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【東京・西多摩郡】三日月藩の人間無骨写しに会いに行く旅~瑞穂町~

※2025年9月の内容です。

三日月藩伝来の人間無骨写しが展示されるとのことだったので、東京・瑞穂町に見に行ってきました。



今回の人間無骨写の展示は、瑞穂町郷土資料館けやき館で開催された、
特別展「瑞穂武具百様-甲冑と刀剣-」にて行われました。
本当にありがたいです。


三日月藩とは?


さて、今回展示されているのは、「銘『和泉守兼定』人間無骨写」
三日月藩に伝来したものだそうです。
…って、三日月藩ってどんな藩だい?
あまり聞きなれない藩ですが、どこにあった藩なのでしょうか?

●森家の歴史

まずは人間無骨の持ち主・森長可の一族、森家を調べてみました。

引用:https://www.e-tsuyama.com/report/2025/05/post-2542.html

いやすごい家系図。
もともとは八幡太郎で有名な源義家の6男・義隆を祖とする清和源氏の子孫とも言われているそうです。
由緒正しい家柄なんだな。

森家は宗家のほか分家や外戚がたくさん。
大名として藩を治めた家もあれば、宗家の家臣となって仕える家、他藩の家老になった家もあるようです。
とはいえ順風満帆に幕末まで続いていたわけではなく。
江戸時代になると、お家断絶の危機があったり、その後も結構遠い親戚筋から養子を迎えて後継にしていたりもするので、なかなか紆余曲折ありながら続いてきた家系のようです。

↓↓こちらを参考に三日月藩の家系を調べてみました。

…いや、つまりどういうことだってばよ???

ちょっといろんな家が多すぎてややこしいのでまとめてみました。
まず主な森家、いわゆる藩主として藩を治めている家は下記の3つ

【1】津山藩主森家
【2】赤穂藩主森家
【3】三日月藩主森家

三日月藩は家系的には 人間無骨の持ち主・森長可から見ると その末弟・森忠政 →その外孫・長継 →その息子・長俊 から始まる藩のようです。
うーん…つまり長可の兄弟のひ孫、曾姪孫にあたるのか?
三日月藩ができた時代は1697年。
ちょうどこの頃に、跡継ぎ問題から津山藩改易があったりと森家的には難しい時代だったようです。

※主な森宗家関係。このほかにも分家・外戚がたくさんあるようです。

ちなみに津山藩改易から赤穂藩藩主として再スタートするまでの時期の森家を描いた作品が、漫画「森一族」
赤穂藩・初代藩主となった森長直が主人公の物語です。
漫画になると流れがわかりやすいのですが…現在紙書籍はすでにないみたいですね…。電子書籍のみのようです。

ちょうど社会全体としては、徳川幕府は5代将軍・徳川綱吉の時代。
生類憐みの令が出され、忠臣蔵でおなじみの松の廊下事件や赤穂浪士の仇討が起こった頃です。
大きな戦はもうない時代ですが、幕府の統制や権力の確立がまだまだで、大名の改易・転封が多かった時代ですね。


●三日月藩とは?

それでは肝心の三日月藩はどんな藩だったんでしょうか?

三日月藩
1697年立藩
石高:1万5千石
場所:播磨国(現在の兵庫県佐用郡佐用町三日月周辺)
藩庁:三日月陣屋(乃井野陣屋)
藩校:廣業館
場所と規模:兵庫県西部の西播磨地方に位置し、佐用郡・揖西郡・宍粟郡の一部(約65村)を領有。城を持てない小藩のため陣屋を拠点とし、陣屋町(郭内)には武家屋敷や町割り、水路が残り、江戸時代の面影を保っています。
特徴:比較的穏やかな統治で知られ、歴代藩主が文化・教育を奨励。藩校「廣業館」の設立や演武場の建設など、文武両道の業績が多く、地域の政治・文化の中心地として174年間繁栄しました。現在も物見櫓や表門などの遺構が現存・復元され、全国的に希少な陣屋跡として評価されています。
歴史:美作国津山藩(18万石超)の森家本家が嗣子なしで改易された際、分家の津山新田藩主・森長俊が播磨国三日月に移封され、1万5千石で立藩。
森家は明治まで9代続き、廃藩置県(1871年)で終了しました。
廃藩置県で三日月県となり、姫路県・飾磨県を経て兵庫県に編入。藩主家は華族(子爵)となりました。

三日月藩乃井野陣屋館
引用:https://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=727

小さめの藩のため、お城はなく代わりに「陣屋」と呼ばれるお屋敷を中心にした町だったようですね。
現在はその陣屋の門や長屋が復元されている様子。
周辺には武家屋敷跡があったり、演武場であった三方里山公園など史跡が残っているようです。
ひまわり畑やしゃくなげの里、花しょうぶ園などもあり、季節の花が楽しめる自然豊かな町のようですね。

また、三日月藩の江戸藩邸は目黒駅の東口にあったようです。
現在マンションが並んでるあたりが藩邸の敷地にあたります。
ちなみに、目黒駅の西口にある目黒雅叙園には、熊本藩細川家の江戸屋敷の一つがありました。
無骨くんの主の一族の江戸藩邸は、歌仙さんの主の江戸藩邸のご近所さんだったんですね。


東京の里町・瑞穂町


今回の展示会場となった、瑞穂町。
瑞穂町のある東京都西多摩郡には、はじめてやってきました。
東北の民からすると、あまり土地勘がないんだよなあ…。
なので、せっかく来たからにはどんなところか調べてみました。

●瑞穂町観光情報サイト

https://www.ittenbee-tokyomizuho.jp

瑞穂町は、都心近郊ながら豊かな自然と伝統が残る、のどかな町です。ハイキングや地元産品を楽しむのにおすすめです。

●概要
東京都西多摩郡瑞穂町は、東京都心から西へ約40kmに位置する自然豊かな町です。面積は約16.85km²、人口は約3万2千人(2025年時点)。東部に広がる狭山丘陵の緑豊かな里山風景が特徴で、「となりのトトロ」の舞台のモデル地としても知られ、四季折々のハイキングが楽しめます。南部には在日米軍横田基地があり、国際色も感じられる一方、北部には茶畑が広がる農業地域です。アクセスはJR八高線(箱根ケ崎駅)が主で、新宿から約1時間20分程度です。

なるほど、東京から気軽に行けるトトロの里みたいな感じなんですね。
確かにあの雰囲気ありそう。
ちょっと緑多いところ見たら、小トトロがどんぐりポロポロこぼして歩いてそうだなあ。

瑞穂町の全景
年間通してみられるオオタカがデザインされたマンホール

●瑞穂町の歴史

歴史瑞穂町の歴史は古く、旧石器時代(約3万年前)から人が住んでいた痕跡があり、狭山遺跡などで石槍(尖頭器)が出土しています。
縄文時代には竪穴住居が検出され、狩猟・採集生活が営まれていました。

江戸時代には、日光街道(日光脇往還)の宿場町として箱根ケ崎が発展。八王子千人同心の通行路でもありました。
近代では、1940年(昭和15年)に箱根ケ崎村・石畑村・殿ケ谷村・長岡村が合併して町制施行、「瑞穂町」が誕生(町名は当時の東京府知事が命名した瑞祥地名)。
1958年(昭和33年)には埼玉県元狭山村の一部を編入し、現在の町域となりました。

●観光施設
・瑞穂町郷土資料館 けやき館:町の歴史・自然・文化を展示。旧石器時代の石槍や縄文土器、村山大島紬の体験も可能
・耕心館:江戸末期の建物でカフェ併設
・狭山池公園:池と野鳥観察が楽しめる憩いの場
・みずほエコパーク:芝生広場、ドッグラン、ウォーキングコース
・その他:元狭山神社、阿豆佐味天神社などの神社、だるま市(毎年1月)

町内にある阿豆佐味天神社。927年には「延喜式」「神妙帳」に阿豆佐味天神社の名が記されているそうで、とても古い神社のようです。

鎌倉時代には狭山池をよんだ歌が「八雲御抄」や「夫木和歌集」に収められています。

室町・戦国時代には、武蔵七党と呼ばれる武士団が台頭。
「東村山」の地名の由来となった村山土佐守が、現在福正寺のある殿ヶ谷に居館を構えたのだそうです。

また武田信玄で有名な武田氏とも関連があり、甲斐武田氏の家臣・加藤丹後守景忠が武田氏滅亡後落ち延びてきます。
本能寺の変が起きた1582年に、この地の村山氏と戦い討死。
箱根ヶ崎駅付近にある加藤神社は、その加藤丹後守を祀る神社です。

江戸時代には、日光街道と青梅街道の交差する宿場町として栄えました。
もっとも栄えた江戸後期には、旅籠が9件商家が12件あったそうです。
交通の要所としてさまざまな人が通行し、明治時代には英国外交官のアーネスト・サトウもこちらを通ったようです。

狭山池公園~狭山神社にある飯能街道の看板

また、御三家の尾張家の御鷹場もおかれたようですね。
けやき館の前にその境杭があります。

御鷹場の境杭

↓↓尾張徳川家のお城・名古屋城への旅はこちら

なるほど~そんな歴史がある町なんですね。
今では、町の歴史や伝説に関わる「景観モニュメント」や史跡がたくさん町中にあるみたいです。

★景観モニュメント

https://www.town.mizuho.tokyo.jp/kankyo/001/004/p000726.html

◆瑞穂町観光マップ

extension://elhekieabhbkpmcefcoobjddigjcaadp/https://www.town.mizuho.tokyo.jp/tyosei/015/002/p000808_d/fil/mizuho-guidebook.pdf

●瑞穂町の特産品

●特産品
・東京狭山茶:都内トップクラスの生産地。「味の狭山」と言われ、濃厚な甘みと渋みが特徴。狭山火入れの製法で仕上げられる。
・シクラメン:都内生産量No.1。冬に「シクラメン街道」(岩蔵街道沿いの温室)で直売され、色鮮やかな花が人気。
・多摩だるま(東京だるま):明治時代からの伝統工芸。手作りで個性豊か、町内に多くの工房あり。
・村山大島紬:日本三大紬の一つ。美しい絣模様の絹織物。
・その他:新鮮野菜・果物(直売所「ふれっしゅはうす」で販売)、地元ブランド加工品。

特産品は狭山茶をはじめとした、野菜や果物など農産物が多いようですね。
特にシクラメンは都内最大級の生産量。
多摩だるまや村山大島紬などの工芸品もあり、養蚕が盛んだったようです。

東京狭山茶は中世に作られた川越茶が起源で、明治には海外にも輸出。
現在も瑞穂町は都内市の茶栽培面積を誇る茶どころで、町内に数軒お茶屋さんがあり、お茶園さんごとに味に違いがあるそうです。

毎年1月には円福寺でだるま市が開催されているとのこと。多摩だるまは、村山大島紬の絹糸を作る養蚕に伴って根づいた文化のようです。
けやき館へ向かう途中の交差点に、小高い丘にある広い墓地がありましたが、そこが円福寺だったのか〜。

また、けやき館のお隣にある耕心館は、豪農の家で養蚕を営んでいたそう。
「太神楽造り(だいかぐらづくり)」という工法で、2階と3階が増築されています。
こちらも後でゆっくり見ていこうと思います。

この「耕心館」が面白いのは、2階建てにするのに、全面建て替えではなく、1階部分はそのまま残して、そこに2階部分の柱梁を追加して、その上に扠首構造の屋根をよいしょと持ち上げて乗せた。これを「太神楽(だいかぐら)造り」と言うそうです。

瑞穂町/養蚕建築・耕心館 | カイコローグ (kaikologs.org)
2階と3階部分で養蚕を行い、上に空気抜き用の気抜きと呼ばれる小屋根が乗っています

そんな瑞穂町の自然や特産品の魅力がつまったキャラクター・みずほまる
まるっこいフォルムとくりくりお目目。みずほブランドのお菓子と狭山茶が好きなんだね。かわいい。
コミュニティバスやバス停、公園の遊具など、町のあちこちでみずほまるの姿を見かけました。
町民の皆さんに親しまれているキャラクターのようですね。

みずほまる
瑞穂町には本当にたくさんの魅力にあふれています。
多摩だるまとホンドタヌキを合わせた愛らしいフォルムを、カタクリの鮮やかな薄紫色とシクラメンの薄桃色で彩りました。
好奇心いっぱいのくりくりの瞳に、瑞穂町花冠(シクラメン・カタクリ・ニリンソウ・狭山茶)をしています。花冠の中に、幻の白いカタクリが一輪だけそっと咲いています。
おへそにはちょこんと瑞穂町のマークが入っています。みずほブランドの甘味を狭山茶でいただくのが大好きで、飲んでいる時は気持ちよさそうな表情になります。

瑞穂町公式キャラクター決定!! | 瑞穂町ホームページ (town.mizuho.tokyo.jp)


瑞穂町郷土資料館 けやき館


それではさっそく、特別展を見に行きます。
会場になっているのは、瑞穂町郷土資料館けやき館。
こちらでは瑞穂町の歴史や文化などを学ぶことができます。

瑞穂町郷土資料館けやき館とニホンオオカミ像
瑞穂町の歴史や文化を学べる常設展


●特別展 瑞穂武具百様ー甲冑と刀剣ー

今回の特別展は、武田信玄ゆかりの兜が初公開とのこと。
エリア的に武田氏や北条氏ゆかりの品が多いのかな?

さて、人間無骨の写しですが…特別展の部屋の前に、どーんとありました。
三日月藩に伝来する人間無骨は、今回初公開になるそうです。
ありがたいなあ~。

裏側もみることができました
十字の真ん中より下の方に「人間」の文字が見えます
刃長37.5センチ
横幅35.7センチ
刀身の幅3.4センチ

だいたい刃の部分は縦横それぞれ40センチぐらい。
持ち主の森長可のエピソードが結構インパクトがあるものばかりなので、もっと大きな槍を豪快に振り回してたのかな~と思いましたが…。
実際見てみると、現実的な大きさですね。
持ち主のイメージの影響って大きいものだなあ。

また常設展のところにも人間無骨に関わる資料が数点展示されていました。

古今鍛冶備考(1796年)の人間無骨のページ
本朝鍛冶考(1796年)の人間無骨のページ

よく見ると古今鍛冶備考と本朝鍛冶考の「人間」「無骨」の文字の位置が微妙に違っていますね…。
今回展示されている人間無骨の写しは、古今鍛冶備考に書かれている方の位置に文字があります。
本家本元の人間無骨はどっちのタイプなんだろう?
いつか見てみたいものだなあ。

このほかにも、たくさんの甲冑や刀剣が展示されていました。

特別展の室内の様子
たくさんの武具が展示されていました

●武田信玄所用 練革製三十八間小星兜

こちらが今回初公開となる、武田信玄が着用していたものをされる兜です。
武田信玄の兜というとフサフサの白い毛がついた兜のイメージが強いですが、こういうタイプの兜も使っていたんですね。

武田信玄所用 練革製三十八間小星兜

この他にも武田家に関わる品がいくつかありました。
長篠の戦いで活躍した鳥居強右衛門の姿を描いた旗指物の複製。
長篠の戦いは、織田徳川に味方した奥平家と武田家の戦いですが、鳥居強右衛門は奥平家に使えた武士だそう。
しかしこの旗指物の持ち主は、鳥居強右衛門が仕えていた奥平家の関係者ではなく…
なんと当時、長篠で対峙していた武田家家臣・落合左平次の旗指物になります。

鳥居強右衛門は長篠の戦いでその名を残した家臣です。
彼は奥平貞昌に命ぜられ、織田・徳川連合軍の援軍を呼ぶ使者として、危険を顧みず武田の包囲網を突破。しかし援軍の知らせを持ち帰るところを捕らえられ、武田の要求に屈することなく刑に処されました。
彼の功績は三河武士の模範として今でも語り継がれています。

https://www.okuminavi.jp/search/detail.php?id=533


要するに敵の家臣だった落合さんが、わざわざ強右衛門さんの最期の姿を「我が家の旗指物に」としたのだそう。
敵の武将を旗指物にするなんて、落合さんもよほど強右衛門さんの心意気に感動したんでしょうね。

落合佐平次背旗之図

刀剣乱舞の遠征先にも長篠の戦いがあり、鳥居強右衛門をサポートする内容になっています。
プレーヤーのさにわのみなさんにもお馴染みの戦いですね。

さらに、こちらも初公開の兜。
相州小田原明珍甲冑師の手による「小田原鉢」と呼ばれるものだそうです。

鉄錆地三十二間筋巻込兜

ヘルメットのようなシンプルな形ですが、本来はお隣に展示されている同じ「小田原鉢」と同じように、首の部分を覆う金属製の𩊱(しころ)があったようです。
全部金属でできてるんですね~。

鉄錆四十二間二方白筋巻込兜

明珍というと自在置物でも知られている甲冑師の一派ですね。
昨年巳年には、東京国立博物館の「博物館に初もうで」で、蛇の自在置物の複製を自動で動かす展示が話題になりましたが…本当にリアルな動き。いったいどんなつくりなんだろう?
この他にも、龍や鯉、鷹などの動物から、鈴虫など繊細な作りの昆虫まで、様々な自在置物が所蔵されているそうです。
どの作品も、実際に動いているところを見てみたいものですね。



武田家や北条家の他にも様々な大名家に関わる品がたくさん。
東北に関わるものとしては、伊達家家臣・片倉小十郎景綱が所持していた甲冑がありました。
前立の愛宕権現のお札もちゃんとあるんだね。

鉄地黒漆塗縦矧五枚胴具足

↓↓片倉小十郎が治めていた、白石の旅はこちら


九州の細川家祐筆頭の高木家所要の鎧も。
茶道由来とのことですが、ひしゃくがそのまま前立てになっているのは個性的ですね。

紺糸威伊予札黒皺革包越中具足
銘「九州肥後胴田貫又八」

↓↓熊本へ歌仙兼定の展示を見に行った旅日記はこちら

刀剣にも珍しい名前の刀が 号「大蛇丸」
…某忍者漫画を思い出しますがこちらは平安城長吉の作の刀剣とのこと。 村正の師匠にあたる人のようです。
なるほどね〜


耕心館


次はお昼を食べに、けやき館お隣にある養蚕建築・耕心館へ。
先ほど常設展の模型で見たように、3階建て+小屋根がついている構造になります。

1階+2階+屋根裏部屋+小屋根がついている構造の建物
3階の屋根裏部屋部分にステンドグラスが見えます。
これは、もともとは明り取りの穴(煙抜き)のようです。

内装はおしゃれなカフェに改装されています。
それでも梁や柱の様子が残っていて、もともとの構造がよくわかりますね。

1階エントランスの様子
ステンドグラスの窓

ステンドグラスの窓の外にお花ある!
チューリップかな?ガーベラかな?かわいいなあ!と思ったら…
虫よけスプレーでした…。
まだ暑かったので、お庭に虫が出るためご自由にお使いくださいという感じで置いてありました。
いや、あまりにステンドグラスが素敵だったんで…。

二階も見たかったのですが、当日は二階で催し物が行われて貸切でした。
地域の皆さんの交流の場として、活用されているんですね。

1階のカフェ「喫茶ストーリア」ではカレーやトーストなどの食事メニューが食べられます。カリッとしたきつね色のトースト、おいしいなあ。
ケーキセットやクリームソーダなど、期間限定のデザートもおいしそうです。


瑞穂町まちあるき


せっかく瑞穂町にやってきたので、先ほど紹介した景観モニュメントとさまざまな史跡などを一通り回ってみようと思います。

★景観モニュメント

https://www.town.mizuho.tokyo.jp/kankyo/001/004/p000726.html

※箱根ヶ崎駅からこのコースでぐるっと回ってみたいと思います。

extension://elhekieabhbkpmcefcoobjddigjcaadp/https://www.town.mizuho.tokyo.jp/tyosei/015/002/p000808_d/fil/mizuho-guidebook.pdf

わかりやすいように、
景観モニュメントには★
観光施設・史跡には◆

をつけて紹介していきます。



★馬の水飲み場

まず駅前にあるモニュメント。
瑞穂町は元々は青梅街道と日光街道が交差した交通の要所として栄えたところです。
駅東口のモニュメント・馬の水飲み場はそれにちなんだものなんだそう。
当時も旅をするお馬さんがたくさんいたのかな?

★天空

西口には近代的なモニュメント・天空が。
瑞穂町の住民が心を一つにして新たな発展・飛躍を誓うシンボルなんだそうです。


◆円福寺

けやき館に向かう途中の交差点にある、小高い丘の広い墓地が円福寺。
1573年に村山土佐守義光が創建したお寺で、地域の歴史に深いかかわりのあるお寺だそう。
1月にはだるま市、6月にはほおずき市が境内で開かれ、たくさんの人で賑わうようです。

交差点、右向かいが円福寺になります


◆狭山池公園

★蛇喰い次右衛門像

鎌倉時代、歌にも詠まれた狭山池。
実は当時より少し池大きさが小さいそうですが…なんで?

その理由はすぐ横にある、このモニュメント。
「蛇喰い次右衛門」の昔話。

なるほど。大蛇が逃げ出した時に池の水が流れて、小さくなったんですね。
この大蛇とともに流れた池の水の流れが蛇堀川となり、のちに狭山公園から東に流れる「残堀川」になったということなんですね。

狭山池の向かいにある残堀川

★カワセミ像

この残堀川の整備が進み水質がきれいになったところ、カワセミが見られれるようになったそう。
残堀川の橋や川の横にもカワセミのモニュメントがあります。


◆狭山神社

狭山池から少し先にある神社。
源義家の奥州征伐の際に勧請された神社のようで、境内には狭山茶場之碑があります。
碑の扁額が勝海舟ってすごい有名な偉人が関わっている石碑だなあ。


◆さやま花多来里(かたくり)の郷

★ホンドタヌキ像

約3000㎡の敷地に20万株もカタクリが咲くさやま花多来里(かたくり)の郷。3月下旬~4月上旬が見ごろになるそう。
数万株に1株しかない幻の白いカタクリもあるそうですので、探してみるのも楽しそうですね。

宮崎テラス

今でもホンドキツネやホンドタヌキ、ニホンアナグマが生息しているよう。自然豊かな公園だな〜。
こちらにはホンドタヌキのモニュメントがあるそうなんですが…ちょうど工事中だったのか像がありませんでした。
また今度ですね。

たぬきの跡地
本来はここにホンドタヌキのモニュメントがあるそうです


★ニホンオオカミ像

けやき館前にあるニホンオオカミ像。
昔は瑞穂町にもニホンオオカミが生息していたようで、オオカミにまつわる信仰もあったようです。
本当にいろんな動物が暮らす自然豊かな町なんですね。

◆煉瓦製造用煙突

耕心館とサッカー場の間にあるこの大きな煙突。
煉瓦を作るための煙突なんですね。
耕心館の持ち主だった細渕家は明治以降醤油醸造業を営んでいたようですが、一時期煉瓦製造もおこなっていたようです。
当時の地場産業の貴重な資料というわけかあ。

★平和祈念碑

瑞穂町の町並みが見えるお伊勢山に建つ、平和記念碑と慰霊塔。
先の大戦でなくなった方の慰霊と平和への祈りが込められています。
瑞穂町では小学生を対象とした「平和のメッセージ」事業など長年行っており、平和の大切さを未来へ伝えています。



瑞穂町町役場

この役場通りにある瑞穂町役場。
スタイリッシュな建物ですね~。
どうしてこのデザインなんだろう?と思ったら、この建物の前面についている柱のようなものはソーラーパネルだそう。
へえ~自然豊かな町だから、環境にも配慮したデザインになっているんでしょうか?いいアイディアですね。

◆狭山谷公園

★狭山谷の天狗

狭山谷公園には天狗さんがいます。
横に昔話の内容が書いてありますが…
どうも鼻を折られて帰れなくなってしまった天狗さんのよう。ちょっとさみしそうだなあ…。
学校や住宅地の近くにあるからか、こどもたちが楽しそうに遊んでいました。こどもたちがきてくれるなら、少しはさみしくないかなあ。

ちなみに、公園内にはみずほまるの遊具があります。
尻尾の方に乗るのね。かわいい。


◆石畑御嶽神社

こちらの神社の本殿とお神輿は、町の有形文化財に指定されているとのこと。
毎年7月に行われる三地区夏祭りにて登場するそうです。

常設展に展示されていたお神輿
こんな感じのお神輿なんでしょうか?

◆神明神社

古くから石畑地区の氏神として敬われているこちらの神社。
新編武蔵風土記に記載があるものの創建が不明なんだそう。かなり古い歴史のある神社なのかな?
町のウォークラリーのポイントにもなっているようで、地元の方にとっては身近な神社のようですね。


◆福正寺

地域の豪族・村山土佐守が居館を置いた殿ヶ谷にあるお寺。
村山土佐守一族のお墓もこちらにあるそうです。
総門からの眺めは見晴らしがよく、天気がいい時には富士山が見えるそうです。

重層三解脱門
町の有形文化財に指定されている福正寺観音堂
観音堂の吹放の鏡天井には吉川緑峰の龍の絵があります
秋には周囲の紅葉がきれいに色づく五重塔

★村山土佐守像

福正寺の近くにある村山土佐守の像。
中世の武士とのことですが、どんな一族だったんでしょうか?
これからいろんな資料が発見されて、より詳しいことがわかってくるといいですね。

福正寺にある村山土佐守一族のお墓

すぐお向かいに玉林寺跡の玉林寺公園があり、そこに祭りの山車がしまってある小屋があります。
結構大きい小屋です。お祭りの山車やお神輿はどれぐらいの大きさなんだろう?お祭りの様子が気になりますね。

瑞穂町の有形文化財に指定されている殿ヶ谷の山車・神輿の小屋


●阿豆佐味天神社

延喜式にも記述がある、歴史ある神社・阿豆佐味天神社。
参道の前が青梅街道になります。街道沿いにある神社とのことで、昔はいろんな人が通っていったんでしょうか?

★火の見櫓

その青梅街道に沿って立っている火の見櫓。
もう現在は使われていないようですが、景観モニュメントとしての役割をはたしているそうです。
確かにレトロな雰囲気ある櫓ですね。

◆吉野丘地蔵堂

青梅街道を箱根ヶ崎に向かって通っていくと…道沿いにお地蔵様のお堂があります。
福正寺の観音堂の龍を書いた作者と同じ、吉川緑峰作の天井絵があるそうです。


★箱根ヶ崎時計台

青梅街道をずっと進んでいくと…Y字路に時計台が見えます。
このあたりが旅籠などが並ぶ宿場町の中心部だったんでしょうか?
もともと昭和6年に建てられ、何度か復元して今現在も残っている時計台のようですね。
ちなみに左側に続く道が古い青梅街道で、右側が新しい道路のようです。


また、時計台の横にある、こちらのお菓子屋さん「根岸屋」。
昔は街道沿いの旅籠だったそうです。
現在はおしゃれなお菓子屋さんになっていますが、今も営業しているようです。その当時の旅籠やお店が今も続いているんですね。すごいなあ~。

根岸屋の外観

ぐるっと回ってきましたが、一通り見れたかな?
モニュメントや史跡を見ることで、瑞穂町のことをちょっとは知れたような気がします。楽しかったなあ!


●東京みずほブランド

そんな都内23区からは日帰り旅できる、気軽な旅先の瑞穂町。
お土産には「東京みずほブランド」がお勧めです。
特産品の狭山茶のほか、新鮮な卵で作られたお菓子など、瑞穂町らしさがつまっています。

https://www.town.mizuho.tokyo.jp/bunka/004/p010024.html

瑞穂町が認定したイチ押しの名産品・特産品「東京みずほぶらんど」

毎年11月には、特産品のシクラメンの販売も始まります。
みずほ育ちのシクラメンも求めて、ハウスめぐりをする方もいるそう。
四季折々の楽しみがある町ですね。

●みずほブランドパンフレット


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