民の町家や寝殿造と違って、室内にはちゃんと天井もあります

街角にはかわいらしい風鈴と和傘の通りが
ちょうど記念撮影スポットになっているようです
せっかくなので御伴機能で記念撮影

復元町並では庶民や武家屋敷のほかにも商家などあり、何件かは中にお邪魔できるようです。紺屋のお隣では着付け体験ができる場所もあるようで、甲冑や壺装束などが着れるようです。楽しそう
今度はほかのお家の中の様子も見てみたいな


朝倉館跡

いよいよメインの朝倉館跡に向かいます
四方は堀に囲まれ背後は山、その山の頂上に一乗谷城が建っています
普段は麓の朝倉館で政治をしたり日常生活を送っていたようですね

引用:https://ichijo-dani.com/go_around/archives/15

朝倉館跡周辺には、特別名勝に指定された四つの庭園があります

諏訪館跡庭園(すわやかたあとていえん)
湯殿跡庭園(ゆどのあとていえん)
館跡庭園(やかたあとていえん)
南陽寺跡庭園(なんようじあとていえん)

今回は南陽寺跡庭園に行けなかったのですが、同じ敷地内に3つの庭園跡を見てきました

まず唐門をとおって屋敷内に入っていきます
観光サイトの写真でもおなじみの風景ですね
横に桜の木があったので、春にはいい感じの写真が撮れそうです

また、アプリでは朝倉宗滴殿が解説してくれるポイントになっております

宗滴殿!「動画を見る」ボタンが下すぎて押せませぬ!!

ちょっとスマホのサイズ感あってなかったようです…
ただ、こちらの解説動画はあとでも見れるようなので、家に帰ってからじっくり見てもいいかもしれません
しかし、背後がすぐ山って…特に湯殿跡庭園は割と坂道登ったところにありますけど…土砂崩れの心配はないんだろうか?

へえ~ちゃんと対策も万全なんですね

上のほうにちゃんと盛土して、万が一の時も水や土砂が流れ込まないように整備していたようです。なるほど

泉殿の方向から見た朝倉館

ここが朝倉館のメインの場所、会所や泉殿、小座敷があったところです
今は礎石のみになっていますが…それにしても全体を見るととても大きなお屋敷です

さっき博物館で見た原寸大の復元館と比べてみると…

この場所に
こんな感じで会所と中庭があったようです

ここではアプリのVR解説も聞けるようですが…
あの…このアプリ、位置判定が厳しくて、なかなか解説ボイスが聞けません…
付近をうろうろしてもなかなかマーカーに辿りつきません

なんでやねん!!!!!!!

さらに山のほうなので電波と…足元がおぼつかない…メインの館跡はともかく、上のほうにある湯殿跡庭園と諏訪館跡庭園ではスマホ見ながらはちょっと危険かも
正直動画より、解説画面や文章のみの方が現地では便利だなと個人的には思います

とりあえず、主殿の映像が出てきました

この場所に
こんな感じで建物があったようです

ここで将軍・足利義昭との儀式が行われたり、将軍に献上された馬を縁側から確認したりと公的な行事や公務が行われていたようです

また、こちらが先ほどの復元館で見た池庭
つつじが咲いていて、いいかんじにカラフルになっています

…池の中にめっちゃオタマジャクシおる
当時の足利義昭も、こんな感じでオタマジャクシ見ながら和んでいたんでしょうか?

ここに
こんな感じで小座敷の縁側があったようです

本当に復元館そのまんま
というか逆に、そのままの状態でここまで遺構が残っていたということで
実際に見てみて、館跡すべてと町並みも丸ごと、この規模で残っているのは本当にすごいことだと改めて思いました

湯殿跡庭園

館跡から少し登ると湯殿跡庭園があります

結構傾斜ある山道

「湯殿」と名前がついているものの、お風呂ではなかったよう
まあ確かに毎日お風呂に入るためにここまで上がるのは大変そう。夜になったら足元も見えにくいから危ないしね
今は枯山水のような石組庭園ですが、本来は水が引き込まれた庭園だったようです
どんなお庭だったのか、全容が解明されるのがこれから気になります

中の御殿跡&諏訪館跡庭園

中の御殿跡と諏訪館跡庭園は、主に女性たちが住んでいたお屋敷だそう
中の御殿は、朝倉義景の実母・光徳院のお屋敷
諏訪館は、朝倉義景の妻・小少将のお屋敷だったようです

中の御殿跡
諏訪館跡庭園

諏訪館は上段庭園と下段庭園の二段構えの庭園で、
下段庭園の池の横には立派なもみじがあります
秋になったら紅葉がきれいなんだろうな~
唐門の桜とこちらのもみじと、春も秋もいつ来ても楽しめそうです

また諏訪館庭園のふもと、諏訪館橋に続く「米津」には刀装具を作る金工師の工房があったようです
先ほど見た上級武士のお屋敷クラスの建物にて、最先端の技術をもった職人集団が働いていたようです
博物館で見た朝倉長光の拵や、シシカゲのモデルになった目貫なども、ここで作っていたのかもしれませんね



いや~楽しかった!!!
ほぼ1日いましたが、それでもまだまだ回りきれていないところがたくさん
今回よれなかった南陽寺跡庭園や瓜割清水、足利義昭が滞在した御所・安養寺や富田勢源の道場跡、東郷地区の町並みも見てみたいところです

今回、お土産に買ったゆるい朝倉の殿様と恐竜のTシャツ
何代目の朝倉なにさんなのかはわかりませんが、一目で朝倉の殿様とわかるこのお顔…
代々みんな似てたのかなあ?

御城印や御朱印、スタンプなども
新幹線が開通して福井には行きやすくなったので、また桜や紅葉の季節に行ってみたいです


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