開きっぱなしの扉|風まかせ文芸部
都会の喧騒から逃げるようにして、転職し、家族で越してきてから一年が過ぎようとしている。
余所者の親子をこの街はどうやら暖かく受け入れてくれたようだ。
実は前から気になっていることがある。駅前のカフェは、いつも扉が開きっぱなしなのだ。
真冬でも、真夏でも。
エアコンがもったいないと思うのは、私だけなのだろうか。
「なぜ閉めないんですか?」
レジで会計をしながら、顔なじみになった店員さんについに聞いてしまった。
「お客さんに『入っていいのかな』って迷わせたくないんです」
なるほど。確かにガラス扉があるだけで、営業中の札があっても一瞬躊躇してしまう。はじめての客にとってはなおさらだ。
「それに、風通しがいいと、居心地もいいでしょう?」
たしかに。境界がないと、息がしやすい。
外の喧騒と店内の静けさが、自然に混じり合っている。街を歩く人の足音も、コーヒーを淹れる音も、同じ空間の一部として響いている。
昔の商店街もそうだった。間口が全開で、道路との境目があいまいで。
買い物客も店主も、みんなが同じ空気を吸っていた。不用心という言葉さえなかったのかもしれない。
でも、いつの間にかおしゃれな店が増え、建物が新しくなると同時にお互いがよそよそしくなった。
この街の居心地の良さはそのよそよそしさが少ないからかもしれない。
いつからだろう。私も人との距離を測るようになった。
踏み込まれるのも、踏み込むのも怖くて。見えないパーソナルスペースという壁を、いつも意識している。
友人との何気ない会話でも、どこまで本音を言っていいのか分からない。家族との関係でさえ、時々息苦しくなる。
このカフェでは違う。
開きっぱなしの扉は、入ってくる人を選ばない。でも、不思議と安心できる。境界がないからこそ、逆に守られているような気がする。
帰り道、街を通り抜ける風が心地よい。
人の心にも、きっと、開きっぱなしにしておいた方がいい扉がある。扉は閉めるためのものではなくて、開けるためのものだということをあのカフェは教えてくれている。
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