【第二皿】廊下を走ると「ふりだしに戻る」論理
今回のテーマは、廊下の歩き方について。 一学期の初め頃、担任の先生からこんな宣言があったそうです。
「廊下は歩きます。もし走ったら、やり直しだよ。」
やり直し?
娘(たまこ)は、その言葉の定義を測りかねていたそうですが、ある日ついにその言葉の意味を身をもって知ります。
つい、廊下を走ってしまったたまこ。
そこにはちょうど担任の先生が。
「走ったらダメだよね。元の場所まで戻って、やり直してください。」
ああ、そういうこと!?
とたまこは思ったそうです。
やり直しとは、
物理的に走り始めた地点Aまで戻され、地点Bまで歩き直す
ということでした。
私はこの話を聞いた時に、思い浮かべたゲームがあります。
それは
人生ゲーム。。。
学校の廊下は、いつから人生ゲームの盤上になったのか??
たまこは、「やり直し」をしながら思ったそうです。
???これって何の意味があるの???
先生の「お仕事」という免罪符
そんなルールが支配する廊下ですが、ある日、たまこは、ある光景を目撃します。
担任の先生が、走っている。。。
(あるある、、)
たまこは、持ち前の好奇心を抑えきれず、思わず先生に
「え、、走ってるよね?」
と言ったと言います。
(よく言ったな、、)
すると先生
「先生はお仕事で急いでるから!」
そう言い残して、先生は「ふりだし」に戻ることなく、華麗に角を曲がっていきました。
その背中を見送った、たまこの感想は、一言。
「……逃げたんだよ」
大人が掲げる「お仕事」という免罪符。 その矛盾を、たまこは「薄笑い」で見抜いていました。


トイレの恐怖と、先生の一喝
たまこが廊下を走るのには、実は切実な理由がある時もあります。
*たまこは一学期は教室へ行っていました。二学期から教室に行くことが怖くなり、相談室という場所を利用しています。
相談室近くのトイレが、彼女にとっては少し暗くて、怖い。
用を足して手を洗ったら、一刻も早く安心できる相談室へ戻りたい。 だから、トイレの出口から相談室までは、走る。 彼女にとってのそれは、「ルール違反」ではなく「避難」なのです。
ところが、その事情を知らない先生に見つかると、状況は一変します。
「走らない!!」
響き渡る、鋭い声。 たまこは「はい……」と言って、トボトボと歩いて相談室へ戻ったそうです。 「怖い場所から逃げたい」という彼女のSOSは、学校の「廊下は歩くもの」という鉄の掟にかき消されてしまうのです。
「丁寧に」を教える人の、不丁寧な命令形
たまこは、もう一つの矛盾にも気づいています。
ある日目撃した、廊下で上級生が走っているのを見つけた先生の注意の仕方。
「走るな!」
「丁寧に話そうね、っていつも言われるのに、どうしてあの先生は子どもに怖い言い方で命令みたいに言うのかな?歩こうねって普通に伝えたらいいのに、すごく怖い。」
とたまこ。
どうして、丁寧に理由を説明しないんだろう?
どうして、怖い声で命令するんだろう?
とても素直な疑問。
先生にも言い分はあるかもしれません。
もしかしたら、たまこが見る前には優しく諭していたけど、
何度言っても聞かない相手に対して、段々と声が荒くなったのかもしれません。
でも、それを見る子どもたちの目には
「走ったら怒鳴られる」
「走ったらふりだしに戻される」
という、力による管理として映るかもしれない。
そして、怒られるから、怖いからやらない、、という
本来の「廊下は歩く」というルールの目的とは違う「誤学習」を生んでしまってはいないか。。
たまこにとって、それは「納得」からは程遠い世界です。
目的と手段のすり替わり――先生もまた「ルール」の迷い子?
結局、このルールの目的は何なのでしょうか。 本来は「みんなが安全に、怪我なく過ごすため」のはず。
そのための「手段」として「廊下は歩こう」という約束がある。
けれどたまこから聞いた学校を見ていると、いつの間にか「廊下を歩かせること」自体が目的(ゴール)になってはいない?
走っている子を見つける。 注意する。 ふりだしに戻す。
その一連の流れは、まるで「パブロフの犬」のように自動化された反応に見えます。先生たちもまた、「走る=指導しなければならない」という「ねばならない」に縛られてしまっているのかもしれません。
でも、これって先生も相当しんどいと思うのです。
だって、子どもは走る生き物だから。
「早く外で遊びたい!」
「友達と盛り上がった!」
「トイレが怖くて一刻も早く逃げたい!」
そんな子どもたちの溢れ出す衝動や切実な理由をすべて想像し、その都度「これはOK、これはNG」と判断を下すのは、確かに至難の業ですよね。
だからこそ、効率的に管理するために「一律のルール」を「強い命令形」で叩き込む。
そうすることで、「正しく指導した」という安心感を得ている先生もいるのかもしれません。
「走る」の裏側にあるもの
けれど、たまこが見抜いているように、子どもたちは「なぜ歩くのか」という意味はちゃんと分かっています。分かった上で、それでも止まれない「理由」が、その足には宿っている。
強い言葉で叱らなくても、
あ!歩くんだった!
ということを思い出してもらうことはできると思うんです。
もし、先生たちの心の片隅に、ほんの少しの「想像力の余白」があったなら。
「あの子、あんなに急いでどうしたんだろう?」
そんなふうに、表面上の「走る」という行動の裏側にあるものを、見ようとしてくれたなら。
「走るな!」という怒声の代わりに、
「おっと、急いでるの?気をつけてね」
という言葉が交わされる廊下だったなら。
そんな廊下であれば、たまこも「ふりだし」に戻る人生ゲームに参加するのではなく、自分の足で一歩ずつ、納得して歩を進められるのかもしれないなと思います。
また同時に先生も「ねばならない」から解放されて、やわらかい学校の空気感が醸成されるかもしれないとも。
さて、、
先生の注意に怯えているたまこですが……。
実は彼女、先生が周りにいないことを見計らい、お友達とキャッキャしながら廊下を走り、相談室の手前でスッと歩く、なんてこともしているそうです。
そんなたくましい子どもたちに、私は密かな頼もしさを覚えるのでした。
いくら軍艦
(次回予告)
廊下のルールを鼻で笑う今のたまこ。
昔はもっと完璧主義で、無理が体にまで出ていた時期もありました。
自由な幼稚園を経て、再び「型」のある小学校へ。
汐見稔幸先生著「本当は怖い小学一年生」を読みながら、当時の様子を少し振り返ってみます。
**【第三皿:かっこいい1年生】**へ続きます。
