「ギーは身体に良い。」その一言に、私はずっと違和感を持っていた。
インターネットでアーユルヴェーダを調べると、必ずと言っていいほど目にする言葉があります。
「ギーは最高の油です。」
「毎日食べましょう。」
「健康のために取り入れましょう。」
もちろん、それを否定したいわけではありません。
けれど、その言葉を目にするたび、私は一つの疑問が頭をよぎります。
「誰が、いつ、どこで、その話をしているのだろう。」
私は長年インドで暮らしてきました。
その中で感じたのは、インドでは「何が身体に良いか」を先に話す人よりも、
「今日は暑いね。」
「最近、胃が重い。」
「今年は雨が少ない。」
そんな会話の方が、ずっと多いということです。
つまり、先にあるのは食品ではなく、「今の自分の状態」なのです。
だから私は、日本で紹介されるアーユルヴェーダを見ていると、ときどき不思議な気持ちになります。
ギー。
白湯。
チャイ。
スパイス。
身体に良いと言われるものはたくさん紹介されています。
でも、
「いつ?」
「どこで?」
「誰に?」
という問いが、驚くほど少ない。
本来のアーユルヴェーダは、この三つを飛ばして結論だけを語る医学ではなかったはずです。
以前、北インドで長年伝統的なアーユルヴェーダに携わる医師から、こんな話を伺いました。
「本当に質の高いグリットを考えるなら、精製方法だけではない。
牛がどんな土地で育ち、何を食べ、どんな気候で生きてきたのか。
そこまで見なければ、本当の質は語れない。」
さらに、その先生が受け継ぐ伝承では、グリットを作る日まで占星学的なタイミングを大切にしているそうです。
この話を聞いたとき、私は衝撃を受けました。
私が日本で見ていた「ギー」という言葉と、その先生が語る「グリット」は、まるで別の世界の話だったからです。
そして、もう一つ気になったことがあります。
日本では、市販の無塩バターを溶かして濾したものも「ギー」として紹介されています。
料理として楽しむことを否定するつもりはありません。
しかし、古典で高く評価されているグリットと、それをそのまま同じものとして語ってしまうことには、私は慎重でありたいと思っています。
古典が称賛したのは、単なる「精製した油」ではありません。
その背景には、発酵文化があり、乳文化があり、土地があり、季節があり、人々の暮らしがありました。
その文脈ごと受け継がれてきたものを、一つの食品名だけ切り取ってしまうことに、私は違和感を覚えるのです。
私は最近、「情報は、内容よりも文脈を失うことの方が怖い」と感じています。
ある場所では正しかったことが、場所が変われば正解ではなくなる。
ある季節には適していても、別の季節では負担になる。
これはアーユルヴェーダだけの話ではありません。
文化も、歴史も、哲学も、同じです。
だから私は、「これが正しい」と伝えたいのではありません。
むしろ、その反対です。
「その情報は、なぜそう語られているのか。」
そう問い直す人が、一人でも増えてほしい。
それが、本当に文化を学ぶということだと私は思っています。
知識は、検索すればいくらでも手に入ります。
でも、知識を疑い、背景を調べ、もう一度自分で考える力は、検索では手に入りません。
だから私は、これからも「答え」を増やすより、「問い」を増やしていきたいと思っています。
私は北摂インド協会の監修講師として
こういった「自分で考える視点」を持ってアーユルヴェーダを研究する活動、指導やアドヴァイスを大切にしています。
他にもインド文化に関する研究や紹介などこちらからしています。
宜しければご覧ください。
AadiMukta
