第2部_#12 孫正義―怪物のビジョン
こうして、サインが決まり、
次は、
ソフトバンクショップの
店舗デザインの準備が始まった。
汐留の26階は、
全体が孫さんのフロアだった。
雪は「社内の看板屋」として、
孫さんの大きな大きな会議室の、
長い長いテーブルの末席の端に座り、
大手広告代理店プロジェクトを眺めていた。
そこには30人、
いやもっとかもしれない、
多くの人間がいた。
雪は、末席の端から
孫さんと大手広告代理店のやり取りを、
ぼんやりと見ていた。
孫さんが立ち上がり、
ベルトをつかんで
ズボンを優しく、
何度も引き上げながら、
静かに言った。
「僕は素人だから、
わからないんだけどね」
「違ったら教えてね」
そう前置きしたうえで、
「僕はね、
この商売をこうしたいんだ」
「だから、
お客さんにはこう感じてほしい」
「だから、こうで〜」
「ここは、こうで〜」
孫さんは、熱く、
そして驚くほど具体的に、
丁寧に語った。
めちゃくちゃわかりやすい!
孫さん自らが、
こんなに細かいことを伝えている。
その視点はお客様。
純粋で圧倒的なエネルギー。
なのに、噛み合っていない。
商売 VS ブランド戦略。
その様子が、
大名行列のコントみたいだと思った。
雪は、ひれ伏した庶民のように、
隅からこっそり見上げていた。
なんでだろう。
無いものを生み出す人は、
こんなにも理解されないのか。
天才って孤独なのね……
いや、違う。
桁が違う。怪物なのよ。
雪の視界には、
孫さんの立ち姿、
腕の動き、声の強弱――
あらゆるものが飛び込んでくる。
末席の端で、
雪はノートに落書きをした。
孫さんが、
身振り手振りで空中に描くものを、
ただ線に置き換えていく。
商売の体温。
「怪物のビジョン」が、
雪のノートの中で、
確かな熱を帯びていた。
雪の感覚は、
静かに研ぎ澄まされていった。
会議室を出ると、
雪は茹でタコ課長に声をかけた。
「ねぇ、大手広告代理店の言ってること、わかった?」
返ってくるのは、
「うん……うん……」
それだけだった。
なんでだろう。
孫さんの想いは、
誰にも届かないのかな。
もどかしい。
雪は、
さっきノートに描いた落書きを
課長に見せた。
「あのさ。
孫さんの言ってることって、
こういうことだと思うんだよね」
課長はまた、
「うん……うん……」
と頷くだけだった。
……これが課長だ。
大手広告代理店と決まっている以上、
できることはない。
そういうことなのかな。
いや――
本当に、できることはないのかな。
雪の心は激しく抗っていた。
そのもどかしさと切なさが、
雪を突き動かそうとしていた。
つづく
この後、
まさかまさかの想定外が起きます。
▷『第2部_#13 汐留の密談と刺客』
この物語が、今どこかの暗闇で息を潜めている方たちの、そして自分を失いかけている「誰か」の救いになりますように。
この物語は、雪の記憶と視点に基づいており、
登場する組織や人物の描写は、その時の受け止め方によるものです。
雪の不器用で必死な歩みに何かを感じていただけたら、「スキ」や「フォロー」、「コメント」で応援していただけると、とても心強いです。
『ソフトバンク黎明期・孫正義を唸らせるまで──35年間の全記録 真鍋 雪』
