【これまた唐突に】自分史
先日、自己紹介を書いた際、『このことも書こうか…いや、とりとめもない文になるからやめよう』と削りまくった内容を、自分史として再編してみることに。
第1幕:北海道に生まれ育つ(1983~)
幼少期
私の父は日本列島最北の人間で、母は最南端の人間であることが、自分の人生を語るうえで欠かせない要素であるように思う。
『北国にあこがれた南国からの花嫁』というお見合い結婚の筋書きはいいけれど、性格の不一致どころか、歩み寄り方も知らないような喧嘩の絶えない両親の間に生まれ育ち、泣きながら喧嘩の仲裁をしても、毎日祈っても、どうにもならない幼少期を過ごした。
休みの日は遊んでくれる父だったが、平日、仕事帰りに酔っ払って帰宅することが多かった。考えてみたら、社会不適合者だったかも。いつからか、出張で帰らないと聞けばホッとするようになった。
母もパートしていたけど、経済的にあまり余裕のない暮らし。
『公団住まいで、自家用車がなく、アナログ電話で(当時流行りの留守電や保留音がなく)、ビデオデッキ(VHS)がないことがコンプレックス』だった小学生時代。笑
ハローキティからけろけろけろっぴに乗り換え、メモ帳やシールのコレクションに情熱を燃やす。サンリオショップが大好きだった。
『自分なんて生まれてこなきゃ良かったな』と卑屈になることが多かった10代。子どもでいることが不自由でうんざりしていたくせに、誰より子どもっぽい子どもだったと思う。
ただ、救いだったのは、両親がどんなに険悪でも、父も母もそれぞれに、それなりに、3歳上の兄や私のことを大切に思っていることは伝わってきていたこと。
過干渉などもあったけれど、いつも味方をしてもらえていたし、父からは、お前はこの家の太陽だと言われて、母からも無駄に褒められて育った方だと思う。
自己肯定感は低かったけれど、やればなんとかできるかも、といういわゆる『根拠のない自信』は何気にちゃんと育っていたのではないかと思う。
中学時代
明るく見えるのに、根暗で変わり者の私は、人のペースに合わせるのが苦手で、単独行動が多かった。それを男子にからかわれたりしたことも。アトピーの悪化もあり、中1の時は、登校拒否気味だった。母に、産まないでほしかった!などとよく八つ当たりをした。
中2で生徒会に入り、そこで1年間片思いしていた同級生と中3で両思いになった日の高揚感は忘れられない。初めて、自分という人間に生まれてよかったと思えた日だった。
とても大好きだったはずなのに、高校が別になって次第に心は離れていき、1年ほどでお別れ。自分の心変わりが悲しかった。
高校時代
高校は気の合う友達が多く、居心地のいい場所だった。空気を読みたいのだけど、変わり者ゆえに話題についていけなかったり、笑いのツボがみんなと違って、落ち込んだりもした。
得意だったはずの英語で挫折してしまい、中国語でもやるかと安易な気持ちで、さほど勉強しなくても入れるFラン大に入学した。
大学時代
大学1年の時。父の勤め先が倒産し、特に資格もない父は、再就職先も見つからず、部屋にこもって泥酔することが増えた。
ある日、私が夜遅く焼鳥屋のアルバイトから帰宅すると、赤い顔で部屋から出てきた父に
『お前があくせく働いてる間に、俺は失業保険をもらってる』
と嘲笑うように言われたとき、心底失望し、母に『もうあんな人と一緒に暮らしたくない』と泣きながら言った。母ももう限界だったように思う。
大学2年の時に両親は別居。私は母と兄と3人暮らしに。
奨学金を借り、その後、親が貯めていてくれた学資保険で、中国留学も経験した。
しかし留学中にSARSが流行し、1年間の予定を8ヶ月で切り上げることになった時は残念でならなかった(もう中国のウイルス騒動は勘弁してほしい🦠)。
帰国後はバイト生活に明け暮れた。過労で一度入院した。
みんなに合わせていたけど、自分から休みの日まで誘って会いたいと思える友達は大学にはいなかった。
一方、恋愛には依存気味で、3年付き合った社会人の彼氏に大学4年の時にフラれたときは人生の終わりみたい病み、親友も恋人もいないまま大学を卒業。
こうして文字にしちゃうと、なんか痛々しい人生だなぁ。笑
第2幕:就職
教授推薦で航空会社へ入社(2005年)
地元で、外資航空会社の予約・発券カウンター業務の仕事に就く。日本人女性は私を入れて3人という小規模なオフィス。
ありとあらゆる失敗をして、身の程を知った22歳。あまりの不出来さに先輩2人から無視され、いびられた。仕事帰りに悔しくて泣いたり、どこか遠くへ逃げたくなったり。
就職して半年経った頃、母が故郷の年老いた母(私にとって祖母)の面倒を見るという名目で南へ帰ることに。私は兄と2人暮らしに。なんとも宙ぶらりんな、心もとない暮らしがスタート。
母は愛情深い人なんだけど、ちょっと自由すぎる。
時々、近くに住む父と一緒に3人で食事をすることも。別居する時は大嫌いで苦しかったけど、離れて暮らしてみると、父からの愛情を素直に感じられたし、自分の中に、父へのいたわりの気持ちも芽生えていた。
25歳で上京(2008年)
仕事に慣れてくると、今度は来たものをただこなすような仕事じゃなくて、自分らしさを活かして能動的に貢献できるような仕事をしてみたい、という無謀な理想を抱き始める。
転職を考えたときに、当時の彼氏が東京に転勤になったのをいいことに、後を追うような形であっさり故郷を捨てる(若気の至りということにしたい)。
無計画な上京だったが、前職のツテで、取引先だった航空システムの会社に拾ってもらうことができた。
ただ、アルバイトとして入ったため、そこから契約社員、正社員とのしあがるまでの約3年間、元来の劣等感で押し潰されそうな苦難の道となったことも書かないわけにはいかない。
やはり無計画は良くない。
また同郷の彼氏はなんとモラ男で、半年であっけなく別れた。そうなる前に見抜けなかった自分に呆れた。
ただ、上京を後悔しないでいられたのは、勤め始めた会社に素敵な人が多く、仕事は自分には難しい内容だったけど、ここでまだまだ頑張りたい、と思いながら過ごせたおかげだった。
今でも、この会社の同僚、上司、取引先の方々とは繋がっていて、心の財産である。
28歳で職場結婚(2011年)
同じ営業部だった5歳年上の先輩と約2年間の交際を経て結婚。社内を驚かせる。
付き合うきっかけになったのは、失恋続きだった26歳の私が、飲み会で酔いつぶれた後輩にさりげなくお茶を運ぶ先輩(現夫)の姿を見た瞬間にハートを撃ち抜かれたこと。男性の優しさに飢えていたかも。
もし合コンで出会っていて、連絡先を聞かれたとしても、教えていたかどうかもわからないほど、もともと何も感じなかった人だったのに。笑
ふとしたタイミングで運命は変わるなぁとつくづく思う。
ただ…もう少し冷静になって、結婚する・しないを考えても良かったんじゃないかと、実家らしい実家もない、根無草の自分が何かに属したい願望から結婚を急いだのではないか、と振り返って思うこともある。
第3幕:親になる
31歳で長男出産(2014年)
長男を産んだ日は、人生にこんな喜びが待っていたなんて信じられない、と思うと同時に、自分が死んだらこの子どうなるのと怖くて泣けてきて震えが止まらなかった。
産後ハイ、睡眠不足、孤独、夫婦のすれ違いも経て。
育休明け、長男が1歳前に保育園に預け始め、復職。みんながそうしていたからしただけで、子の保育園が決まったときは泣いたし、預けて働くことにいつも疑問を感じていた。
ずっと一緒にいるのもしんどかったくせに。
33歳で専業主婦に(2016年)
夫が、Uターン転職することになり、東京から関西へ。夫は15年、私は約8年お世話になった会社を同時に退職し、私は専業主婦に。
子を預けて働くことに申し訳なさを感じていたので、待ちに待った自宅保育だったはずなのに、2ヶ月でノイローゼになった。
2歳前後の可愛い盛りなのに、その頃の写真も少ないし、誕生日のお祝いもろくにできなかった。戻れるなら、このときからやり直したい。長男に申し訳なくて。
専業主婦になったんだから家事を全部やるべきという夫のことが大嫌いになった。喧嘩が絶えず、離婚の2文字がいつもチラついていた。
私が子どもにかかりっきりのときは、家事を手伝って欲しいと泣きながら幾度となく訴えた。そうしないと余裕をなくして子にも悪影響だと。何度も繰り返し伝えるうちに、徐々に徐々に夫からの歩み寄りが見られた。
夫は重い岩のような人だ。
34歳で次男出産(2017年)
2人目ともなると、赤ちゃん単体のお世話はさほど苦労がなかったけど、2人育児の始まりがしんどすぎた。授乳の邪魔をする3歳の長男を蹴飛ばしてしまったこともある。毎日子育て広場に通って精神を保っていた。
子が2人になるとどうしても夫婦で協力しないといけなくなるので、この頃、関係は比較的良好になっていった。
住んでいる地域が子育て環境に良いと感じ、友達もでき始めたこともあり、永住を決め家を建てる。
しかし、引っ越しの3日後、夫の母が癌で急逝。息子たちは3歳と0歳。義父が心配で家族全員で毎週実家に通う生活が数ヶ月続き、この頃の記憶があまりない。
37歳で長女出産(2020年)
3人目は全くの想定外。よく来てくれたなぁとしみじみ思う。
出産直前から流行り始めた未曾有の感染症に戦慄し、子たちの体調管理に必死で、子育てが大変というよりは、『元気でいてくれてありがとう』と毎日感謝する、やっと初めて良い母親っぽい感じになっていた。笑
感染症への恐怖心が和らいでくると、また働きたい欲が再燃。noteで書いた初めての記事↓
ここから自分の第4幕が始まった…!
まとめ
北から東、そして今は西に住み着いて、子育てしながら根を下ろそうとしている。
父は相変わらず北に。母は南にいる。
私はその真ん中に居ようと、東や西をうろちょろしている感もあり。
(2024.1.22追記:父は現在、兄の住む愛知県在住。)
すでに70代半ばに差し掛かり、心配だらけの両親とのことはまたどこかで書かせてもらうとして。
今まで経験したあらゆる感情、乗り越えてきた悩みを全て自分の持ち味にしたいと思う今の自分が愛おしく、また、夢中になっている広告の仕事にも活かせている気がしている。
生まれてこなきゃよかったと思っていた過去の自分に、
『生きてたらいいことあるからね』
『無駄な経験は何一つないからね』
『自分の人生、自分で作れるからね』
と言ってあげたい。
人生折り返し地点に差し掛かり、やっと自分の人生を生きてる実感と周りへの感謝があふれている39歳がここにいる。
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