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【金のテトラポッド登って】 2話 山田さんとアキラと登攀

 ダンダパン、と防波堤に打ち付けられていた波音が止まった。

「やれやれ、波もない登攀日和と言うのに……明日の登攀は中止だな」
 山田さんは触角を左右に振った後、柳のように垂れさせた。

――キャア、キャア、クルルル

「カモメに喰われたら、元も子もない」

「ローチ! そんな……」
 テトラポッドの淵で殻を休めていた雌フナムシが項垂れた。
 十四本の足には、それぞれ緑のペレット片が銀の紐で結われている。

「私、沢山孕んだのに……うっ、うっ」
 その雌フナムシは保育嚢をさすり、複眼から沢山の潮を流した。

「カモメは一羽なの? 一羽ね多分」
 チロが触角をわさわさと動かし、複眼でテトラポッドの隙間から覗く。

 係船柱にカモメが一羽。
 春休みの大学生のような間抜け面を晒し、ジッとしていた。

「山田さん、登攀はいつするんですか? 明日なら、カモメはいなくなってるかも」
 スーが右前足で山田さんの触角を持ち上げた。

「明日の夕方、灯台が灯る頃だよ」
 山田さんは「ただね」と続けた。

「……夜に鳴くと、暫くはいるんだよ。あのカモメは……はぁ」
 山田さんは「キヨラは不運だな」と呟き、複眼を件の雌フナムシに向けた。

「山田さん。一羽なら、ぶっ飛ばせばよくない? ねぇ、スー?」
 チロは尾肢をパシンパシン、とテトラポッドに打ち付けた。僅か乗っていた砂が埃となり、海へ落ちていく。

「俺も、姉ちゃんの言う通りだと思う」
「山田さん、なんで戦わないの?」
 スーは触角を左に傾けた。

「ローチ! ……あんな化け物相手に……聖母が減ってしまう!」
 山田さんは十四本ある足をワサワサと騒めかせた。
 
「スー、背中の見せてあげてよ」
 チロは言うや否や、スーの腹部をぐいぐいと頭部で押した。
「あ、姉ちゃん! もう……」

 彼の背中には――一筋の傷。

「……それは?」
 山田さんは、複眼を細めて問う。

「あははは……これは、東の青灯台でちょっとありましてね」
 スーは右前足でポリポリと頭部を掻いた。

「ハッキリ言いなさいよ! 私たちでカモメをぶっ飛ばしたんでしょ」
「これはその時の名誉勲章よ」
 チロは弟の背中を尾肢をパシパシと自慢げに叩いた。

「……それは頼もしいな」
 山田さんの言葉のあと、群れからは「……登攀……登攀」と聞こえてきた。

「あの、山田さん……私、登攀したいです! お願いします」
 雌フナムシ――キヨラは、項垂れていた頭部を起こし、山田さんに詰め寄っては前足を握った。

「……わかった。そこまで言うなら、彼女達に同行し、守ってもらおうか」
 山田さんは「頼りにしてるよ」と続けた。

「あ、でも、俺たちは危険を犯しますよね? なので」
「交換条件。正当な取引ね!」
 スーの鳴き声を遮り、チロが捲し立てた。

 餌の事、巣のこと。



 刺すような熱い光がテトラポッドの隙間を照らし、波はサザザと大人しい。

 昼はテトラポッドの下。
 フナムシの安息の地。

「あの、改めて……ありがとうございます」

「山田さんも……わかったものだと思いますが、チロ様は登攀者に推薦しておきます」
「本当に……ありがとうございます」
 キヨラは、チロに向かって触角を下げ、歩脚を全て折りたたんだ。
 フナムシの最大感謝。

 彼女が歩脚に着けてあるペレット片が、チャリ…と揺れた。

「いいのよいいのよ。ここは、私たちの故郷でもあるんだから」
 チロは骨のかけらを齧りながら、尾肢を左右にゆっくりと揺らす。

 スーはその様子を見て、触角を少し下げた。
 
「キヨラさん。この巣のことを教えて貰えませんか?」
「昨夜、餌と居場所は融通して貰えましたが……登攀って、そもそも何ですか?」
 スーは銀バッチや潰れた赤いドームを触角で示しながら問いかけた。

「あーそうね……」
 キヨラはスーを見た後、複眼を細め、口から砂を吐いた。

 スーは目を細め、触角をあげた。
 複眼の端でチロはその様子を見ると、尾肢をパシンとテトラポッドへ。

「もしかして、スーのこと舐めてる?」
 チロは鳴き声を荒げた。

「あ、いえ、そんな……」
 キヨラは前足をもじもじ。
 
「喧嘩なら買うわよ?」
「試してみる? 子持ちの身で」
 チロは鳴き声低く、複眼を無礼な雌に突き合わせた。

「ちょっと姉ちゃん、いいよ! ありがとう!」
 スーが二匹の間に割って入ると、キヨラは触角をおろした。

「……ごめんなさい」
 キヨラの謝罪を受け、「分かりゃいいのよ」とチロは尾肢を左右に振るう。

「キヨラさん。改めて、この群れのこと、この巣のことを教えて貰えませんか?」
 スーは触角をピン、と立てた。

「はい、えっとですね……」
 キヨラは前足をもじもじ。

「あ、俺は怒ってません。姉ちゃんと違って、俺は優しいので……あだっ!」
 スーが凪のように鳴くと、隣から尾肢が飛んできた。

 キヨラは口をザワザワさせ、触角を少し立てた。

「ふふふ……登攀は『金のテトラポッド』を登り切り、そこで一日過ごします」
「子持ちの雌のみに許されている……栄誉あることなんです」
 キヨラは口を静かに動かした。

「それは……どうしてですか?」
 スーが問いかける。

「昔からの……聖なるしきたりです」
「それと、登攀を終えるとですね? ……子孫繁栄と極楽浄土が約束されるんです」
 キヨラは触角を振り、保育嚢を左前足で撫でた。

 彼女の複眼の先は、ある一点――少しだけ大きなテトラポッドを示した。

「私は……この日をずっと、ずっと待っていました! ようやく、私の番になったんです!」
 キヨラの触角は千切れんばかり。

「スー、母さんから聞いてた?」
「いや、俺は聞いていないかなぁ……」
 チロは「だよね」と吐いた。

「あのテトラポッドを登るんですか? 全然、金色には見えませんが……」

「あれはね? 陽が落ちる頃に輝くの!」
 キヨラの触角はまだ揺れる。

 チロとスーはお互いに頭部を見合わせた。チロは前足で腹部をさする。

「こんなとこかしらね。じゃ、私たちは寝るから、夕方に会いましょう」

「えぇ、迎えを出しますね」

 赤い陽がテトラポッドの隙間から差し込んでおり、登攀の時間が近づいてきた。

 テトラポッド五つ分下の砂地に、フナムシが十三匹。
 先頭には山田さん、スーとチロ。
 真ん中にはキヨラ。

「さて……聖なる登攀の開始だ」
「私たちは、金の麓まで同行する」
「そこからはキヨラ、お前一人で登るんだ」
 山田さんは複眼をキヨラに向けた。

「はい、山田さん。もちろんです」
 キヨラは前足で腹部をさすり、触角をピンと張った。

「さて、登攀同行の前に質問を聞こうか。なんでもいいぞ?」
 山田さんはチロとスーに目を向けた。

「じゃあ、はい」
 スーが前足を挙げると、山田さんは小さく頷いた。

「『山田さん』は、巣の名前ですよね?」
「何で山田さんが、『山田さん』と名乗るんですか?」
 スーが問いかけると、チロはジィーっと山田さんを見つめた。

「……登攀に関係ないが、何でも聞けと言ったのは私だったな」
 山田さんは「ふむ」と前足で砂を少し擦ってから、口を動かした。

「名前が無いからだ」
「登攀者以外はみんなだ」

「「え?」」
 チロとスーは触角を跳ねさせた。

「……そして、私の仕事は『山田さん』の管理」
「『山田さん』をなるべく雌に与え、群れを大きく……私の使命だ」
「だから自然と、そう呼ばれてきた」
 山田さんは「今はな」と続け、頭部に着いた黒い油を撫でた。

「うーん、ややこしいから改名しましょう!」
 チロは鳴き声を張り上げた。

 フナムシの群れが「知らない」「知らない」と騒つく。

「巣の名前は山田さん。あなたは……あー……スー、名付けて」
 チロは振り向きもせずに、尾肢でスーの背中を叩いた。

「急に言わないでよ……じゃあ、えっーと」
 スーはキョロキョロと複眼を彷徨わせた。

 『山田さん』にキラリと光る銀のバッチ。
 スーは近寄っては触角でなぞる。

「ア・キ・ラ。アキラはどうだい?」
 スーはチロをチラリとみた。

「決まり、今からあなたはアキラよ」
 チロはビシッと前足を向けてきた。

「……ま、いいだろう。名前なんか飾りさ」
 山田さん改め、アキラはふぅと鰓を鳴らした。

「さ、他に質問は……いや、もう時間だ」
「登ろうか」

 アキラは金に輝くテトラポッドに向け、触角を伸ばした。


▼3話(フナムシは進む)

▼1話(フナムシは戻る)


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