WAIS-Ⅳ(成人知能検査)を受けたら自分がわかった話
WAIS-Ⅳ とは / なぜ受けたか
思うところあって、WAIS-Ⅳ(ウェイス/Wechsler Adult Intelligence Scale)と呼ばれる成人知能検査を受けた。
大きくはIQを測る検査なのだけれど、私の目的はその検査でわかる認知特性のほうだった。
自分の脳の "得意と苦手" を数値で可視化できるので、その傾向から困りごとやこれからの生きかたを考える良い資料になる。
まあ、ようするに悩みすぎてよくわからなくなり、いったん脳の中身をテーブルに全部ならべてみよう、という試みだった。
(脳と悩って、へんが違うだけなんですね。肉体と心……心脳問題へのひとつの答えがここに)
とにかく。
受けた結果をもとに心理士さんとお話を重ねて、これまでの生きづらさやこれからの生きかたをちょっとずつでも具体的にしていければいいな、と思ったのだった。
(以下、受けたときの話と受けてわかったことを書きますが、ものすごく個人的な感想なのでこれから受ける方の参考にはならないかもしれません、ごめんなさい)
わかったこと① IQっていうか、自分は自分でしかない
まずWAIS-Ⅳを受けたとなれば「で、IQはいくつ?」という話題になるのだけれど、なんだか居心地悪いので明言は避けようと思う。
パーセンタイルとしては「上位数%」に入るので、一般的には高いと言えるのだと頭ではわかっている。
それでも私は、そう言えないし思えない。
数値化されて、あなたは分布図のここにいます、と示されても、自分を低くみる癖が抜けない。
そんな私をみて心理士さんは笑いながら、「いや! 高いので! 平均より上なので!」と、力強くツッコんでくれる。
でもIQなんて一時的で相対的な数値でしかないし、自分が天才じゃないことははじめからよく知っているので、やっぱり「いえ、でも私は末席ですから…」とか言うくらいしか思いつかないのだった。
けっきょく、自分は自分でしかない。
わかったこと② だけど思ってた得意と不得意はむしろ逆
検査を受ける前に、心理士さんに "得意と苦手" を聞かれたので「(学校で言うところの)得意は国語、苦手は算数」と答えた。
結果は、思いっきり逆だった。
WAIS-Ⅳでは以下の4つの指標を測る。
言語理解(Verbal Comprehension Index/VCI)
知覚推理(Perceptual Reasoning Index/PRI)
ワーキングメモリ(Working Memory Index/WMI)
処理速度(Processing Speed Index/PSI)
ざっくり言えば、「国語」は言葉の理解力や語彙をみる言語理解、「算数」は暗算や数の並びを扱うワーキングメモリに近い。
けれど私は、4つの指標のうち言語理解がいちばん低く、ワーキングメモリがいちばん高かった。
受けたときの体感としては、脳が沸騰するかと思った暗算や詠唱がいちばんできていて、むしろ余裕で答えた言語の問題がいちばんできていないのだから、わからないものである。
そして私はというと、ここしばらく『書くこと』に生きようと真剣に模索してきた。
というか、申し遅れましたが私はテクニカルライターで、じつはもうすでに書いて生きているので、これにはちょっと立てなくなるくらいショックだった。
ごめんなさい、もう文章なんて書きません…と机に伏しながらちょっとだけ思った。
(『書くこと』とテクニカルライティングは私の中では意味合いが違うのだけれど、それはまた別のお話です)
わかったこと③ 逆転の理由
でもそれだとアイデンティティが崩壊して二度と立ち直れなさそうだったので、いや待てよ、と冷静に考えた。
どうして、逆転は起こったか?
この言語理解を測る検査は、口頭で出された質問にすばやく口頭で答えるという形式をとる。
私はじぶんで知っている。
過去に、こう書いているのだから。
『私は話すのが苦手だし、自分の中にあるほんとうの思いは書かないとあらわすことができない』
https://note.com/_mori_rei/n/n1485f3ab0ede
もちろん口が上手ければ良いだけの検査ではないのだけれど、書けばできることも口頭で答えることで精度が落ちてしまうのは避けられない。
だからこそ私はじっくり考えて書くテクニカルライターなのだな、と妙に腑に落ちる場面でもある。
ほんとうは、数値でいえば言語理解だって平均より上なのだけれど、私の場合、ほかの3つの指標が大幅に高く出ている。
この凹凸が生きづらさの原因になる。
(指標間で数値にして15以上差があるとその傾向があると言われていて、私は18差。ちなみにWAISでわかるIQ(FSIQ)は4指標の数値をもとに算出するので、指標間の差が大きい場合はFSIQだけを重要視しないほうがよいという見方もある)
ずっと感じてきた「思考に言葉が追いつかない」という違和感も、ここから来るのだろう。
心理士さんいわく、「高い記憶力から来る豊富な語彙量がじゃまをして伝達効率を落としている」という、いやそれシステム破綻してますよね…ということになっているらしい。
つまり私は、「広い倉庫と作業場のある工場にちっちゃい搬出口がひとつしかない」ような、「高性能エンジンを積んだスポーツカーのナビが全ルート出してきてどれも大事と主張する」ような、わかりやすい例えがあふれ出るほどの不器用な仕様になっていたのだった。
わかったこと④ だからこそ、私は書くしかない
そう考えるとむしろ私は、言語理解以外の3つの指標をフルに『書くこと』に注ぎ込んでいて、そうすることで救われてきたのだと思う。
ちなみに、ほかの3つの指標の役割は、私の場合だとこうなる。
知覚推理 → 構造把握/パターン予測/先読み
ワーキングメモリ → 映像記憶/文脈保持/情報操作
処理速度 → 選別/視覚スキャン/マルチタスク処理
これらの能力の複合技は私固有のもので、この指標をまたぐようにしてメタ認知力やテクニカルライティング技術が影響を与えている。
これが総合して、私独特の「書く能力」を形作っているようだ。
私が、書くのが得意でこれくらいしかできることはないとすら思っていたのは、きっとほんとう。
でもそれは才能というより苦肉の策で、そうすることでしか生きてこられなかった、ようするに生存戦略だったのだと思う。
テクニカルライターという職業を選んだのも、自分の脳がそう求めたからなのだと今ならわかる。
つまり私は、書かなければ生きていけない。
「書くしかない仕様の人間」ということだ。
だから、一瞬は揺らいでしまったけれど、私はこれからも『書くこと』に生きていこうと改めて思う。
以前は妙な使命感をもって「書かなければ」と思い詰めていたこともあったけれど、今はまずふつうに自分のために、自然に生きるために、書いていきたい。
そして欲を言えば、そうして書いたものが、小さくても何かや誰かのためになってくれたら、と願う。
自分ではわからないけれど、もし私のこれまでに書いたさまざまを読んでくださった方々が、なにか不思議さやひっかかりのようなものを抱いてくださったとしたら、それは言語の外から全力で言語をやろうとしていることのあらわれなのだと、そんなふうに思いたい。
少しだけふつうと違う脳が悩みながら書いたものが、どこかで読まれているというだけでほんとうにありがたくて、長々と書いたけれど最後まで読んでくださってありがとうと、いま心から思います。
ほんとうに、ありがとうございます。
あまり伝えられないけれど、いつも救われています。
おまけ:ララァかと思っていたらシャアだった話
心理士さんからのアドバイスに「あなたのふつうは他人の3倍速と思うこと」とあった。
…シャアじゃん。
私はわりと人の考えてることがわかるので「私はララァなのかも?」とうぬぼれていたけれど、じっさいはシャアのほうだったのだ…
ニュータイプに憧れて、なりたくてなれそうでなれなくて、こじらせてしまう彼に、いまはもう親近感しかない。(ファーストガンダムわからないかたスミマセン)
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