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潮だまりの使徒ーapostles in a tide pool(増補版)

(初版はこちら)
 
「海岸の長さ」を決めるのは、思いのほか難しいらしい。満潮で測るか干潮で測るかという問題もあるが、それ以上に、どれだけ細かいものさしを当てるかで、長さそのものが変わってしまう。細かく測るほど、入り江の入り組んだ曲線まで拾うことになり、海岸線は際限なく伸びてゆく。粗く測れば、輪郭は丸められ、短くなる。

木を見て森を見ず、という。だが、森ばかりを見て木を見ないこともまた、同じ過ちではないか——そんなことを、『リンネとその使徒たち』の後書きを読んで思った。

作者はこの本の後書きで、「かつて縁があってこの世に生まれあわせた有名・無名の人間、そのひとりひとりがいかに懸命に生き、そして死んでいったか」を書きたかったのだと記している。その契機となった悲話を、ここには書かない。だが読み終えてこの後書きに触れたとき、僕は改めてこの本の重さと、作者の想いを知った。

リンネ——分類学の父、二名法を考案し、世界の生き物ひとつひとつに二語の名を与えた男である。混沌としていた自然に、彼は整然たる格子を張った。そしてその格子を地の果てまで及ぼすため、「使徒」と呼ばれる弟子たちを世界へ送り出した。

リンネが、殊更に弟子たちへ冷たかったわけではない。むしろ逆で、彼は誰よりも彼らの無事を願い、帰りを待ちわびていた。だがその願いも空しく、戦果を携えて意気揚々と凱旋するどころか、身ひとつで生きて師のもとへ戻ることすら、十七人のうち七人には叶わなかった。どこで果てたのか、あるいは異境に生き延びたまま帰る術を失い、絶望のうちに日を送っているのか——それを知るよすがすらない者も、少なくなかった。日本へ来た者、中国を訪れた者、アフリカへ渡った者。彼らは、師の信仰の確かさを、主の御心の正しさを、世界の隅々に見出し、掘り起こすために、地の果てまで分け入った。自らの命を削り、ただ使命ひとつを負って。

その最初の一人が、クリストファー・テルンストルムだった。東インド会社の船に牧師として乗り込み、広東を目指した。リンネが彼に託したのは、茶の木を一株、金魚を一匹、持ち帰れという覚書だった。だが船は季節風を逃し、ベトナム沖の小島に足止めされる。彼は熱病に倒れ、中国の土を踏むことなく、その島で死んだ。一七四六年、三十五歳。標本はひとつも届かず、ただ彼の航海日誌だけが、主を失って故国に戻った。残された妻は、夫を異郷で喪わせたリンネを責めたという。以後リンネは、妻帯者を使徒に選ばなくなった。これ以上、ひとりも寡婦を作るまいと。

彼が持ち帰るはずだった金魚も、入り江に揺れる小さな一匹だったろう。

だが、その使徒のなかには、地球の裏側の、最も固く閉ざされた一隅まで辿り着いた者もいた。カール・ツンベルク。鎖国の日本、長崎の出島に、オランダ商館の医師として入った男である。江戸へ上る道中、二人の蘭方医が毎晩のように、時に夜更けまで彼の宿に通った。桂川甫周と、その友中川淳庵——ともに『解体新書』に名を連ねたばかりの二人である。彼らは持参した草の和名を伝え、ツンベルクはそれにラテンの名を返した。名を与え合う夜が、鎖国の片隅で更けていった。この交わりは、ツンベルクが本国へ帰ったのちも絶えることがなかった。二人が海の彼方へ書き送った手紙は、今もウプサラの大学に眠っている。

「博物学の時代」「近代科学の幕開け」——歴史を俯瞰し、ひとくくりの意味づけを与えるのはたやすい。しかし、大きな地図が海岸線の隅々までを描き示せないように、過去を鳥瞰してすべてを解ったつもりになるなら、僕らは、入り江の小さな水溜まりで遊ぶ色鮮やかなウミウシを見つけることはできないだろう。

神は細部に宿り給うのだから。

——西村三郎『リンネとその使徒たち 探検博物学の夜明け』(人文書院)

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