第2部_#8 業務委託社員・真鍋雪の「開戦」
ベイン・アンド・カンパニーの
合理主義。
数字を追うエリートスタッフたちは、
「Manabe-sanはどう思う」
「Manabe-sanを会議に呼んで」
と、雪を必要としてくれた。
ちょうどその時期あたりに、
愛宕のオフィスに「店舗開発部」が新設された。
そこにはユニクロ出身の部長と、
西武出身の係長が配属されていた。
「お前、いつまでやってるんだ!」
「何やってんだ!」
昭和部長の怒号が、
毎日オフィスに響き渡る。
係長は、顔を真っ赤にし、
目を真っ直ぐに見据え、
ただひたすら謝り続けていた。
まるで、
特攻隊の役柄を演じているみたいで、
どこか滑稽だった。
少しは、
言い返せばいいのにと思うけど、
上司に逆らえないって、
こういうことなんだろうな。
雪は、
係長がいつも顔が真っ赤になっちゃうので、
「茹でタコ係長」とひそかに呼んでいた。
洗練されたオフィスの中に
ぽつんと浮かぶ、
昭和の縮図のような光景。
雪は冷めた視線で
「めんどくさいな……」と眺めていた。
なぜかわからないけれど、
昭和部長は
「真鍋さんは地頭が良い」
と評価してくれていた。
頭は良くないってことかもしれないけど。
ここで、決定的な出来事が起きた。
ベイン・アンド・カンパニーの
プロジェクトチーフが、
ボーダフォンに向けて
雪を推薦するレターを
書いてくれたのだ。
「Manabe-sanの知見こそが、このプロジェクトを成功させる鍵だ」
その一通のレターが、
時給二千八百円の雪を、
公式な業務委託社員という
新たなステージへ押し上げた。
昭和部長も協力してくれて、
正社員か業務委託かと尋ねられた雪は、
迷わず、業務委託を選択する。
そして、雪は、
ボーダフォンとの年俸契約にサインをした。
高級設計事務所との調整は、
相変わらず同じ繰り返し。
美しい作品を、
雪が「商売の現場」に引き戻す。
雪はもう
ボーダフォンの内部の人間だから、
話が止まることはないけれど、
いつも「戦いながら」
作っていくスタイルだった。
雪がラフを描き、
彼らが壊し、雪がまた引き戻す。
終わりのない
「調整」という名の綱引き。
一店舗オープンするごとに、
彼らとの溝は深まっていった。
ある日、
会議室に昭和部長の怒声が響く。
「誰が悪いんだ!
どうなってるんだ!」
係長は、相変わらず顔を真っ赤にして、
一点を見つめて、ただ謝り続けていた。
「誰が悪いんだー!」
と、昭和部長。
「私が悪いです、私のミスです。」
と、雪。
昭和部長は言葉を失い黙り込む。
雪があっさりと非を認めたことで、
彼の「怒りの行き場」は消滅した。
会議室の静寂の中、雪は時計を見た。
(……早く仕事に戻らせてよ)
この頃の雪は、
ボーダフォン店舗マニュアルを作っていた。
高級設計事務所に頼むことなく、
社内で作っていたため、
時間を無駄にしたくなかった。
業務委託社員となり、
仕事も充実して、年収も跳ね上がった。
石垣島のあの不安はもうない。
実家近くのマンションで
ライとの生活も始められていた。
けれど、
低学年の息子が
ひとりで母の帰りを待っている。
(おなかすいたよね……ごめんね)
このどうにもできない
手触りを抱えながら、
雪は家路を急いだ。
つづく
▷ 第2部_#9 1兆7,500億円−歴史が動いた瞬間
この物語が、今どこかの暗闇で息を潜めている方たちの、そして自分を失いかけている「誰か」の救いになりますように。
この物語は、雪の視点で綴られたノンフィクションです。
登場する組織や人物の描写は、雪の記憶と視点に基づいています。
雪の不器用で必死な歩みに何かを感じていただけたら、「スキ」や「フォロー」、「コメント」で応援していただけると、とても心強いです。
『ソフトバンク黎明期・孫正義を唸らせるまで──35年間の全記録 真鍋 雪』
