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鳥取砂丘,シュルレアリスム,鳥取県立美術館,そして,写真家 植田正治

 現在、すこし長い旅の終盤。

 はじめは友人と、そのあとはひとりで。

 順番は時々入れ替わるのだけど、しばらく旅のブログを書いていきたい。



鳥取砂丘。なぜか既視感

 そんなわけで、鳥取の旅。車の助手席から。

 一路、鳥取砂丘へ。

 駐車場から、砂丘へとつながる階段を上がり、

 想像していなかった風景に絶句する。

  なんとなく、平坦な砂地に観光用の駱駝でもいるのかと思っていたら……このスケールだ。

 自分のなかの遠近感の目盛りが、機能しなくなる感じ。

 そして、初めての場所なのに既視感がある。

 彼方の人々の影が「絵のなかの人」のようで、自分が小人になって「画面の中に」吸い込まれていくような、そんなイメージ。

 足元はミュール型のスニーカーだったけれど、「ここまで来たのだから」と、砂の中を歩み出した。

 その結果としては。

 なかなか進まない砂の中を、足を砂まみれにしながら、がんばって歩いてみたものの、

 頂上まで行くまでのところがいちばん楽しかったな、という結果。

 海を見下ろしても、見た目は「日本海を望む砂浜の写真」となる。

 アングルを工夫して、やっと、「砂丘」らしいカットに。

 来た道を振り向く。

 「絵になるのは」やっぱり、はじめに見たこのスケール感であるなあと、

 そう。砂丘を眺め、歩きながら考えたのはずっと「絵」のことだった。

鳥取県立美術館へ

 砂丘美術館は残念ながらお休みであったので、その日本来の目的であった、鳥取県立美術館へと急いだ。


「ブリロ・ボックス」と「ART OF THE REAL」展

 「ブリロ」のレプリカが出迎える。

 同美術館が開館に向け、アンディ・ウォーホルの代表作「ブリロ・ボックス」5点=約2億9千万円で購入。これに対して、賛否両論が巻き起こったのは記憶に新しい。

 県教育委員会は県内5カ所で説明会を開催して作品の価値や購入の意図を説明、平井伸治知事は、開館後3年程度で来館者に投票してもらい、展示の是非を判断する提案も行ったという(それらしき投票箱もあった)。

 初の企画展「ART OF THE REAL アート・オブ・ザ・リアル時代を超える美術-若冲からウォーホル、リヒターへ-」は、アート作品の歴史をふまえつつ現代アートへと無理なく接続する内容。

 この美術館のこれからの方針を示すと思われる、初回の展覧会にふさわしい内容だった。

 展示構成。


 こちらが、撮影スポットともなっていた、「ブリロ・ボックス」5点。

 話題になっていたであろう作品で、「これが!?」というものを含めて、人々がそれぞれ感想を口にしていたのが印象的だった。

 でも、もし、自分が幼い頃に、本展のような絵画の歴史の流れを解説付きで追いつつ作品を鑑賞していたならば、(子どもにはあまり興味が持てない、伝統的なアート作品だけでなく)、芸術に対してもっと興味が持てていたかもしれない。羨ましい。


鳥取砂丘とシュルレアリスム

 もりだくさんの展示を、鳥取砂丘でのふしぎな感覚を引きずったまま鑑賞していたのだけど、第一展示室の中盤で、思わず足を止めてしまった。

「砂丘は、シュルレアリストたちにのみならず、多くの作家たちにインスピレーションを与えた」。

 シュルレアリストも、そう宣言していない作家たちも含めて、超現実を表現した作品の展示。撮影可能だったものを挙げていけば、

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 東京都美術館の秀逸な展示が懐かしい、デ・キリコ作品も。


写真家・植田正治

 その流れで、写真家・植田正治(1913-2000)の代表作「パパとママとコドモたち」(1949年)を観た。

 鳥取砂丘を舞台にした、独特の演出写真。

 写真スタジオの、撮影用の背景幕を「ホリゾント」と呼ぶけれど、同氏は鳥取砂丘を「巨大なホリゾント」と称したという。

 広大な鳥取砂丘を背景として捉え、活用すれば、そこに被写体を自由に配置し、独自の演出を施すことができる……なるほど。

 例えば本作では、

 家族が砂丘に並ぶ。砂丘のシンプルな背景(ホリゾント)が、被写体の配置やポーズを際立たせる。結果として、なんというか不思議で、どこかしら落ち着かない感じが、画面から漂うことになる。

 鳥取砂丘を自身の「スタジオ」として活用し、非日常的で幻想的な雰囲気を生み出す。巨大すぎるスタジオで、独創的な作品を数多く創り上げた。

 砂丘でのふしぎな既視感、シュルレアリスム的な作品と、広大すぎる砂丘とのつながり。そして、そうか砂丘とは、巨大なホリゾントなのだという、腑に落ちた感じ。

 モヤモヤした感覚がつながったなあと、すっきりした気分になった。

偶然の出逢いと、つながり

 休日の午後ということもあって、美術館はいい感じに混みあっていて、

 ティータイム時間にずれ込んでしまったランチを、さっといただきながら、友人と、旅の偶然性について話した。

 前回書いた、人が人を呼ぶような、関係性もそうなのだけど、

 あえて予定をぎっしりと入れない旅というのは、偶然性に支配されていて、その、天任せ、運任せのところで、面白いつながりを連れてくる。

 自分をデフォルトモードにして気ままに行動しているつもりで、あとで振り返れば、ちゃんと一つの軌道を描いたりしているのだ。



 


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