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人は結局「同類」に惹かれる。


という説が、最近腑に落ちた。


※この記事には一部にショックを受ける描写が含まれます。心が弱い、想像力や感受性が豊かで影響されやすいという方は、読むことをおすすめしません。
一部の内容はヘビーですが、当人は既に過去の物語として受け止めているので、御心配には及びません。
自伝的エッセイですが、一人のキャラクターの物語だと思っていただければ幸いです。

それでは、これより長い旅路となりますが、最後までお読みいただけますと幸いです。


これが私の原点オリジンです。


——最高のエンターテインメントを


🥀🪦



・・・


人には二種類いるという。

自分の同類と共に過ごすことを選ぶ人間。
自分とは似ても似つかないけれど補い合う関係を選ぶ人間。


私は、今までどちらでもいいと思っていたが、本音では前者かもしれないと思うようになった。

というのも、私は自分という人間を抱え込ませるには、自分と経験の違いすぎる人間には荷が重いと考えているからだ。人生レベルで似たような境遇・経験をしている人間でないと、人付き合いするのもキツイものがある。見てきた世界や生まれた世界感が違いすぎる人間とは、真の意味で分かりあうことは不可能に近い。日常の何気ない会話でさえ、私にとっては苦痛な労働だった。


幸せな家族が当たり前だった人の近くに、自分はいてはいけないような気がしていた。自分みたいな人間は、光の世界では生きていけないと思っていた。

そういった世間一般的な、幸せな家庭の話を聞かされるのが苦痛で仕方なかった。親が悲しむだとか、帰郷しないのかとか、そんなことは心底どうでもいい。私の人生に口を出せる人間など、たとえ親だろうが血を分けた兄弟だろうが、存在し得ない。成人してもなお親の顔色や意向を気にする人に、私は共感できなかった。

ヒューマンドラマは好きだ。しかしながら、未だに家族愛などの作品には心が動かされない。


それらは私にとって、フィクションでしかないから。





これを読んでいるあなたがご存じかはわからないが、私は今から約7~8年ほど前に初めて性格診断テストに触れた。以来、それらの数多の性格診断の特質を独学し、自分以外の全ての性格タイプも網羅して、他者理解を深めた結果、いよいよ、自分の本来の姿というものが浮き彫りになってきたのだ。

これは芝居と似ている。芝居では、自分の役の理解は勿論のこと、他のすべての役周りや、その立ち回りについても、理解を深めておく必要がある。

物語は基本的に、一人の人間だけで成り立つものではない。様々なキャラクター人格がいるからこそ、対立が生まれ、争いが生まれ、傷つけ合い、感情をかき乱してぶつかり合って結末に向かっていく。

すべては花々・・しい幕引きのために。


幼少期から20代に足を踏み入れるまでの私は、いかにも優等生らしい演技をしながら、社会に擬態して生きていた。今もそれなりの社会人の演技で、平凡な日々をやり過ごしている。

しかしこんなものは見せかけの仮面だ。


そして、自分を苦しめてきたすべての元凶が自分であると、気付くきっかけとなったのは「芝居」だった。


そうして、数年前までは自分とは違うタイプだと思っていたキャラクター人格が、実は自分の本性に最も近いのではないかと気づいたことから、満を持してこのnoteでの発信を始めた。

そう理解した状態で自分の過去を振り返ると、私はかなり昔から好きな人柄タイプが全く変わっていないし、自分の方の根っこの性格もほぼ変わっていないことに気付いた。

勿論、立ち居振る舞いや外面は、年齢に沿うように多少調整している。けれど、それもやはりどこか「芝居がかっている」のだ。

腐れ縁に言われたことがある。


役作りしているみたいだ
話し方や言葉選びが、どことなく芝居がかっている


仕方ないだろう。物心ついたころから物語の世界に浸って生きてきたのだ。私から吐き出される言葉はすべて、本から学んだといっても過言ではない。

人との関わり方も、人の愛し方も、傷つけ方も、立ち向かう勇気も、人と仲良くする方法も、人を傷つけない方法も。


私がなぜ気付けたか、なぜ役から解放されたかといえば、自分の本心を偽り、隠し、人の期待に応えるただそれだけのために、芝居を打ってきたことを自覚できるようになったからだ。

いわば、長い間閉じこもっていた役が抜けたような感覚。フィクション作品で言えば、創造主の存在と第四の壁・・・・に気付いたとでも言えるだろう。


むしろ、これまで発信を控えてきたのは、このような経緯から性格にまつわる診断の結果を鵜呑みにできなかったからである。二択を迫られた時、私は考え得る「最適解」を回答している自覚が少なからずあった。それは本心ではなく、社会的にこれがふさわしい、と思える模範解答だ。自我がない。まさに、このような回答の仕方はまったくもって不適切であった。

そのことに気付いた私は、診断ツールに頼って性格診断を受けることをやめ、自分の過去を掘り下げる作戦に切り替えた。



或る人が言った。

芝居は嘘である」と。


で、あるならば——



すべてをフィクションから学んで生きてきた私は、

その存在そのものが“偶像”なのだろうか?




すべては、真っ黒に塗り固められた、一つの物語きおくに帰結する。




・・・




私の家庭環境は決していいものとはいえなかった。土地柄もあるが、罵詈雑言は当たり前。時には暴力もあった。頼れる大人というものを知らなかった。

親は子を守り、躾け、助けるもの、という認識ではなく、子が親の機嫌を取るもの、という認識だった。家庭環境が悪いのは、自分のいた地域では不思議なことではなかった。私の生い立ちは、特別過酷だったわけではない。よくある人物設定だろう。私のかつての幼馴染たちが不良になってしまったのも無理はないと、当時から考えていた。

彼ら彼女らもきっと、私と似たような何かがあったのだと思う。だから私は彼女らが不良になってしまっても関わり続けた。

どこか、彼女らに羨ましささえ感じていた。

腐ったゴミ溜めの中で、どれほどの花ならば無傷で咲けるというのだろう。

私たちは傷だらけだった。
しかし、だったら何なのだ。



私は両親から躾という躾をされた記憶があまりない。彼らはよく感情的になって怒鳴り合った。だから、怒鳴り合う人間を見ると今でも笑ってしまう。感情制御の利かない人間の近くにはなるべくいたくないので、今も距離を取るようにしている。

遠巻きに不毛な言い争いをしている分には見ていて滑稽だ。お笑いやシットコムは大好きで、現実でも、低レベルなことで言い争っているのを見るのは、まるでコメディを見ているかのように感じる。他人の口汚いののしり合いは笑えればエンタメとなるが、あまりにも低俗だと気分を害するつまらないものに感じる。

幼少期に親から言われたいい言葉などは特にない。

物語は好きだが、子ども向けの物語の主人公が、父親の言葉を胸に何かを志すなどという展開の漫画やアニメも正直、フィクション過ぎて自分ごとに感じられない。そういった作品において、自分のような性格の人間は往々にして悪役として名を馳せることになる。

そういう作品が多すぎて辟易としていた。
そんな親が実在するのか、と他人事のように思ってしまうのだ。


綺麗すぎて反吐が出る。


頭のいい親ではなかった。
どう考えても目先の欲に抗えない考えの甘い弱い人間だ。
ストレスにも弱そうだった。
家という場所は安心できる場所ではなかった。

彼らは私にとって、反面教師だった。

そして私は、親の機嫌を伺う道化師だった。

マスコット型(ピエロ・道化師・クラウン)AC

・笑顔で愛嬌を振りまいているイメージ
・「いい人」と言われることが多い
・友達も多くいるが、本人は「本当に心が許せる人はいない(少ない)」などと言う
・みんなが嫌がる仕事も引き受けて、他者の応援も積極的に行うので人気が高い
・上司や先輩にも可愛がられるが、ややもするとパシリっぽい扱いを受ける場合も
・重い責任を背負うのを無意識に嫌がる。他者に花を持たせる形で回避しようとしがち
・誰かが怒る状況が苦手。回避しようと必死になるか、固まってしまう
・今まで行っていたバイトや仕事を突然辞めたりすることも
・「大丈夫?」と聞かれるのが苦手。(つらいのを悟られたくない)
・子供の頃、言い争いが多い家庭に育った
・自分がおちゃらけた態度を取ると、家族が和んだ。争いが収まることもあった
・家庭を持つと、家の中では案外態度が大きく、怖い存在になったりしがち
・突然引きこもってしまったり、学校へ通えなくなる(不登校)になる場合も
・生真面目すぎる人が苦手。冗談や笑顔が通じないとどうしたらいいかわからなくなる
・真面目(シリアス)なシーンになると茶化してしまうことがある

https://ac-counseling-osaka.net/pierrot/

他にもACにはいくつか種類があり、他の要素もあるとは思うが、このピエロ・クラウンに関してはほとんど当てはまっている。パシリにされたことは一度もないのと、怒る状況が苦手というよりは面倒に感じ、怒っている奴がいつまでもそのまま喚き続けようものなら黙らせたくはなる。
今は家庭を持っていないのでわからない。

それ以外はほぼ自分のことだ。

重い責任はもつ気がない。どうでもいい他人の会社の正社員になんて死んでもなりたくないと、学生時代から考えていた。会社の所有物にはなりたくないから当てはまっている。

不登校は義務教育の間はなかったが、大学はだんだんいかなくなった。

ヒーロー型も当てはまる要素が多い。

ヒーロー型アダルトチルドレンチェックリスト(全21問)

子供の頃から優等生だった
親や家族を助ける必要があった(自分が父親代わり・母親代わりにならなければいけなかった)
長男・長女か「まるで長男(長女)みたい」と言われる立場だった
なぜか意見を求められ、それが採用されることが多かった
子供の頃、なぜか優越感があった
(本人の気持ちに関わらず)目立つタイプ
逃げることは許されなかった。常に何かと戦ってる気分
勝つことだけを求められた・勝利のために我慢を強いられた
「兄貴」「姐さん」「一生付いて行きます」と言われることがある
「すごい!」と褒められることに快感を感じる
負けなどあり得ない・負ける勝負ならしないほうがマシだと思う
無意識に弱い他者を蔑む(低く見る)クセがついてしまっている
ネガティブなことを言う相手にイライラする。説教してしまいがち
孤独に強い。コツコツやることに抵抗はない
自分が失敗することが想像できない。失敗したら人生終わりだ、と感じる
自分の非を認めず、責任転嫁してしまう場面も
言い訳は敗者がするものだと思っている
結果がすべて。結果が出ないものは無意味
憧れられてリーダーになるが、人間関係がうまくいかず崩壊させることが多い
弱々しい異性を助けたくなるが、付き合っていくうちに軽蔑していきがち
「英雄色を好む」の理に似て、異性面でやんちゃな人も多い

https://ac-counseling-osaka.net/hero/


両親共に頼りにならなかった。
母は身体障碍があり、父はアルコールとタバコ依存。その相乗効果で、父は不器用な母をよく怒鳴っていた。二人の間の通訳のようなこともしていた。

親の内、片方の側の祖母は昔から宗教に入れ込んでいて、私が成人してからは叔母も私を勧誘してきたことがあった。興味本位でついて行ったことがあるが、碌でもない場所だった。でも叔母や祖母は本気で入れ込んでいるから、今まで過度に否定せずやり過ごしてきた。

安心できるはずの我が家には、煙とアルコール臭、そして劈くような怒鳴り声がこびりついている。


宗教に入れ込む祖母は、昔からなんらかの念仏を唱え、私になにかと言って聞かせた。

「あんたは優しい子だから」
「明るく元気にね」
「~~と唱えなさいね。~~が守ってくださるよ」

しかし、残念ながら私は神には祈らないし、得体のしれない人間に祈りたくもなければ、金も払いたくない。できれば祖母たちにもそんなバカげたことはやめて欲しかった。

どんなに苦しい時も、自分がどんなにいい人間であっても、

もし仮に、

神が実在したとしても。


神的存在がいるとして、奴らは人間を救いはしない。
この何千年の人類史の中で、奴らは一体何をしてきたんだろう。なぜ人間はこんなものを信じることができるのだろうか。
答えは簡単だ。弱者からの搾取にほかならない。

心の弱い人間から、神という偶像を仮面に、こざかしい人間が金銭を搾取するビジネスであり、なんらかの書などはその道具に過ぎない。

私には彼らが、ただ言い訳に使い逃げているだけにしか見えなかった。

私が神なら、人間なんてほったらかしにしておく。
こんな愚かな人間どもが滅ぼうが争い合おうが、どうでもいい。自分の子にすら手を挙げる愚かな「大人(笑)」が蔓延る世界で、人間に期待する神がいるだろうか。

地球を好き勝手荒らしておきながら、

神に祈って救われる

だなんて虫のいい話、あるわけがない。



最近はめっきり本を読むことが少なくなったが、幼少期の私は読書家だった。

フィクション作品も偉人の伝記もジャンルを問わずたくさん読んだが、神様が見守っているだなんて思えたことは一度もなかった。

だからわかる、子どもはバカではないと。私は子どもながらに本心でそう思っていながら、ある程度反抗せず祖母たちの前では良い子を演じた。

私が良い子でいることで周囲の人間が満足するならそれでよかった。

どこに行っても、私は周囲の大人からいい子だと思われ、ほかの子たちからは何かとうらやましがられた。だけど、本当の私は皆の想像するような天使ではなかった。だんだんと自分の心が解離していくのを感じた。


そこに自分の意志なんてなかった。


まるで絵にかいたような過去を持つキャラクターだと、
我ながら他人事のように思う。





・・・




過去、PTSDを発症したことがある。

原因は上述の通り、両親にまつわる出来事がきっかけだった。

齢10歳にも満たなかったかもしれない。
大体それくらいの年齢のころに私は、人間の愚かさと醜さ、そして弱さと恐ろしさを知った。

幽霊なんかよりも、人間の方が怖いと考えるようになったのはこの頃からだ。


血の繋がりのある人間が、凶器を片手に自らの家族を脅す。
そんな光景を目の当たりにし、もう死ぬんだと思った。

「喚くな」「黙れ」

「殺すぞ」


あの日の映像には真っ赤なフィルターがかかっている。

斧や包丁を片手に、子どもたちの目のまえで
母に向かって「殺すぞ」と怒鳴る父の姿がそこにはあった。

恐怖心?さぁ、そんな感情はもう記憶にない。


幸い、大事になることはなかった。
だから今こうして、この散文をしたためている。

しかしその日から、私の中で何かが壊れはじめた。
或いは、何か大事な部位を止めていたであろうネジが外れた。

冬休みに入ったある日のこと。
日付まで覚えている。



冬休み開け、私は何事もなかったかのように学校に通っていた。

解離性健忘だったのではないかと思う。10年以上こんな記憶は忘れていた。考えたこともなかったし、自分の体験と似たようなドラマや映画、アニメを見ても、何とも感じたことはなかった。

けれど、思い返せばむしろそういう作品や、自分に似た経験をもつキャラクターにほど、なぜか食い入るように感情移入していたところはあったように思う。そこで均衡を保ち、自分のことを思い出さないようにしていたのだろう。防衛機制だ。

受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズムである[1]。欲求不満などによって社会に適応が出来ない状態に陥った時に行われる自我の再適応メカニズムを指す。広義においては、自我と超自我が本能的衝動をコントロールする全ての操作を指す。

防衛には自我が超自我に命令されて行うものと、自我それ自身が行うものとで分かれる。人間にはエス(イド)という心の深層があり、そのエス(イド)から来る欲動から自我が身を守ったり、それを上手く現実適応的に活用したりする方法が、防衛という形で現れる。防衛自体は自我の安定を保つ為に行われるので、健全な機能と言えるが、時にはそれは不快な感情や気分を人間に与えることもある。

Wikipedia 防衛機制


あまり当時の心象は覚えていないが、家よりも学校のほうが安全だったのは確かだろう。次第に忘れていったように思う。しかし、それでも言い争いは日常茶飯事だった。私への罵詈雑言にもいつしか何とも思わず、次第に言い返すようにもなっていった。

いつしか心を閉ざして、イヤホンで耳を塞ぎ、家にいる時は部屋に籠ってネットの中に隠れるようになった。

学生時代、周りからいい子だと言われていたが、家では反抗的だった。そういう二重人格みたいに顔を使い分けるところを、気づいている人もいたと思う。



それから十年程経って、芝居を学び始めた頃のこと。

ただの本読みでしかなかったのに、或る役にのめり込んでしまった私は、自分のセリフを言った後に涙を制御できなくなったことがあった。

涙をとめようとしても、次から次へと溢れてくる。

同期や講師に心配され、本読みを中断して休憩することにまでなってしまった。普段、映画やアニメをみて泣いたとて、すぐに泣きやめたし、人前で泣いたことはほとんどと言っていいほどなかったから、余計に恥ずかしく、同時に申し訳なかった。

別に私自身は悲しくもないのに、なぜかあの時は涙腺を制御できなかった。

役の境遇や置かれた理不尽な状況に対して、自分との共通点がたまたま重なり、普段抑えている感情が制御を失ったのだろう。講師はちょうど私が泣き始めたくらいに他の子に厳しく指導をしていた。

その講師は私に目をかけてくれて、よく話をしていたので帰り道で「お前に言ったんじゃないんだぞ?」と笑いながら言ってくれたが、自分でも何が哀しくて泣いていたのかわからずはぐらかした。

この時、自分が日ごろどれほど他人の顔色をみて道化を演じてきたかということを思い知った。




PTSDを発症したのはそれから数年後のことだった。
創作の表現力を磨くために、人の性格の違いや行動心理、犯罪心理学、アダルトチルドレンなどについて学び始めた。最初の1年くらいはむさぼるように調べ漁っていた。そして、まさに自分としか言いようのない特徴に次々と出会った。

自分を掘り下げ、自己を深く知るためにこれらを四六時中学び漁った。


そしてある時、幼年期のあの場面が突如としてフラッシュバックした。


その瞬間までは、あの日の恐ろしい記憶は失われていた。
10年以上も経って、突然だった。


何か断片的ないくつもの不快な記憶が、一瞬にして数珠つなぎになるような、呆然とした感覚があった。何が現実で、何が自分の妄想なのか、区別がつかなくなっていた。幻聴もあった。統合失調のような症状に見舞われ、ありえないことが現実に起こっているかのように頭の中を駆け巡った。


自分の人生はすべて虚構で、
ただのフィクションだったのではないか?


この当時、この考えが私の脳内を支配していた。
何も信じることができなくなり、社会生活に支障をきたし始めていた。


その最中で、漠然とした故郷への嫌悪感や、実家から逃げたいというあいまいな想いの根源を、私は自ら掘り当てたのだった。
この記憶だけは現実だとすぐに分かった。

たくさんのテレビがある部屋でうずくまり、色々な記憶を傍観している少女がいる。その中の一つに、ずっと砂嵐のように映像が乱れて見えなかったテレビが置いてあり、それが突然パチンとついたような感覚だ。

そのテレビは、狂ったようにあの日の映像を流しつづけた。何度も何度も。

真っ赤なフィルターがかかってはいるけれど、輪郭だけはくっきりと見えた。構図もしっかりと私の一人称視点だった。

誰かがソファの隅っこで震えながら泣き叫んでいる声が聴こえる。

妹が泣きながら震えているのが視界の隅に映る。

母は壁際にへたり込み、必死にやめるように懇願している。
父親は右手に包丁を握りしめ「殺すぞ」と怒鳴る。
そしてまた自分と妹が泣き叫ぶ声が聴こえ、「殺すぞ」という声が流れる。

同じシーンを繰り返し上演するオルゴールのように、私の脳内劇場がその物語を回し続けた。


まるで没入感のある映画を観ているような気分だった。

そしてだんだんと意識がはっきりしてきて、ようやく理解した。



これは私の物語だと。





以前、完全に精神がイかれたことがあると書いていたのは、この時のことだ。仕事での適応障害と、自分の過去の嫌な体験が一度にいくつもフラッシュバックしたことによるPTSDの症状を、ほぼ同時に発症した。

思えばその年、今まで染めたこともなかったのに突然ブリーチして髪をハイトーンにしたのも、既に精神がイカレ始めた兆候だったように思う。極限まで人を避けていた時期は、人が近寄らないように、話しかけにくい雰囲気や見た目にするように意識していた。

色が抜けていくほど、ワンダ・マキシモフみたいになっていった。


慢性頭痛があってペインクリニックに行くように、当時信頼していた上司から提言され、メンタルクリニックにも行った方がいいとも勧められて行った。しかし、薬物治療に依存するのが嫌で、3カ月程度で、もう治ったと言って通うのをやめた。


そんなものは嘘に決まっている。治ったかどうかなどわかるわけがない。しかし、これ以上通い続けても問題は解決しないことだけは確かだった。金と薬だけが胃の中へと解けていくこの行為に、どれほどの価値があったのか、私にはわからない。薬を飲んで気分が良くなったか?そんな実感はわかなかった。


そもそも頭痛の原因はシンプルだった。

仕事と新しい上司が嫌だったから。
そして何より、不快な環境に対する拒絶反応を無視し続けてきたこと。

今となっては、その他にも書ききれないほどの原因が思い当たる。問題を解決するには、すべてを捨て、環境を変えるほかなかった。

それでも、ずっと「大丈夫です」と言い続けた。口癖のように。


私の人生から「逃げる」というコマンドが失われたのはいつなのだろう。




クリニックで言われたのは社会不安障害だった。だけど、この診断が正しいとも言い切れない。私はカウンセラーに職場環境のことしか言っていなかった。
私の救いようがないところは、診断を受ける前から、社会不安障害の症状を熟知し、そう言われるであろうことをハナからわかっていたところだ。むしろ、それに当てはまることしか言わないようにしていたかもしれない。他のことは隠した。カウンセラーの前では仕事のストレスから思わず泣いていた気がする。自分のことや気持ちを面と向かって話そうとすると涙が出るのは、ACの特徴にもある。


カウンセラーの前ですらも、どの情報を与えるか、頭で考えて言動をコントロールしていた。他人に話して何の意味があるのかと内心思っていた。信じていなかったが、仕事や現在の環境のことは話せる限り話した。しかし、根本的な原因は明らかにそれ以外のところにあったのだ。そんなことで適切な診断など受けられるはずがない。だけど、当時は当時で必死だったと思う。誰も頼れる人間がいなかった。

これまでの経験のすべてを話すことはできなかった。親は確実に自分の人生に影響していたはずなのに、家庭環境のことも悪い印象になるようなことは言わなかった。

いや、言えなかったのだ。

あの冬の日の記憶のことは、カウンセリングを受けた時点では忘れていたから。

医者にいたってはまともに会話しなかった。カウンセリング内容をみて、薬を出すだけの役割だったんだろう。まあ、深く聞かれてもなんだかんだ交わしていたと思うから、適切な対応だったんじゃないだろうか。

恐らく精神がイカレたのは抗うつ薬の離脱症状もあったのではないかと考えている。すべての記憶がよみがえったのは、薬を飲むのをやめて、2~3カ月後のことだったから。自己判断で薬を飲むのをやめてはいけないし、安易に抗うつ薬を飲むのもいけない。


薬を飲んでも過去は消えない。
薬を飲んでも前に進むことはできない。


元々、自己破壊衝動もあったのが、この離脱症状の時期に表面化した。

他人に見られると面倒だから、自傷は一度たりともしたことはないが。

この頃、どうしようもなく壁を殴りたくなることがあった。元々鈍麻で痛みに鈍いところがあり、どんなに殴っても何も感じなかった。痣になると不審がられるので、そこまで酷いことはしなかったが、冷静な今振り返ると、いくつかそういった兆候はあった。

一人で苦しんでいても、家族は助けてはくれないどころか、私を当てにしてくる。金を要求してくる。私を助けてくれたことも、仕送りしてくれたこともない癖に。私は両親の不仲のために大学も辞めて家も出て自立しようとしていたのに。

私は色々なものを我慢し、親に耐え、社会で必死に生き延びようとしていたのに、彼らは私になんの手助けもしてくれなかった。

母は私にごめんねといいながら、お金を、と言った。障害があり、いい仕事につけるようなタイプではなかったから、家計は苦しかった。余裕のある時は多少送ったけれど、私も自分への投資に使いたかったから、毎回は送れなかった。最初は罪悪感から送っていたが、だんだん正気に戻ってくると、もう送れないとハッキリ断ることができるようになっていった。

未だに親や妹からの連絡はストレスを感じる。縁を切りたいとまではいわないが、家族のことはできれば考えず、どこか遠くへ行きたい、一人になりたいと思ってしまう。


きっと、この家には私がいないほうが良いのだろうと思っていた。

心のどこかで、学生のころからずっとそう思っていた。だから家をでた。あんなクソみたいな土地に、思い入れなんてない。あんなゴミの掃きだめみたいなクズばっかりのなれ合いの土地に、何の思い出もない。あんな煙にまみれた闇の中に、得られるものなど何もない。あんな閉塞感のある場所に戻る価値が見当たらない。たとえ家族がいて、実家があったとしても。

嫌なことがすべて思い出されるパンドラの箱でしかなかった。

感謝もしているが同時に、これ以上彼らに依存も干渉もされたくないと思った。

このような経験から私は、自分を救い自分を変えることができるのは、自分自身だけなのだと完全に理解した。

神がいたとしても、どうせ碌な奴じゃないだろう。
不確実な偶像を信じるくらいなら、私は自分を信じる。


適応障害とPTSDになってから、1カ月程度は死人のようになっていた。

大雪が降った翌日の寒い日に、1時間くらい薄着で外をふらついたこともあった。気づいたら一駅となりの駅まで歩いていた。1時間以上、財布も持たずにフラフラと公園や住宅街、小高い山の中を散歩していたら、突っ切って隣駅に来ていた。当時の心象や写真が残っている。これらもすべて、今後の人生のネタになると思っていたから、すべて日記に記録して取ってあった。

そういうところも含め、私は本当にイかれちまっているのだろう。

仕事をやめた日の雪
雪だるま


誰もいない公園

深夜の公演で滑り台で遊んだり、

長い滑り台

小高い場所にある展望台から町を見下ろしたりした。

展望台


この頃はINFPが乗り移っていた。完全に憑りつかれてた。
ホアキンのジョーカーなんか最高に面白い映画だった。なぜ悪評が立つのか理解できなかったが、世間の人間の評価というものは本当に当てにならない。彼らはただ想像力に欠ける幸せな人間なのだろう。

今思い出すと笑える。


適応障害の方は仕事を辞めて解決した。合わない人間からはすぐ離れるべきであることを学んだ。後から入ってきた性格の合わない女上司の、幸せな家族アピールが、静かに私の地雷を踏み荒らしていった。この人の話を聞かされるのがストレスでしかなかった。お前の話なんて興味ないんだよと思っていた。

子どもについてやたら話したり、仕事の会議中に雑談したり、どうでもいい女たちのどうでもいい井戸端会議を聞かされるのが、心底苦痛だった。


そうは言っても、仕事をしないわけにはいかない。
すぐに立ち直って別の職場で働き始めた。できるだけ人間と直接的にコミュニケーションを取らなくて済む、在宅の仕事で、まるで隠者のように淡々と業務をこなすだけのロボットとして3年間仕事した。自我なんて一切ださなかった。雑談にも参加しなかった。私は仕事を処理するシステムの一部であり、会社にはなんの思い入れもなかった。

でも、上司からは仕事ができる人だと思われていた。そう思わせるのだけは上手い。自分でも笑えるくらいに、権力のある人間に気に入られるのが得意だ。そして影響力のある人間と、頭のいい人間を見抜くのも得意だった。不満は影響力のある人間にだけ言えばいい。そうすれば自分にとっては上司にあたっても、そのもっと上の上司に言われれば改善せざるを得ない。

これが俗にいう根回しという奴なのだろうか。普通に考えて、私がいちいち本人に突っかかるより、言うべき立場の人間が言った方が効果が或ると思ってそうしていただけだが、思い返すと根回しだったかもしれない。
これが私の特技なのだろう。

今ではそこも辞めて別の職場に変えた。



去年、父が亡くなった。



漠然とした恐怖心の根源は、ようやく灰となり昇華していった。
不謹慎なことを言うが、ずっと鎖が首を絞めているように感じていたから、ハッキリ言って心が軽くなった。

いい思い出もあるから泣きはしたし、今でも通じあえずすれ違い続けたお互いの不器用さを想うと、鼻の奥がつんとする。久しぶりに現実の世界で、憎しみと哀しみという感情を感じた。

それでも、あの人も楽になれたのではないかと思うのだ。

父は、私が覚えている限り、私が生まれた時から不摂生だった。煙たい記憶しかなかった。不良だった父は学生のころから煙草をふかしていた不良だったらしい。だからどうせ若くして死ぬだろうと、高校のころくらいから思うようになった。

受動喫煙が不快で死ぬほどストレスだった。
いなくなれとずっと思っていた。

なにより、タバコをやめてくれないことが、私たちへの愛の無さの証明だと思っていた。不機嫌に煙草をふかすこの人を見つづけて、もう死んでしまいたいのではないだろうか、なんて無責任な人間だろう、とずっと思っていた。

だけど、心のどこかでこうも思っていた。
父もまた、苦しんでいたのだろうと。



私は父の死に目に間に合わなかった。

数日前に、その月に帰省する計画を立てていたのに、父がもっと先でいいと言ったから、私はその月に帰る計画を中断した。

その数日後に母から危篤の連絡があり、翌日新幹線で実家に帰った。あの時、無理にでも帰るべきだったのだろうかと思ったが、父がああいったのだから、それ以上何か言う気にもなれなかったのが正直なところだった。



看護婦の方から、父が私に遺した言葉を聞いた時、すべてを赦そうと思った。


「会いたくても会えない人だ」



また、私の中の何かが崩れ落ちる音がした。
あの時とは違う音だった。




こんなドラマみたいな展開が現実にあるのかと、ついその場で笑ってしまった。面白く思いながらも、涙もあふれていた。人前で泣いたのは、本読みで制御が効かずに泣いた時以来だった。今でもこの時の状況を脳内で再生すると泣くことができる。


人の死は、芝居の時には使える場面だ。
鮮明に記憶しておかなければならない。


何度でも再生できるように、構図もしっかりと覚えている。

あの日、あの時、あの場にいた親戚や家族。そして父の遺体と、私に話しかけてきた看護婦の方。葬儀までの流れ。火葬場で骨を拾う場面。

病室で、死んだ父の手を握って、もう本当にこの世にいないのだと実感した。

冷たくゴムのようになった手を握った。

父の手を握ったのは、いつ以来だっただろう。

最後の最後まで、不器用な人だった。



幼いころからひそかに抱き続けてきた私の想いはこうだ。


「ただ、幸せに長生きしてほしかった」



私の想いを知ってか知らずか、父が亡くなった日からちょうど2か月前。
私は誕生日に、父から最期のメッセージを受け取っていた。



「健康でいれば何でもできる」
「いつまでも応援してる」
「遅くなったけど頑張ろうね」




・・・






さて、湿っぽい雰囲気はこれくらいにして。

結局何が言いたかったのかというと、

性格や診断結果が変わるという人が多いが、それは単に読解力のない人間が多いのと、気分で選択肢を変える人間が多いだけのことであって、根の性格が変わっているわけではないということだ。

気分で選択肢を変えれば、当然結果は変わるだろう。

まあ、こんな体験をすれば性格が変わるだろう、ということは世の中に色々とある。だけど、完全に変わってしまうものは早々ない。テセウスの舟だ。無数の細胞が、日々、一つ一つ生まれ変わっていく。人間も、生まれた時から大人になるまでに、日々細胞は創りかえられていくが、その存在が完全に別人になるわけではないように。


そもそも、適切に診断できている人間はごく少数なのは当然だろう。そんなに真剣にやってる変人なんてそうそういない。

ご覧の通り。網羅すれば、誰でも16タイプのどの結果も自在に出すことが可能である。質問をしっかり読んで、演じながら回答すれば簡単な問題だ。

※よいこはまねしないでね。


システム上、誰にでもこんなことはできる。血液検査じゃないんだから、結果が変わるのは当たり前の話。「性格診断なんぞ当てにならん!」と言ってバカにできる人間は、おそらく自己を深く掘り下げるのが怖いんだろうなぁという風に感じる。


何が「結果が変わるから当てにならん」だ。
「お前が自分で選んだんだろ、素直に受け入れろよまずは」と思う。
己の診断の仕方を内省してから言ったらどうなんだ。

ただ、ここまで読んでいただければお察しいただけているかと思うが、私がイカレているのは自他ともに認める事実だろう。ここまでして、精神がイカレてまでも自分に向き合える人間が、この世にどれほど存在するだろうか。今の私がいるのは、私が極限まで自分に向き合った結果だ。

評価されて当然だと思うのも無理はない。


現実に目を背け、何も努力できないただ消費して評論家気取りになるだけで満足な消費者という名の驕った神々が、人類のマジョリティな現実を変えることは不可能だ。他人を変えることはできない。


だが、少なくとも、
自分を変えることはできる。


私はその神々に向かって、自分という人生すべての武器を使って戦う覚悟を決めた。

この覚悟の根源が何から生じているのか。

私はしっかりと自分という人間を理解している。

自分に何ができ、何ができず、そして何をしたいのか。

自分という、聖書よりも分厚い人間の物語を。


キャラの薄いモブどもには一生理解できないだろうが、

私には君たちの気持ちがわかるよ。

自分を知ることは、他人を批判するよりも恐ろしいものだ。


彼を知り己を知れば百戦殆からず


私が好きな言葉だ。
他人を知ることで己自身を知ることができる。そして何よりも、自分自身を正確に捉えることは難しいものだ、ということも現している。そして、戦わずして勝つことが最も強いという意味合いも含まれる。

この言葉の真意は、百戦百勝するということではない。

百戦あればその内のいくつかの重要な局面で確実に勝つ方が大事だ、ということだと私は解釈している。百回も戦う必要はない。

しかるべき時、しかるべき装備で、
しかるべき相手に、しかるべき舞台上で、勝つのだ。

それをセッティングできることが一番強いのだと。

私は映画やドラマを見るのが好きだ。たとえ感情移入ができないキャラクターにも、何等かの共通点や理解できる部分は少なからず存在する。誰にでも必ず一つは共通点がある。
こういうタイプの人間はこういう行動をとりやすいのか、というサンプルの一つにもなる。そして現実世界で人間を観察して、こういう時はこういう振る舞いをする、という芝居の引き出しに入れておく。

結局こういうシンプルな格言にたどり着く。
思えば、小学生の時からこういった偉人の言葉をよく調べたり、本を読んだりしていた。

バイト中に後輩女子から「センパイってなんか難しいコトバよく知ってますよねぇ~、四字熟語とかことわざとか!」と、無垢なキラキラフェイスで言われたことがある。

その子に言われて初めて「こういうのってあんまり他の人は興味ないんだ」と気づいた。こういう時、自分自身を客観視できるから、フィードバックはよく受け止めるようにしている。

こんな風に考えを文章で書くのが昔から好きだったので、バイト仲間と繋がっていたSNSでも時々軽い文章や、思ったこと、疑問に感じたことなどを呟いていたのだけど「難しい……?どれがだ……?そんな難しいこと私言ってるかな」と思った記憶がある。


私と同じENTJぽいキャラや、ENTJぽいと言われている有名人の人や、なにやら頭が良さそうな偉い大人の人も、結構この言葉を言っているのを見かける。まあ、有名な言葉なので、ちょっと自己内省できる人間なら一度は心に留めたことのある言葉だろう。

しかも、この「同類に惹かれる説」に確信を得たのは、とある没入型作品のENTJと思しきキャラのセリフだった。

そのENTJは主人公キャラに対して「俺たちは同類だ」と言うのだ。
同類は惹かれあう。切れない鎖で括り付けられているかのように。

腑に落ちた。

私は自分みたいな人間が嫌いじゃない。

同類」ね。

悪くない。

そのシナリオは、私の人生にぴったりだ。


・・・


他人を批判するのは楽だろう。
昨今のネット人間が事あるごとに他者批判や、あらゆる出来事に関わる人間を中傷して荒ぶっているのも無理はない。恥ずかしくないのだろうかとしか思えないが。

自分はこういうキャラだ、これが正しい、とみて真似ただけの世間の平均を自分だと思い込んでそう演じていたにすぎないのに、これが本当のアイデンティティだと思い込む。
結果が違えば診断や理論の方を批判する。よく調べもしないで。

実際、根本的な部分はそれほど変化しないものだ。
そしてすべての性格はうっすらとした繋がりを持っているのもまた自明だろう。目にも見えないのに、白と黒で区別できれば苦労しない。
あまりにもバカを野ざらしにしている。


本当に性格を変えられるのなら変えてみればいい。
少しでも死ぬ気で演じて見せろよ。
周りを批判する前に。


人の機嫌も取れないような人間に、自分の性格を変えられるとは到底思えないが。


よって、「性格は変わる」というのは誤りで、正しくは、ペルソナや世間体で人工的に塗り立ててきた「自分」という架空のキャラクターから脱して、自己理解と客観視の精度が上がることによって、

自分の「本性」に真正面から向き合うことができるようになる

ということだ。



以上、

私の人生を以て証明した。



  終
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