④『好き、は変わらない』―-隣に君がいた、あの日から―-
あらすじ
毎日同じ景色のなか、四十八歳でバツイチのイベントプロデューサー・桐島拓真は、人生の転機となる大型プロジェクトを任される。そこで出逢ったのは、子供のような眩しい笑顔を持つ二十八歳の広報担当・広野咲良だった。彼女のひたむきさと夏の香りに、拓真の凍りついていた心が溶け出していく。咲良もまた、過去の手痛い失恋から恋を遠ざけていたが、拓真の優しさと大人の覚悟に触れ、再び誰かを想う光を見出していく。仕事を通じて固い絆で結ばれ、急速に惹かれ合う二人。しかし、仕事のパートナーという立場と、二十歳という年の差の現実がブレーキをかける。胸を締め付けるほど愛おしいのに、どうしても「好き」と言えない、大人の切なすぎる両片想いの行方は――。
第三話【好きになって】は、こちらから
第四話【砂浜の告白】
「あれっ、桐島さん」
「なんか元気なさそうな……」
フリースペースで缶コーヒーを飲んでいると、田尻が声をかけてきた。
「おう、お疲れさん」
「そうでも無いけどな……」
「仕事、根詰めすぎじゃないですか」
「そう言えば、昔サーフィンやってたって言ってましたよね」
「昔だよ。昔」
「もう、何年、行ってないな……」
「次の休みにでも、行って来たら良いんじゃないですか」
「海で、仕事の溜まった垢でも流してきて下さいよ」
両手に資料を抱えながら、クスっと笑い資料室へと歩いて行った。
(アイツも、年寄りが言いそうな事を言うヤツやな……)
若い後輩に心配されてるようじゃ、まだまだ未熟者だと反省する反面、どこかに嬉しさも感じていた。
しかし、私の頭の中には……あの夜の事が離れずにいた。
二人で無言で駅まで歩いたあの日。
好き、になってしまっていた自分に気付いた夜。
好き、が伝わってしまったかも知れない……月灯り……。
なぜ、あのまま無言で駅まで歩いてしまったのか……。
今、少し仕事が手に付かない。
いや、少し以上なのかも知れない。
(田尻の言う通りやなあ。このままやとアカンわぁ。休みにでも、垢を流しに行ってみるかあ)
両手で頬を叩く力が、いつもより少し強くなっていた。
帰宅したその日の夜、物入れの奥でカバーに閉じ込められていた古い型のボードを、久しぶりに触ってみた。
懐かしい感触に心が動いた。
翌朝は、少し早めの出社をしてみた。
街中ですれ違う人々、普段とは少し違う景色の中を歩いていると、
(広野さん……)
と、すれ違う人の中に。
でもその女性からは、少し甘い香水の香りがしていた。
(気のせいやわあ……)
私はいつもと違う中にでも、彼女の事を追っている自分がいる事に、また顔を赤く染めてしまいそうになった。
会社に着くと、守衛の田中さんが声をかけてきた。
「桐島さん。おはようございます」
「あれ?今日は、やけに早い出社じゃないですか」
「田中さん。おはようございます」
「たまには、違う景色を見ながら出社も良いかなってね」
「まっ、そんな日も必要なのかもですね」
「桐島さん、今日も一日頑張って下さいね」
「ありがとう」
「田中さんも、無理せずにね」
普段はそんなに会話もする事なく、挨拶だけで通り過ぎていくのに、毎日の流れを少し変えるだけでも大きな変化に変わる。
そんな単純だけど難しい現実に、
目を向けれた事が新しい発見でもあった。
私がデスクに座り請求書の確認をしていたら、
「桐島、おはよう」
「先輩、おはようございます」
「なんか、今日は早くないですか」
「まっ、これを見てくれ」
竹中先輩は、丸く包まれた白い紙を手に持っていた。先輩は、その包まれた紙を広げて
「この前のミーティングで考えた、ラフのポスターだ」
「イベントのポスターですね」
「でも先輩、そんなのはメールで送ってくれて大丈夫ですよ」
「バカ言うな」
「こう言うのはだな、実際に目で確認しないと、ちゃんとしたイメージが湧かないんだよ」
「そうなんですね」
「俺みたいなアナログ人間は、いつまでも経ってもアナログだよ」
その言葉に、私は少し笑いそうになってしまった。
「ですね。実際に見る方が良いのかもですね」
「それ、後で伊田と田尻にも見せておきますよ」
「わかった」
「では、これは渡しておくからな」
そう言って先輩は廊下に出て、フリースペースの方へと足を向けて行った。
(伊田と田尻にメール送っとかな)
昼休み、久しぶりに外食でもしようと伊田を誘ってみた。
伊田との付き合いは長いが、一緒に昼飯を食べに行くって事は、ほとんどしてなかった。
(広野さんとの進捗状況も確認しとかなアカンしなあ)
「伊田、すぐ近くに最近出来た蕎麦屋があるんだ」
「そこに行かないか」
「新しい店、出来たんですか? 」
「社食の蕎麦も美味しいけど、たまには外も良いですね」
「先に、下で待っててくれないか」
「わかりました」
「あっ、もちろん先輩の奢りですよね」
伊田の少しニヤけた顔が、可愛らしくも感じていた。
蕎麦屋に着くと、さすがに新店。そこそこの列が出来ていた。
「たまには、先輩と飯ってのも良いですね」
「それ……奢ってもらえるからだろ」
伊田は、少し笑いながら
「今度は、田尻も誘いましょうね」
「そうだな」
「田尻とは部署が違うから、一緒に昼飯とか無かったしな」
「今は、同じプロジェクトメンバーですからね」
順番が回ってきて、店内に入り
「俺は盛り蕎麦にするけど、お前は何にする」
「俺も先輩と同じのお願いします」
「じゃ、盛り蕎麦二枚だな」
蕎麦を食べながら、伊田に
「この前に言ってた、広野さんとの段取りの件は順調か」
「はい、段取りは順調なんですけどね」
「段取りは……」とは、
「何か、他に問題でもあるのか」
「問題は無いんですけど……」
「あの時に言ってた、新しい何か……」
「それが、なかなか見つからなくて」
「そりゃ、そうだろ」
「そんな簡単に見つかったら苦労しないぞ」
「そうなんですけとね……」
「まっ、焦らなくても良いから、良い物を見つけてくれよ」
「わかりました」
「それと、先輩」
「なんか、最近疲れてませんか? 」
「なんだ、お前ら」
「この前、田尻にも同じ事を言われたぞ」
「みんな、心配してるんですよ」
「広野さんも心配してましたよ」
「そうか。ありがたい事だな」
「心配ないよ。身体は、いたって健康だよ」
「田尻に言われたんだけど、次の休みには久しぶりにサーフィンをしに行ってみるよ」
「そう言えば、昔にやってたって言ってましたね」
「仕事で溜まった垢を、海で洗い流してきて下さい」、だとよ。
「その提案は、俺も賛同しますよ」
「たまには仕事忘れて、さっぱりしてきて下さいよ」
「久しぶりの波になるからな。ちゃんと乗れるかどうかだよ……」
「しかし、ここの蕎麦旨いよな」
「ですね」
「ごちそうさまですよ」
食事を終えて会社に戻る道中には、ボードのワックスを注文している私がいた。
休みの朝。
私は注文していたボード用のワックスを手にとっていた。
ベランダに作業台を並べ、昔を思い出しながらボードのワックス手入れを始めた。
あの場所へ……。行けば……。
『何か』、がわかるのかも。
後輩には垢を流してくるとは言ったものの、その『何か』、を確かめに行くのが目的だった。
ボードを車の後部座席へ積込むと、久しぶりに洋楽を流しながら、あの場所、あの海へ、と走らせた。
天気も風も、波も良好。
何年か振りでのこのコンディションには、少し出来すぎ感を感じてしまった。
念入りのストレッチ。
(やり過ぎたら、周りのサーファーから出来るヤツって反対に思われるから程々にしとかなやわ)
久しぶりの波。
一本目から、迷いもなく乗れた。
(乗れるやん。けど、怖いわ……)
その後、何本かチャレンジしたけど乗れたのは最初の一本目だけだった。
でも何本か大コケしたお陰で、心の垢が流せたのかも。
私の中で、『何か』が、綺麗に変化していった感覚があった。
薄くオレンジへと変化していく空の下、久しぶりのサーフィンを終わらせた私は、夕陽が落ちていくのを砂浜で眺めていた。
しばらくすると、静まりゆく空の色に染まる防波堤の方から、波音と伴奏するような、微かな音色が耳に届いてきた。
音の方へ振り向くと、そこには潮風に髪を揺らしながら、若い女性が防波堤に腰掛け、静かにウクレレを奏でていた。
夕陽の輝きが、波が引いていく砂浜に光の線を写し出す。
私の足元から、真っ直ぐに伸びる光の一本道が眩しい。
気がつくと、波の音と聴こえてくるウクレレの音色が、私の瞼を自然と降ろしていた。
音と共に、心が洗われていくような。
(広野さん……)
ふと、声に出そうになった。
なんで、彼女が。
彼女の事が……。想えば想うほどに。
あの、子供のような笑顔。
少し拗ねたような時の表情。
目を閉じていても瞼の裏にはハッキリと、年下の彼女の微笑む姿が、写し出されている。
『何か』が変わった。
変わった、というより変わっている。
逃げるように避けていた恋愛感情。閉ざしていた心の扉を瞼と同時に開いた。
広野さんという存在が、今、私の目の前にある光の一本道へと繋がった。
その真っ直ぐな線は、彼女の方へ向かっている。
「好きなんやな」
「俺、広野さんの事……」
「好きやわ」
聴こえて来る透き通るような音色が、その言葉を、波と共に浚っていった。
第四話 完
第五話【あの日から】は、こちらから
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