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「あなたは『クマ騒動』を覚えていますか?(12月27日)」

【対応を問う】 熊と自然と人口減少と2050年の国内  (無糖缶さま/著)

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1.クマ騒動を振り返る。

今年の晩夏あたりから、都市の周辺部へクマが姿を現し、人間とのトラブルに発展するケースが多く報道された。
どうやら、高齢化と過疎で住む人がいなくなり、荒れるに任された山村にクマが入り込み、境を隣接させる都市部周辺へと姿を現したようだ。

日本の人口減と打ち捨てられた限界集落に焦点を当てて報じられたので、かなりセンセーショナルに受け止められたのを覚えている。

視聴者の反応に味をしめたのか、マスコミがクマにテーマを絞って連日に渡り、類似の事件を大きく報じたこともあって、すっかり私たちの意識に『クマは怖い。危険なクマはすぐに処分すべき!』というパニックにも似た世論を生じさせていた。

詳しい数値は『環境省/クマに関する各種情報・取組』に公告されているので、ご興味がおありの方は、ご覧ください。
https://www.env.go.jp/nature/choju/effort/effort12/effort12.html

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今、冷静に『クマ騒動』を振り返ってみると、この件については、ニュースで報じられていることは事実であるが、あまりにも『一方的にクマばかりが"悪"とされ過ぎている。』ように感じる。

もちろん、人間の命を奪ったり、物心ともに深傷を負わせたことは責められるが、クマを始めとする野生動物が、都市部周辺に入らないための防波堤となっていた山里を放棄したがために、自由に入って来られるようにしてしまったのが、一連の『クマ騒動』の真の原因ではないのか。

そこを見ずに、クマを非難し一方的に嫌うのは、あまりに無知が過ぎると感じずにはいられない。

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2.山里の役割

かつて私たち人間は、人里の背後に迫る山に『山の神』を見出し、山の幸を得るために山の近くに住んでいた。これが「山里の成立」である。

電気もガスもない時代は、昔話の情景そのままに《山へ芝刈りに》出掛けては、日々の煮炊きの『かまど』の燃料を得ていた。
山里では、燃料得るために山に入っては、木々を間伐することで、適度な山林環境が保たれ、今日では高級食材となった松茸も、豊富に採れていたという。

また、山里には『マタギ』と呼ばれる猟師がおり、生業に鹿や猪、クマを狩る事で、樹木と同じく適度な間引きの効果があったのだ。

こういった山辺の営み、山村の存在が、人間の多く住む都市部と、野生動物が生きる山との緩衝地帯の役割を果たして、野生動物が都市部まで侵入することを防ぐ役割も果たしていた。

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(都会の真ん中でいきなりクマさんと鉢合わせ!
「これはクマったな(困ったな)!」と、
おやじギャグを飛ばしている場合ではない。
(MIYABI談))

3.どうやって、クマは都市へと入ったのか。

ところが、高度成長期に起こったエネルギーシフトは、それまでの《山へ芝刈りに》の生活を、便利な石油由来のものへと変えてしまう。
山から刈り取ってきた竹や樹木、それら樹皮などから手作りしていた生活雑貨も、石油資源から作られる大量生産の安価なプラスチック製品に圧倒されて姿を消した。

しかも高度成長期には、効率を追い求めた大都市への一極集中で、自然との境界線となっていた山村からも、村の将来を担う若年層の流出で過疎化が進み、残された高齢者だけでは村の維持が困難になり、やがて廃村への流れが生まれる。

放棄された山里は、人間の生活の場としての機能が失われ、山と都市部の周辺部とがフラットに繋がってしまったのである。

つまり、山の野生動物は、かつて山里だった廃墟を自由に闊歩し、その土地に隣接していた都市の周辺から、人間のテリトリーへと侵入、そこで私たちといきなり遭遇し、報じられている通りの事件となったと見るのが妥当である。

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マスコミの報道姿勢では、こういった経緯に全く目を向けずに、単純な善悪だけで状況を切り取り、あたかもクマが勝手に振る舞ったことが悪と断定している。

だが、彼らクマの代弁をさせてもらうなら、
人間こそ、かつてクマが生活の場としていた山に分け入り、山里を作ってクマの生活圏と食糧を奪った挙句、今度はそこを放棄して去って行った。

クマとしては、人間の姿が消えて、山里が原野に戻りつつあるので、クマの生活圏を人間がくる以前に戻そうと出歩いていたところ、人間が暮らす場所との境界に足を踏み入れてしまった。
そこで人間と偶発的に衝突してしまい、それが『クマ騒動』として報道されるに至ったというのが一連の経緯である。

彼ら、クマが人語を解したなら、きっとこう言うであろう。
『自分勝手なのは、我々クマではない。人間たちにこそ、非がある、』と。

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4.限界集落の問題とクマ。

ここまでお話ししたクマと人間とのお話しに関連して『限界集落』の問題も浮上する。

辞書で引くと、限界集落とは、集落の過疎化や少子高齢化が進み、人口比率の50%以上が65歳以上を占める集落。
限界集落の「限界」とは、過疎化・高齢化の進行により、農作業や生活道路の管理、冠婚葬祭など、社会的共同生活の維持が困難、限界になりつつあるという意味がある、と解説している。

また、今後は規模の比較的大きい地方都市であっても、高齢者が占める割合が高く、その維持管理が難しく、限界を超えて消滅するというショッキングな予測もある。

そこで、行政の効率化を念頭に唱えられた政策が『スマートシティ』構想である。
ここでは、限界に瀕した地方を維持し続けることが非効率とされ、土地を放棄して大都市へ移住させようとする施策である。

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確かに、人をまばらに分散させて住まわせるよりも一拠点に集中させるほうが、かつての高度成長期の東京の発展の例を見るように、行政や物流などの効率化が図れるのは間違いない。

しかし、『クマ騒動』に見られるように、大都市の周辺部から入り込んで来てしまうクマを始めとする野生の生き物と人間との接触によるトラブルをどうするのかと思う。

まさか、中世の西洋に見られる『城塞都市』を模して、畑や家畜ごと高い城壁で囲み、周りには深い水堀を切って、門番を立てて城門を固く閉ざし、その中で暮らすのか。

効率化だけを追い求めた挙句、高度成長期の東京への一点集中が、今日の地方の高齢化と過疎の遠因となっているのではないのか。

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5.クマ騒動と今後の都市計画

今回の『クマ騒動』は、単にクマと人間との問題に留まらず、さまざまな矛盾を私たちの目の前にあらわにしてくれたと、私は考える。

日本人の自然と共生するという古来からの知恵や祖先の暮らしを振り返るにつれ、
非効率な地方を諦め、過疎の人口を大都市に集めて効率化を目指す『スマートシティー』に舵を切るのは良策とは思えない。

ここは、都市への一極化は、是が非にでも避けたい。首都と地方を対等な間柄として地方に権限を待たせ、独自色豊かな衛星都市と首都で構成される「連邦制」あるいは「合衆制」へと活路を見出してみてはどうかと考える。

巨人族の襲来に怯え、巨大な壁を築き、その中で身を縮こませて怯え過ごす空想世界『進撃の巨人』の世界。
あるいは動物ではなく人間の方が檻へと入って野生動物に襲われないように過ごすサファリの窮屈さを日々、日常で追体験をしたくないものである。

いよいよ冬らしく、凍える日々が増してきた。クマたちが人間の勝手に振り回されず、冬を眠りの中で、安らかに過ごしていることを願う。

今日も、良い一日になりますように。
(🎹MIYABI)


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Special thank:
  無糖缶  さま

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