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一年前のことを書く日記

昔のことばかりおぼえている。
過去へ伸びた思考の長さとおなじくらい未来へと夢想できたらすてきだけれど、そうはならない。
ワーキングメモリの容量は生きかたに影響をあたえる。というより縛る。大きければしあわせということでもないようだ。

そんなだから、とりとめもなくナチュラルに過去のことを思い起こしてみる。
一年前のことはどうだろう。
『日記』とタイトルにつけたけれど、一年前のことを思い起こして書くものをはたして『日記』と呼べるのかはわからない。



まずは、祇園祭の前のある日のこと。

2025/7/14 京都、四条通り室町西入

雨の合間だった。
ビルケンシュトックの路面店ができたと知って買い物に行くつもりで烏丸駅を出ると、立派な長刀鉾が路肩にそびえていた。
この時期は、四条通りをどちらへ行ってもいろいろな山鉾に出会える。
室町西入まで歩くと月鉾があり、まるで月鉾を見る施設かのようなカフェがあったので、休んで月鉾を見た。
注文したレモンのケーキは甘くて、月鉾の意味を考えながら少しずつ食べた。
ずいぶん月鉾を見ていたけれど、食べ終えても月鉾の意味についてはわからなかった。
私にはなにもわからなかったのでかなしかったけれど、月鉾は美しかった。
サンダルと、マケラが表紙の音楽の友と月鉾のポストカードを買って帰った。


そして、ある日の空のこと。

2025/7/19 京都

夏でしかない、という姿の雲を見た。
雷恐怖症だけれど、入道雲は好きなのだ。

見ていて思い出した話。
ちいさな子どもの頃、飛行機の窓からもくもくのぶ厚い雲を初めて見て、きっと飛び降りたらふかふかっと受け止めてくれるのだろうとわくわくしたのをおぼえている。
飛び降りさせないでくれて、まわりの大人のひとたちその節はありがとう。


そして、届いたCDのこと。

2025/7/25 ジョナサン・ノット&東京交響楽団
『ベートーヴェン:交響曲第2番&第5番』

メーカーから直接届くと、宛名シールの品名の欄にきちんと『ベートーヴェン:交響曲第2番&第5番』まで書いてあるのがツボだった。
配達員さんには余剰すぎる情報だろうから発送する側の段取りの問題なのか、ともあれその律儀さが私は好きだった。
中身はもっと好きだった。
いつかじぶんの聴いた演奏がCDになるといいな、と夢見たけれど、このCDを聴いただけでごく個人的でちいさな夢はすでにひとつ叶っていたのだった。


そして、届いた本のこと。

2025/7/29 ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ詩集 第2巻

ウィリアムズの詩集の原書を探していたら、お手頃価格でメルカリにあった。
第2巻しかなかったけれど、読みたかった詩はここに収録されていた。
翻訳があまり好みのタイプではなかったので、じぶんで訳したかったのだ。
そうしてできた和訳は、あんまりセクシーだからもったいなくてここには書けません。
とにかく原書はすてき、すばらしい。
これを日々セクシーに訳して互いにくりだしては相手を悶絶させる日々を送って暮らせたらいいのに。
浮世を離れて霞を食べて、そんなことだけして夢のように永遠に暮らせたらいいのに。
そんな空想をしながら、ランダムにページをめくるための本。大切な。


さて、結ばなければ。
私の昨年の7月は、こんなふうに過ぎ、思い出された。
ほんとうは継ぎ目なくつねに思い出されているけれど、記録にすることでこれはなにになったのか?
日記という形式は、その日あったことや思ったことを忘れないように書く。
これはその日でもなければ忘れないようにでもないから日記でないとすれば、おそらく風に飛ばす手紙みたいなものだろう。
どこかには飛んでいって、現在に過去をひらく。
そこで明かされるものは、たとえ受け取り手の見えないままでも、たしかに届くことを予感している。


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