残像日記35
十月某日
金木犀の散る地面をじっと見る。見ればみるほど花なのだろうかと思う。ものすごくゆっくり歩いているおじさんに挨拶をすると、照れたような顔をした。道いっぱいに落ちているどんぐりを踏んでいる最中だった。
十月某日
朝ドラを見ていたら泣いてしまって驚く。
「甘えちゃった、ずっと一緒だと思って甘えちゃった」
身に覚えがありすぎて、奥底にしまわれていた感情の箱があいてしまった。たしかにみえるものに甘えに甘え、失ってしまったことがある。
十月某日
年に数回、なにかを探しつづける夢を見る。見たあとはぐったりして、探しているものはいつもみつからない。今回はパスポートだった。場所はいま住んでいる家ではなく実家で、大量の紙の山が目に焼きついている。
十月某日
ラジオやテレビで介護の話題をしていると素通りできなくなってきた。親に対して「着がえた?」「薬飲んだ?」などの必要な言葉しか使ってませんかと言われ、ハッとしたという話。先日本屋で『わたしたち雑談するために生まれてきた、のかもしれない』という本をみかけた。急ぐ話でもない、くだらないけどどうでもよくはない話ができるひとの顔をぽつぽつ思いだす。
十月某日
松家仁之『沈むフランシス』を再読する。前に読んだのはいつだったか調べてみると、二年前のちょうど今頃だった。寒くなってくると人肌恋しくなるのだろうと読み進めるも、そのような場面は淡々と読み、郵便配達人としてはたらく主人公と配達先の家の人とのやりとりが印象に残る。
卵焼きの匂い、ごま油で何かを炒めた匂い、醬油とかつおぶしのまじっただしの匂い。ごはんの炊きあがる匂い。仏壇のお線香やあたらしい畳の匂い。いろいろな匂いがまじりあう。子どもの匂いもあれば老人の匂いもある。
十月某日
川田絢音『雁の世』を読む。
霧が洩れでている
霧が事物を抜けてきたのを知っている
伏して霧に沈みこめば
ここが果てになる
そのとき 未知にふれるかもしれないが
今
湧いてくる歩行
わたしの中でなにか変化するのが感じられるまで
十月某日
ふだんはあまり行かないスーパーに肉まんぐらいの大きさのマフィンがあった。コストコのもので、チョコチップのものを百閒とひとつずつトングで取り、買う。プレーンだけ大量に残っていたのはブルーベリーやバナナナッツと同じ値段だからかなと言ったら、よけいなものが入ってないから同じ値段でいいじゃんという。その視点はなかったと思いながら「宿題やった?」「ゲームおわる時間だよ」と必要な言葉しか最近は言ってなかったことに気づく。話しかけてもそっけなくなってきたもう小さくはないひとと、もっと雑談がしたいことに気づいた。
