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響谷薫はなぜマスネを弾くのか──「まんが家マリナ」の音楽世界

あの「まんが家マリナ」が31年ぶりに復刊された。

集英社コバルト文庫で絶大な人気を誇り、累計 700 万部を売り上げた藤本ひとみの大人気シリーズ。三流少女まんが家でメガネっ子のマリナが、取材のたびに事件に巻きこまれ、美少年たちと謎にいどんで大暴れするロマンティック・ミステリーである。

1992年、12歳という多感な年に、私はマリナに出会った。そして、マリナのタフな精神と、歴史への深い造詣に裏打ちされた華麗なる世界に大きな影響を受け、いま作家として生きている。感無量の心持ちで、一日中そわそわ過ごしていても仕方ないだろう。

「まんが家マリナ」を形づくる要素のひとつこそ、クラシック音楽だった。そこで今回は、メインキャラクターであるマリナ、薫、シャルルの公式イメージソングを取り上げ、物語が誘う音楽世界をご紹介したい。


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1.  モーツァルト:ロンド ニ長調 K.485(6/2放送分)

1786年、30歳のモーツァルトがシャルロッテという名の令嬢のために作曲したロンドである。アレグロの4分の4拍子、主要なテーマはシンプルだが、前打音を付加した弾むようなリズムで仕立てあり、明るくてかわいらしい。

この曲はずばり、「まんが家マリナ」シリーズの主人公マリナのために、ひとみ先生が選んだイメージソングだ。出典は1987年にリリースされた『ロマントリップ 愛からはじまるサスペンス』(日本コロムビア)。風戸伸介によりジャズ編曲された「マリナのロンド」として、同曲が収録されている。*1

マリナは曲のイメージどおり、明るく人懐こい。肩書きは三流だし、いつも金欠で時々いいかげんだが、とにかく友人に恵まれている。何事にもめげない彼女の強さと、生きることへの揺らがぬ肯定が、出会う人たちを魅了し、救ってきたからだろう。

当時のCDブックでは、コメディエンヌとして人気絶頂の林原めぐみがマリナを演じていた。後年、彼女にインタビューする機会を得て、マリナへの愛を告白したことがある。「もっちろん、覚えてるよお!ありがとう!」という台詞があまりにもマリナで、涙がにじんだのもいい思い出だ。*2

ご紹介した音源は、『モーツァルト・カラーズ 100』にも収録したイングリット・ヘブラー。考えてみれば、自由で奔放なマリナは(才能以外は)モーツァルトの人物像とも重なる。イメージソングがモーツァルトなのも、私が好きになるのも納得なのである。


2. マスネ:タイスの瞑想曲(6/3放送分)

1894年初演のオペラ《タイス》第2幕で奏でられる、ヴァイオリン・ソロとオーケストラ(あるいはピアノ)による間奏曲。娼婦タイスが愛する修道士の説得で信仰に目覚めていく、葛藤と回心を表現している。甘美でセンチメンタルな旋律が特徴で、ヴァイオリニストの定番レパートリーのひとつになっている。

この曲は、シリーズ第1作『愛からはじまるサスペンス』から登場するヴァイオリニスト、響谷薫のイメージソング。前述のイメージアルバムに、「薫・愛のテーマ」として収録されている。

マリナの“最初の事件”である『愛からはじまるサスペンス』は、崖っぷちで「音楽大河ロマン」の執筆を目論むマリナが、旧友である薫が通う音楽学校に取材に訪れるところから幕が上がる。

響谷薫は複雑な人物である。マリナの元同級生で、いわゆる男装の麗人。2013年に刊行した『マンガと音楽の甘い関係』にも引用した、マリナの言葉をご紹介しよう。

 響谷 薫、なぞの麗人。
 肩までの褐色がかった巻毛、通った高い鼻に秀でた品のいい額。見事なバラの花びら型唇、そして、きわめつけは深くくすんでいるためにうっすら青みをおびたようにみえる大きな二つの眼。(中略)さかのぼれば平安時代まで明らかという名家で、しかも父親はドイツ・オッフェンバック・フィルハーモニー楽団の常任指揮者、母親は主にフランスで仕事をするという名ピアニスト、その兄上は私立音大教授という、芸術ご一家であった。
 そのせいか、どことなく異国的で、華やかで、退廃的な甘いムードを持っていて、あたしはしばしばそんな彼女に見とれたものだった。

藤本ひとみ『愛からはじまるサスペンス』

まさに「クラシックの王子様」を体現するスペックだが、その言動はニヒルでノリがよく、男前だ。そして、その胸の内には許されない相手への恋という葛藤を抱えている。その二面性や葛藤が、おそらく「タイスの瞑想曲」につながっているのだろう。

薫は、第1作の悲劇的な事件を経て学校を退学し、ヴァイオリニストとして成長していく。シリーズは、音高生だった彼女がプロとして羽ばたく音楽小説の側面もある、と私は考えている。

作中には、彼女の演奏シーンも多い。薫がグノーのアヴェ・マリアを弾くのを聴いて、マリナが「彼女の内面は案外ロマンチックなのかも」と評する場面もある。

また、たとえば1990年刊の『愛する君のために』では、当時デビューしたばかりの実在のピアニスト、エレーヌ・グリモーが登場したりする。インターネットなき時代、私はそのたびにレコードショップに走り、登場アーティストのアルバムを探したものだ。

そういうことをくり返しながら、私は音楽を学んでいった。「マリナ」は私にとって、近所の物知りなお姉さん的存在でもあったのである。


3.ショパン:ノクターン op. 9-2(6/4放送分)

1831年頃に作曲された、優美で甘やかなノクターン。ショパンのノクターンの中で、おそらく最もポピュラーな1曲だろう。主題が繰り返されるたびに華やかな装飾が施され、全体にロマンティックな情緒が漂う。

この曲は、第2作『愛の迷宮で抱きしめて』から登場する天才、シャルル・ドウ・アルディのイメージソングである。やはり前述のアルバムに、「シャルル★ノクターン」として収録されている。

「まんが家マリナ」シリーズには、個性的なハイスペ男子たちが次々登場し、たくましいマリナに恋をするのだが、その男子たちのなかでトップの人気を誇ったのが、このシャルルだった。

フランスの名門貴族アルディ家の直系で、IQ269の天才。クールできわめて繊細な性格で、人嫌い。決めゼリフは「たとえ太陽が西から昇っても、このオレに間違いはない」。おそらくこの、圧倒的オレ様感が思春期の少女たちのハートに響いたのだろう。

彼のテーマとしてショパンが選ばれた理由は、その優雅さと孤独さ、の2点だったに違いない。ショパンが活躍した「パリ」という舞台も関係していたかもしれない。

しかしなにより、ひとみ先生がショパンへの愛を公言していることから、そこにいくばくかの自己投影があったのではないかと私は考えている。シャルルはおそらく、作者にとって書きやすい=自分に近いキャラクターなのだと思う。後年、彼が「鑑定医シャルル」として一般書でも活躍しているのは、人気以上にそこが決め手だったのだろう。

シャルル自身もまた、ピアノを弾く。上流階級に所属するシャルルと響谷薫には、幼少期の音楽的因縁があり、いまも犬猿の仲だったりする。ある階級にとって、クラシック音楽がどういう存在であるかという現実も、私はこのシリーズで最初に学んだ。「まんが家マリナ」から学んだ歴史や音楽、欧州事情やフランス語を挙げたら、枚挙にいとまがない。世界を深くまなざすことを、「マリナ」は与えてくれた。

モザンビーク内戦に巻き込まれ、人道支援から医療の道へと進むシャルルの姿にはやはり、祖国のために闘ったショパンの音楽がふさわしい。いま読み返せば、ひとつひとつの設定に思いが込められているのがわかるだろう。

本を再読する喜びは、そんな視点の変化にもある。いとしさを抱きしめながら、新しい発見の旅に出たいと思う。

おかえりなさい。そしてよろしく、私たちのマリナ。




(2026/5/11、6/19加筆)

※本稿は、JFN系列のラジオ『Memories & Discoveries』で6月に放送した「まんが家マリナの音楽世界」に加筆したものです。

脚注:

  1. イメージアルバム(Image Album):
    映画、アニメ、マンガなどの制作初期段階において、キャラクターや物語のイメージを元に制作される音楽アルバムのこと。映像作品の場合も、劇中で使われるサウンドトラックとは異なる独立した音楽作品として作られた。藤本ひとみの場合、1980年代には日本コロムビア、1990年代には東芝EMI(現ワーナー)から多数リリースしている。

  2. CDブックのキャスト:
    CDブックとは、原作エピソードをそのまま用いたドラマCDのこと。オーディオブックとは異なり、音声用に再構成されたシナリオを複数のキャストが演じる。マリナのCVの初代は横沢啓子さんで、アニメ『はいからさんが通る』の紅緒役で知られる方だということを早見沙織さん(二代目紅緒)が教えてくれた。
    ちなみに早見さんは、「マリナ」のキャストにも興味津々で、シャルルを緑川光さん(『シャルルに捧げる夜想曲』)が演じたことに深く納得していた。薫から「男装の麗人」の歴史についても盛り上がり、演じたいと熱く語っていたので、早見沙織の新機軸としてめちゃくちゃ期待している。

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高野麻衣 読んでいただきありがとうございます。新しい「物語」のため、大切にします。

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