⑪『好き、は変わらない』--隣に君がいた、あの日から--
あらすじ
毎日同じ景色のなか、四十八歳でバツイチのイベントプロデューサー・桐島拓真は、人生の転機となる大型プロジェクトを任される。そこで出逢ったのは、子供のような眩しい笑顔を持つ二十八歳の広報担当・広野咲良だった。彼女のひたむきさと夏の香りに、拓真の凍りついていた心が溶け出していく。咲良もまた、過去の手痛い失恋から恋を遠ざけていたが、拓真の優しさと大人の覚悟に触れ、再び誰かを想う光を見出していく。仕事を通じて固い絆で結ばれ、急速に惹かれ合う二人。しかし、仕事のパートナーという立場と、二十歳という年の差の現実がブレーキをかける。胸を締め付けるほど愛おしいのに、どうしても「好き」と言えない、大人の切なすぎる両片想いの行方は――。
第十話【それが一番で】は、こちらから
第十一話 【メッセンジャー】
季節は、秋の彩へと移り変わろうとしていた。
あの、海の日から数ヶ月……。
街路樹は少しずつ色付き始め、夕暮れには、また新たな風の匂いがしていた。
大型イベントは大成功を収めた。
予想を上回る来場者数や、SNSでの大きな反響。
そして、各所から高い評価が寄せられた。
長い準備期間を経て作り上げたプロジェクトは、多くの人の記憶に残る大イベントとなった。
今日は、その祝賀会が開催されている。
都内のホテルの会場には、関係者たちの笑い声が響きあい、グラスの触れ合う音や談笑する人々。
肩の力が抜けたメンバーや関係者たちの表情が和らいでいる。
いつもの会議室では見られない光景がそこにはあった。
拓真は手にしたグラスへ軽く口を付けながら、小さく息を吐く。
長かった……。
(しかし、こんなに大変やとは思わんかったわ)
その時、後ろから大きな手が拓真の肩を軽く叩いた。
振り返ると、そこには竹中が立っていた。
「桐島、お疲れさん」
「竹中先輩、お疲れ様です」
竹中は満足そうに笑う。
「今回のイベント、大成功だったな」
「みんなのお陰ですよ」
「謙遜すんな。お前がよう引っ張ったわ」
拓真は、少しだけ照れくさそうに笑った。
すると竹中は、グラスを傾けながら、どこか懐かしそうに言った。
「昔のお前やったら、全部一人で抱え込んどったやろな」
拓真は少しだけ目を細める。
その言葉を否定はできなかった。
昔の自分なら、誰かを頼ることも、弱さを見せることもできなかった気がする。
「でも、今回は違ったな」
「お前、ええ顔するようになったな」
不意の言葉に、拓真は小さく目を見開きながらも、
「いや、メンバーが良かったんですよ」
「本当に助けられましたよ」
「そっかあ」
「まっ、その環境を作れたのも、お前の器量だよ」
そんなことを言われたのは、いつぶりだろう。
拓真の胸は少し熱くなった。
竹中は笑いながら、別のテーブルへと歩いていった。
その背中を見送りながら、拓真は自分自身を振り返っていた。
変わったのだろうか。
自分は……と。
「桐島さん」
後ろから聞こえた声に振り返ると、田尻が歩いてきた。
以前より、少しだけ自信に満ちた表情になっている。
「お疲れ様です」
「田尻も、お疲れ様」
田尻はニコっと頰みながら、
「どうなるかと思いましたけど、広報、最後まで何とかやり切れましたよ」
「それも、広野さんの引き継ぎが本当に丁寧だったから……助かりました」
広野さん――。
その名前が出た瞬間、拓真の胸の奥が少しだけ揺れた。
「あの人、本当に凄いですよね」
「異動先でも、かなり頼りにされてるって聞きましたよ」
田尻が嬉しそうに、自慢気に話ている。
嬉しい話のはずだった……。
咲良の頑張り屋ぶりを知っているからこそ、素直に喜ぶべきなのだろう。
それなのに、胸の奥が……。
少しだけ、寂しかった。
「そうか……」
拓真は静かに頷くだけだった。
田尻は笑顔で一礼すると、別の社員の元へ向かっていった。
会場の賑わいが続くなか、拓真の視線は人混みの向こうを探していた。
少し離れた談笑する人々の輪の中に、その姿を見つけた。
柔らかな栗色の髪。
あの、穏やかな笑顔。
以前より少しだけ、大人びた雰囲気になっていた。
けれど……その笑顔は何も変わっていない。
そこには、あの時のままの咲良の姿があった。
拓真の中で、自然と時間が止まったような気がした。
咲良は設営スタッフの人たちと談笑している。
(やっぱり、人を引き寄せる魅力は変わらないなあ)
笑った時に、
少し細くなるあの目元……。
思い出すだけでも、胸の中から穏やかにさせられる。
視線を感じたのか、ふと咲良の目線がこちらへ向く。
少しだけ視線が重なった。
それは、ほんの一瞬だけだったような。
それでも、この数ヶ月の時間が静かに溶けていくような気がした……。
咲良は少し驚いたような表情をして、それから、柔らかな笑顔を浮かべた。
小さく、会釈をする咲良。
拓真もまた、小さく頷いた。
ただそれだけで、言葉はなかった。
けれど、不思議とそれで十分だと思えた。
会場には多くの人がいる。
祝賀会とはいえ、業務上のお互いに立場もある。
以前のように、二人きりで話せるわけではない。
それでも、また……会えた。
その想いだけで、拓真の胸の奥を少しだけ温かくなった。
「桐島課長」
後ろから声を掛けられ、振り返るとそこには、梨本と伊田が立っていた。
「お疲れ様です」
「二人とも、お疲れ様」
梨本は相変わらず穏やかな笑顔を浮かべている。
一方の伊田は、相変わらずどこか楽しそうな表情だった。
「いやあ、イベント大成功で良かったですね」
「本当に、お疲れ様でした」
拓真は梨本の言葉に静かに頷き、右手をそっと前に出して、握手を交わしていた。
長かったプロジェクトが終わり、確かに達成感はある。
それなのに、胸のどこか片隅には少しの空白が埋まらずに残っている気がしていた。
伊田はグラスを片手に持ちながらも、ニヤっと少し笑う。
「でも、先輩」
「何だ? 」
「さっきから……視線が分かりやすすぎですよ」
その言葉に、拓真は思わず咳払いをした。
伊田は、またニヤリと笑う。
「ほら、あっち」
視線の先には、咲良がいる。
拓真は誤魔化しきれずに、少しだけ苦笑する。
それは、図星だった……。
そんな二人を見ながら、梨本は優しく笑っている。
「また会えて、良かったですね」
その言葉に、拓真は返事ができなかった。
ただ、小さくグラスを傾けることしかできなかった。
(後輩らに、すっかり気を使われてしまってるわ)
会場の時間はゆっくりと過ぎていく。
笑い声。乾杯の音。
別れと始まりを祝う夜。
そして、祝賀会も終わりの時間が近づいた頃だった。
咲良が帰ろうと席を立ったその時に、手にしていたスケジュール帳から小さな紙片が、床へと舞い落ちた。
拓真は反射的にそれを拾い上げた。
その紙片が指先に触れた瞬間、息が止まった。
淡いピンク色……。
押し花になった、……薔薇。
少しだけ色褪せてはいたけれど、見間違えるはずがない。
それは、あの日……。
帰り際に渡した、あのピンクの薔薇だった。
時間が巻き戻っていくような。
胸の奥で、何かが静かに震えていく。
咲良も落とした事に気付き、慌てて振り返ると、その視線は拓真の手元へと向けられた。
そして……。
少しだけ照れたように笑った。
拓真は静かに歩み寄り
「咲良さん」
「あっ……はい……」
差し出した掌の上には、押し花の栞が一つ。
咲良は目を見開いた。
「落としたよ」
それだけだった。
咲良は両手で大切そうに受け取り、
少しだけ、そして……
小さな声で、
「……とても」
「……大切な物なんです」
咲良も、それだけだった。
けれど、その言葉だけで今の二人には十分だった。
何も聞かない……。
何も言わない……。
言葉にしてしまえば、大事な何かが変わってしまうような気がした。
ホテルの外へ出ると、秋へと変わる夜風が優しく二人の頬を撫でる。
「咲良さん……」
「駅まで送って行くよ」
「はい」
「お願いします……」
拓真と咲良は自然と並んで歩いていた。
以前より……少しだけ近くを。
けれど、急ぐことのない距離で。
駅までの道。
言葉は少なかったけど、それでも沈黙は寂しくなかった。
見上げた夜空は高く、いくつもの星たちが、いつもより綺麗に輝きを見せてくれている。
今日……
二人を繋いだピンクの薔薇。
あの日、言葉にできなかった想いを形に変えて、ずっと運び続けてくれていた。
それはまるで……
二人の間を繋ぐ
メッセンジャーのように――
第十一話 完
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