きえたこえ|こころのかけらをつなぐ①
この物語で探したい "こえにならないことば"
「わたしの声、ここにある」
1. しずかな朝
ミナは、朝の光がカーテンの隙間から差し込むのを見つめていました。
三週間前から、ミナは声を出していません。
のどが痛いわけでも、風邪をひいているわけでもありません。ただ、声が、言葉が出てこないのです。
「ミナちゃん、朝ごはんよ」
お母さんの優しい声が階段の下から聞こえてきます。ミナは小さくうなずいて、そっと部屋を出ました。
階段を降りながら、ミナは思い出していました。三週間前の、あの日のことを。
2. あの日のこと
それは、学校での発表の日でした。
ミナは、大好きな本について話すことになっていました。『星の王子さま』という、特別な本のことを、みんなに伝えたかったのです。
「この本はね、大切なものは目に見えないって教えてくれるの」
ミナは一生懸命話しました。でも、途中で言葉に詰まってしまいました。緊張して、うまく言えなくなったのです。
「見えないものなんて、意味ないじゃん」
クラスの誰かが笑いながら言いました。
「ミナって、変なこと言うよね」 「本の話ばっかりしてる」
教室がざわざわしました。先生は注意してくれましたが、ミナの心には、その言葉が深く刺さっていました。
大切に思っていた本のこと。大切に思っていた言葉たち。それが「変」だと言われた時から、ミナは何も言えなくなってしまいました。
その日から、ミナは声を出さなくなりました。
3. もじもじ文字
学校でも、家でも、ミナは筆談で過ごしていました。
ノートに文字を書いて、気持ちを伝えます。でも、書いた文字は、なんだかもじもじしていて、自信がなさそうでした。
「今日の給食、おいしかった」 「算数の宿題、分からない」 「ありがとう」
短い言葉ばかり。本当はもっと、たくさん話したいことがあるのに。
図書室で、司書の田中先生がミナに話しかけました。
「ミナちゃん、最近声を聞かないけれど、大丈夫?」
ミナは、ノートに書きました。
「だいじょうぶです」
でも、田中先生は優しく首を振りました。
「本当は、大丈夫じゃないんでしょう?」
ミナの目に、涙がにじみました。田中先生は、そっとミナの隣に座りました。
「無理に話さなくてもいいのよ。でも、ミナちゃんの気持ち、私は聞きたいな」
4. ひみつの場所
田中先生は、ミナを図書室の奥の小さなコーナーに案内しました。
そこには、柔らかいクッションと、たくさんの本がありました。
「ここは、特別な場所よ。声を出したくない人も、心の声を聞いてもらえる場所」
田中先生は、一冊の古い本を取り出しました。
「これ、私が子どもの頃に大好きだった本。でも、学校で『子どもっぽい』って言われて、恥ずかしくなったことがあるの」
ミナは、びっくりしました。大人の田中先生にも、そんなことがあったなんて。
「でもね、年を重ねて分かったの。大切なものを『変』だという人がいても、それが本当に大切なら、大切にしていいんだって」
田中先生は、ミナの肩にそっと手を置きました。
「ミナちゃんの大切なもの、教えてもらえる?」
5. 文字の魔法
ミナは、ノートを取り出しました。
いつもより、ゆっくりと、丁寧に文字を書きました。
「わたし、本がすきです。ほんのなかには、たいせつなことばがたくさんあります。でも、がっこうでへんだといわれました。こえをだすのが、こわくなりました」
田中先生は、その文字をじっと見つめました。
「とても美しい文字ね。そして、とても美しい気持ち。ミナちゃんの声は、ここにちゃんとあるわ」
田中先生は、ミナの書いた文字を指さしました。
「声は、音だけじゃないのよ。文字も、絵も、表情も、すべてミナちゃんの声なの」
ミナは、ハッとしました。自分の書いた文字が、急に輝いて見えました。
「今度、ここで一緒に本を読みましょう。声に出しても、心の中で読んでも、どちらでもいいから」
6. 小さな読書会
次の日から、ミナは田中先生と一緒に、小さな読書会を始めました。
最初は、田中先生が声に出して読んで、ミナは心の中で一緒に読みました。
でも、だんだんミナも、指で文字をなぞるようになりました。口の形で、言葉を作るようになりました。
そして、ある日。
ミナが大好きな『星の王子さま』のページを開いた時、小さな声が聞こえました。
「いちばん たいせつな ことは…」
それは、ミナの声でした。とても小さいけれど、確かにミナの声でした。
田中先生は、涙ぐみながら言いました。
「聞こえたわ、ミナちゃんの声」
7. みんなの前で
それから一週間後、ミナは勇気を出しました。
朝の会で、手を挙げたのです。
先生は、びっくりしました。クラスのみんなも、静かになりました。
ミナは、ゆっくりと立ち上がりました。手には、愛用のノートを持っていました。
そして、小さいけれど、はっきりとした声で言いました。
「わたし、みんなに話したいことがあります」
ミナは、ノートを開きました。そこには、この三週間で書いた、たくさんの文字がありました。
「わたしは、本が好きです。本の中には、大切な言葉がたくさんあります」
ミナの声は、だんだん大きくなりました。
「みんなと違うものが好きでも、いいんだって、分かりました。大切なものは、大切にしていいんです」
クラスの子たちは、静かにミナの話を聞いていました。
「わたしの声は、いろんな形があります。話す声も、書く文字も、みんなわたしの声です」
ミナは、ノートを閉じました。
「聞いてくれて、ありがとうございました」
8. 新しい友達
発表の後、何人かの子がミナのところに来ました。
「ミナちゃん、その本、今度貸して」 「私も、文字で話すの好きよ」 「声が出ない時があっても、大丈夫だよ」
その中に、発表の日に笑った子もいました。
「ミナちゃん、ごめん。あの時、ひどいこと言っちゃって」
ミナは、微笑みました。
「だいじょうぶ。わたしも、みんながいろんなことを大切にしているって、分かったから」
9. たくさんの声
今、ミナには、たくさんの声があります。
話す声、書く文字、笑顔、涙、手の動き。すべてが、ミナの大切な声です。
声を出すのが怖い日もあります。でも、そんな日は、別の声で気持ちを伝えます。
そして何より、ミナは知りました。
本当に大切なことは、声の大きさや上手さではなく、伝えたい気持ちがあることだって。
図書室の特別なコーナーは、今では「声の部屋」と呼ばれています。
声を出したくない子、うまく話せない子、いろんな子が集まって、それぞれの声で気持ちを伝え合っています。
ミナは、田中先生に言いました。
「先生、わたしの声、見つかりました」
田中先生は微笑みました。
「最初から、ここにあったのよ。ミナちゃんが気づくのを、静かに待っていただけ」
10. 星の王子さまの言葉
その夜、ミナは『星の王子さま』を開きました。
大好きなページを、今度は声に出して読みました。
「いちばん大切なことは、目に見えない」
ミナは、窓の外の星を見上げました。
声も、目には見えません。でも、確かにそこにあって、人と人をつないでくれます。
「わたしの声は、ここにある」
ミナは、胸に手を当てて、小さくつぶやきました。
その声は、とても小さかったけれど、ミナにとって、世界で一番美しい声でした。
おわり
作者より
この物語は、声を失った少女・ミナが、声を取り戻していくまでの小さな旅の記録です。
いま、私たちのまわりには、「ことばにするのがこわい」「気持ちを出すのがこわい」と感じている子どもたちがたくさんいます。
でも本当の「声」は、なにも音だけではありません。
文字も、絵も、表情も、沈黙さえも――それぞれが、その人だけの「こえ」なのだと思うのです。
この物語が、そんな子どもたちの心にそっと寄り添い、
「あなたの声は、ちゃんとここにあるよ」
と伝える一冊になれたなら、これほど嬉しいことはありません。
「こころのかけらをつなぐ」シリーズは、共創童話集『こえにならないことばをさがす』の第二部として生まれました。
第一部では、さまざまな年齢の子どもたちに届くよう、ひとつの物語を【一般向け/小学校低学年向け/幼児向け】に文体変換して公開してきました。多くの読者から温かい声をいただき、深く感謝しています。
そしてこの第二部では、主に小学校高学年から中学生を読者に想定した、より現代的な童話を紡いでいきます。
息が詰まるようなニュースや、不安な社会の空気が、子どもたちの感性を知らず知らずのうちに閉じ込めてしまってはいないか――。
そんな想いから、この物語が生まれました。
忘れていたなにかを思い出すきっかけとして。
そして、静かだけれど確かな「こえ」が、読者のみなさんの心にも届きますように。
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