第2部_#10 孫正義−孤独な怪物
会社は、
愛宕から汐留へ移転した。
ソフトバンクの黒船来航。
社内は緊張の極み。
若手部長の怒号が飛び、
トイレで吐く者、倒れる者もいた。
雪は倒れている社員に近づき、
「大丈夫ですか」と声をかける。
上司は冷静な声で言った。
「大丈夫。いつもだ。」
倒れている部下に向かって、
短く言った。
「いい加減にしろ」。
まるで戦場のような空気だった。
あのスマートな愛宕から来た
元ボーダフォン社員たちは、
内心は恐々としていただろう。
店舗開発部はというと、
怒鳴り散らしていた昭和部長はいなくなり、
あの茹でタコ係長──改め、
課長に昇進されていた。
店舗開発部の仕事は、
ボーダフォンショップの看板を
ソフトバンク仕様に変えること。
つまり、「社内の看板屋」だった。
雪は、
「社内の看板屋」の末席として、
社長フロアの大きな大きな会議室の、
長い長いテーブルの下座、
そのいちばん端に座っていた。
初めて間近に見る孫正義氏。
――小柄で、色白。
ぷっくりとした頬に子どものような愛らしさがある。
だが、その背後には、
言葉にできない圧倒的なオーラが漂っていた。
そんなことを考えていると、
大手広告代理店の
看板サンプルを前に、
孫さんの声が雪の耳に届いた。
静かだけれど、
どこか強さを帯びていた。
「僕に何を想像しろっていうの?
素人なんだから、できないでしょ。」
歴史を動かす
一兆七千五百億円の男が、
さらりと言った。
「僕は素人」
雪の背筋が、
ぞくぞくと震えた。
高い地位の人間は
「知らない」とは
口が裂けても言わない。
雪はこれまでそう思ってきた。
でも、孫さんは言った。
――僕は素人なんだから、その中途半端な提案では完成形が想像できない。だから、僕がわかる物を持ってきてほしい。
うー、痺れる。
会議室は
息をひそめたように静まり返り、
まるで静止画のようだった。
その中で、ただ一人、
「王」孫正義だけが動いている。
長い長い会議テーブルの
下座のいちばん端で、
雪は思った。
天才って孤独なのね……
いや、違う。
桁が違う。怪物なのよ。
つづく
明日は、
▷#11 孫正義 −まさかの決断に震える
いま皆さんのすぐ近くにある“あのソフトバンクのロゴ”が決まっていく瞬間です。きっと、少し度肝を抜かれるかもしれません。
どうぞ、お楽しみください。
この物語が、今どこかの暗闇で息を潜めている方たちの、そして自分を失いかけている「誰か」の救いになりますように。
この物語は、雪の記憶と視点に基づいており、
登場する組織や人物の描写は、雪の記憶と視点に基づいています。
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『ソフトバンク黎明期・孫正義を唸らせるまで──35年間の全記録 真鍋 雪』
