第1部_#1 恋という名の「光の檻」
「僕は、滅多に人は褒めないけど、君は褒める。最高だよ。」
2007年2月、表参道。
孫正義氏からその言葉を受け取った時、
雪の脳裏に蘇ったのは、あの「石垣島の青すぎる海」だった。
「太陽」を背負った男
1991年、東京、青山。
路地裏の小さな設計事務所で、雪は製図板に向かっていた。
「お邪魔します」 振り返ると、そこには太陽をそのまま背負ってきたような男が立っていた。カジュアルメーカーの店舗開発の担当者さん。
GREGORYの赤いバックパック。
RED WINGのブーツ。
そして地響きのような「ガハハハ」という笑い声。
冷房の効いた事務所に、彼が持ち込んだ圧倒的な熱量。
雪の胸に、眩いほどの光が差し込んだ。一目惚れだった。
仕事現場で会うたび、「いた!」と弾んだ。
しかし、表情は平静のまま、「お世話になっております」と頭を下げる。
小さな設計事務所にとって、彼は年間何十店舗も出店する大事なお客様だ。
雪は距離を保ち、少し冷めて見ていた。
赤いバックパックの引力
それから半年ほど過ぎた、ある日の仕事終わり。
「時間ある? メシ?」
右手の指を箸の形にして誘う彼のおどけた仕草に、雪は思わず吹き出した。
居酒屋でボブ・マーリーの話題で盛り上がり、夜が深まった頃、「部屋に映像があるからおいでよ」という誘いに、雪はついていった。
彼が背負う赤いバックパックの、「自由」という名の引力が、あまりに強かったから。
いつしか雪は、彼を「ふーちゃん」と呼ぶようになった。
ふーちゃんは、それまで雪が出会ったどんな男とも違っていた。
でっかい声で笑う。
彼の周りには常に友人の輪があり、笑いが溢れていた。
そして豪快におならもする。
雪は魅了された。
自由だった
幌を外したボロボロの赤いジープで走る彼は、最高にかっこよく見えた。
キャンプも、フライフィッシングも、スキーも、写真も、なんでも上手だった。
そして、そのすべてを、雪に教えてくれた。
下道を走らせて九州の天草へ、ついたのは4日後だった。
群馬県の野反湖まで自転車で200キロを走った。
峠越えで、泣きそうな雪を、彼は振り返らずにビュンビュンと進んでいく。
青山の設計事務所をやめた雪は、フリーのデザイナーとして適当に稼ぎながら、バックパックを背負って世界をふらふらと巡っていた。
時は、まだバブルだった。
ある日、お世話になっていた会社の社長から「タイ・バンコクに行かない?」と声をかけられた。
二つ返事で飛び出し、雪は数か月間、デザイナーとして滞在した。
シーロムのホテルのスイートルームに泊まり、図面を書き、竹で組まれた足場の現場に通った。
タイバティックの布を腰に巻き、トゥクトゥクに乗る。
気がつけば、タイ人に間違われるほど、バンコクの街に馴染んでいた。
数ヶ月して雪は帰国した。
ある日、彼が尋ねた。
「俺、会社辞めてもいいと思う?」
当時の雪は、それを自由を求める無邪気な問いだと思い、深く考えずに『いいんじゃない』と笑って答えた。
そして、彼は会社を辞めた。
彼にとっては初めての海外だった。
数か月かけて、ふたりはアジアを巡り、カオサンの喧騒に身を任せ、列車に揺られた。
宿が変わるたび、彼は小さな部屋をスケッチしていた。
妹尾河童さんを真似たその絵は、驚くほどに上手だった。
当時、まだ未開発だったサムイ島。
葉っぱで葺かれたコテージで、朝日を浴びて目覚め、そのまま海に飛び込む。
昼寝の合間にビールを傾け、ただ過ぎていく時間を眺める。
時間はゆるやかに流れ、世界のざわめきは遠く、雪はただ光と水と風に身を任せて過ごした。
インドネシアのギリ島に辿り着いた頃には、 あまりにも心地よすぎるその「没落」に、すべてを預けてしまいそうになっていた。
いつも彼がいた。
喧嘩をしないのは、彼が寛大だからだ。
雪は都合よく解釈した。
「光」という名の檻
今思えば、雪は、彼の本当の姿を見ないまま、眩しすぎる太陽の光を、ただ追いかけていたのかもしれない。
しかし、雪が全身で浴びていたその光は、やがて石垣島という監獄へと姿を変える。
美しい青い海に囲まれた、逃げ場のない監獄へ。
その絶望が、後の戦場――ソフトバンクへの原動力になることを、雪はまだ知らなかった。
つづく
▷ 第1部_#2 青い陽だまりの残像
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この物語が、今どこかの暗闇で息を潜めている方たちの、そして自分を失いかけている「誰か」の救いになりますように。
この物語は、雪の視点で綴られたノンフィクションです。
登場する全ての方々が、今、それぞれの場所で自分なりの光を見つけていることを願います。
雪の不器用で必死な歩みに何かを感じていただけたら、「スキ」や「フォロー」、「コメント」で応援していただけると、とても心強いです。
『ソフトバンク黎明期・孫正義を唸らせるまで──35年間の全記録 真鍋 雪』
