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⑫『好き、は変わらない』--隣に君がいた、あの日から--

あらすじ

毎日同じ景色のなか、四十八歳でバツイチのイベントプロデューサー・桐島拓真は、人生の転機となる大型プロジェクトを任される。そこで出逢ったのは、子供のような眩しい笑顔を持つ二十八歳の広報担当・広野咲良だった。彼女のひたむきさと夏の香りに、拓真の凍りついていた心が溶け出していく。咲良もまた、過去の手痛い失恋から恋を遠ざけていたが、拓真の優しさと大人の覚悟に触れ、再び誰かを想う光を見出していく。​仕事を通じて固い絆で結ばれ、急速に惹かれ合う二人。しかし、仕事のパートナーという立場と、二十歳という年の差の現実がブレーキをかける。胸を締め付けるほど愛おしいのに、どうしても「好き」と言えない、大人の切なすぎる両片想いの行方は――。

第十一話【メッセンジャー】は、
こちらから

第十ニ話 【Summer End Love】

 あの夏が終わってから、数ヶ月の時が流れた――。

    冬の寒さがようやく和らぎ、柔らかな日差しが街全体に注いでいる。

 街路樹の先に見える桜の花が、そよ風と共に優しく揺れていた。

 新しい季節の気配が、確かにここに満ちている。

  春になると、人は何かを終え、何かを始めるように。

 そんな節目の季節なのかもしれない。

  昼休み。

 咲良は屋上のテラスで、手にしたコーヒーへそっと口をつけた。

 手すりの向こうには、坂道いっぱいに続く桜並木が広がっている。

 咲良は心の中で、季節と共に届くかもしれない「新しい何か」を、静かに待っていた。

  「咲良、また見てるの」

    向かいのベンチに座る早苗が、どこか楽しそうに声をかけてきた。

 咲良は少しだけ肩を揺らしながら

  「えっ? 」

 「桜のこと。本当に好きだよね」

 「うん。漢字は違うけど、同じ『さくら』だからね」

 「そっかあ……」
 「じゃあ、そのピンク色も好きなの? 」

 「えっ? 」

  「スケジュール帳に挟んでる、その栞のことね」

    早苗の視線の先には、少しだけ色褪せてはいるピンク色。
 そして、大切に形を保っている押し花があった。

 咲良は栞を見つめながら、指先でそっとなぞる。

 ――あの夏の日、最後に受け取った五本の薔薇。

 そのうちの一輪だけを、自分で押し花にしたのだ。

 季節が変わって色が薄れても、どうしても手放せなかった。

    早苗が身を乗り出す。

 「それ、本当に大事にしてるのわかるよ」

 「うん……私にとって」
 「一番、大切なものだから」

    「そういえば、薔薇って本数ごとに意味があるの知ってる? 」

 「本数に……? 」

    早苗はスマートフォンの画面を見ながら、柔らかい声で読み上げる。

 「五本はねえ――」
 「『あなたに出会えて、本当に嬉しい』、なんだって」

    その言葉が、風のように咲良の心に届いてきた。

 春風が髪をなびかせるように、心の奥底に閉じていた何かまで、そっと揺らしていく。

 『好き』とも、
 『寂しい』とも、一度も口にしなかったあの人。

 それでも確かに……。

 その言葉がなくても、全部が伝わっていた。

 咲良は静かに目を伏せ、また優しく栞を撫でる。

 人々が行き交う桜並木では、花びらが風に乗り、まるで想いを運ぶように舞い上がっていた。

  ――同じ頃。

    拓真は役員室の中にいた。

 窓辺からは、遠くに桜並木が見える。隣には、長年会社を支えてきた竹中が座っている。

 その背中も、この春を過ぎるのを境に定年退職で一区切りを迎える。

  「やっとだな、お前が部長になる日が来たわ」

 竹中が書類をめくりながら、穏やかに笑う。

      「自分でもまだ、信じられない気分ですよ」

 拓真は少しだけ苦笑いする。

    前回の大型イベントの成果が高く評価され、拓真の異例の昇進が決まっていた。

 新プロジェクトが始まる。
人事部長からは、まずは部長代理としての辞令が下りた。

 そして、竹中の退職後には正式な部長となる予定だ。

 責任は重い。だが不思議と、不安は湧いてこなかった。

 「お前なら絶対に大丈夫や」
 「もう俺の背中を追う立場やない。これからはお前が、誰かの背中になる番なんやぞ」

    その言葉が胸に深く落ちる。昔の自分なら、こんな言葉をまっすぐ受け止められただろうか。

 誰かに頼ることも、誰かに頼られることも、上手くできなかった頃とは違う。

    少しだけ……。
本当に少しだけ強くなれたのは、あの人と出会えたからなのだ。

    窓の外の日差しは、まぶしいほどに街を照らしていた。

 季節は巡り、人も変わっていく。

 だけど、変わらずに心に残るものも、確かにあるのだ。

    拓真は新プロジェクトの資料に目を通している。

    第二回、五大ドームROCKイベント
――前回を超える規模で、社内でも注目の案件だ。

  プロジェクトメンバー新体制
・総合統括プロデューサー
:桐島 拓真(部長代理)

・アシスタントプロデューサー
:伊田 聡志(主任)

・イベントリーダー
:大河 保

・広報担当
:田尻 雛

  新しいメンバーも加わった。
 
    そして、共同制作先として書かれた社名に、拓真の目が止まった。
 
 『MOVE ADVANCE』……。
 聞き覚えのない社名。

 「その会社はだな」
竹中から拓真へ、補足の説明が伝えられる。

 「あの梨本が、イベントに特化したマーケティングのベンチャー企業を立ち上げたって話だ」
 「少人数らしいがな」

 「そうなんですか……」

少し驚きながらも、

 「凄いですね。みんなも前に進んでいるんですね」

 「梨本からも、そろそろ連絡があるはずたぞ」

 「はい。楽しみに待っておきますよ」

 翌日。

 梨本からメールが届いた。

 梨本らしい、丁寧で真っ直ぐな言葉が並んでいる。
 『桐島さん、お久しぶりです。
 このたび、自分の場所で仕事を始めることにしました。
 「良いビジネスパートナーに恵まれていて、その仲間となら、新しい事にチャレンジしてみよう」
 ――そう思ったからです。
 まだまだ少人数のベンチャー企業になりますが、経験とノウハウはあります。
 こちらのプロジェクト参加メンバーは、後日改めてご連絡させて頂きます。
 今回のプロジェクトも、どうぞよろしくお願いいたします。』

    梨本からの強い熱意が、拓真を総合統括プロデューサーとしての顔へと変えていった。

 拓真は両手で頬を軽く叩き、気持ちを新たにして資料を閉じた。

  ――数日後。

    会社のエントランスには、春の風が入り込んでくる。

 今日から、新しいプロジェクトが本格的に始動する。
 拓真がネクタイを整えていると、守衛室から声がした。

    「おはようございます、桐島さん」

 「田中さんも、おはようございます」

    いつも通りの穏やかな笑顔で、田中さんが話してきた。

 「また、始まりますね」

その一言が胸に響く。
 終わったと思っていた夏の続きが、今ここに静かに再び動き始めるような感覚。

 拓真は柔らかく頷いた。

 「ええ。また、始まりますね」

 「皆、応援していますよ」

 「ありがとう」

 そう言って拓真は、プロジェクトへの決意を田中さんにも握手で交わした。

    ミーティングが始まる会議室。

 会議室のテーブルには、既に人数分のアイスコーヒーが並んでいた。

 自社メンバー四席、そして向かいには共同制作先の三席が用意されている。

    時刻が近づき、会議室の扉が静かに開いた。

 最初に入ってきたのは梨本。
変わらぬ落ち着いた笑顔で会釈する。

 「お久しぶりです、桐島部長代理」

 「久しぶりだな、梨本。今回もよろしく」

 続いて入ってきたのは早苗だった。

 「初めまして。伊藤早苗です」
 「今回のイベント広報の撮影担当をさせていただきますので、よろしくお願いします」

 「こちらこそ、伊藤さんとは初めてだね」
 「よろしくお願いするよ」

 そして……
 
 和やかな空気が流れる中、最後に一人の女性がゆっくりと姿を現した。

 柔らかな栗色の髪。

 両腕には資料を抱えている。

 彼女の、その目元の笑い方は……。
あの夏と何も、変わっていなかった。

    拓真の視線が、資料の隙間から覗く淡いピンク色に留まる。

 季節を越えても、色褪せても、ずっと大切に持ち続けられた証。

 言葉は要らなかった……。

 拓真は静かに、柔らかく微笑み返す。

    肩書きは変わり、季節も巡ったけれど──彼女の口からは、昔と同じ呼び方が自然にこぼれた。

  「桐島課長、お疲れ様です」

    拓真は訂正しようとは思わなかった。
    それが間違いだと分かっていても、その呼び方が少しだけ懐かしかったからだ。

 「広野さんも、お疲れ様」

 たった、それだけのやり取り。

 その瞬間から、止まっていた物が再び……。
 ゆっくりと、刻の流れを取り戻したかのように動き始めていく。

    時計が会議開始の時刻を告げる。

 伊田がいつものように明るく笑い、大河は緊張した面持ちで資料を見つめ、田尻は真剣にペンを走らせる。

 早苗は静かにコーヒーを口に運び、梨本が穏やかに頷きを返す。

 咲良は栞をそっとページに戻し、拓真もまた新しいページを開いた。

    いつもの仕事が始まる。
 それだけのことなのだ。

 だけど、それで良かった。


    窓の外では、今日も桜の花びらが風に舞っている。

 あの夏は確かに終わった。

 しかし、これからまた……。

 新しい夏が始まる。

けれどこの二人なら、もう大丈夫だと。

    そんな予感が、柔らかく胸に満ちていく。

 想いは、いつまでも……

 『好き』、は変わらないままに。

             了

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【お知らせ】
この物語は、もう少しだけ続きます。
エピローグで物語の完結になります。
明日、金曜日の二十一時
公開予定です。

ぜひ、最後までお付き合いして下さい。


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