【金のテトラポッド登って】 3話 聖歌とカモメ、私は生きている
赤黄金色の夕焼けが海に橋を作り、テトラポッドを照らす。
昼頃、五月蝿かったカモメどもは息を潜め、灯台の梁で羽を休め、目を瞑っていた。
「カモメは灯台ね。あのアホ面は?」
チロは登攀者たちの先頭左側にて、テトラポッドの隙間から複眼を凝らす。
「あのカモメはいないみたいだね……あ、やっぱり飛んでる」
スーは触角をピンと立てた。
フナムシの十三匹の聖なる登攀。
砂地を百八十二の足が掻き分け、灰色のテトラポッドへチロが前脚をかけた。
「金のテトラポッドはまだ見えないの?」
「早く見てみたい」
チロは右の複眼のみ後列へ向け、キヨラに問いかけた。
「ふふふ、まだですよ」
キヨラは前脚を祈るように握り、時折ペレット片を擦り合わせていた。
――カチャ、カチャ、カチャン
同胞たちは「彼女に涅槃を」「彼女に娯楽を」とカサカサと呟き、前脚を擦り合わせている。
「それから、今日登れるのは」とキヨラが言うと「アンタだけでしょ?」とチロが遮った。
「巣のルールは守るわ。餌とテトラポッドがあればね」
チロが鰓を鳴らし、スーは左の触角をパタンと一度折った。
五個目のテトラポッドを登り切った。
複眼が焼けるような赤。
遥かなる――金山。
輝きは泥のような質感を持ち、登攀者達の複眼を惹きつけた。
「わぁ、ほんとに金色なんだ! 母さんの言っていたとおりね!」
チロは尾肢を左右にブンブン振るった。
「……昼まであんなに怒っていたのに」
スーのぼやきを聞いたフナムシ二匹は、小さく鰓を震わせた。
群れの真ん中、キヨラの隣にいたアキラが鰓から砂を吐き、触角をピンと張った。
「……さて諸君。ここからは、キヨラの一匹舞台だ」
チロとスーを除く十一匹が口からペレット片や金属片を取り出し、アキラは背負っていた銀バッチを触角で掲揚し、群れの真ん中へ静かに置いた。
「リギア! 皆、鳴き声を合わせよう」
「他ならぬ、我らが山田さんの為に」
アキラは銀バッチにカツンカツン、とコンクリート片をぶつけ、金属音を立てる。
チロとスーは複眼を見合せ、触角をしなだれさせた。
「清廉なる聖母――キヨラのために」
アキラは触角をピンと張り、前脚を夕焼け空へ掲げ、キヨラを示した。
キヨラは前脚を祈るように擦り合わせた。
続けてチロとスー以外のフナムシは、鰓からは大きく息を吸う。
「「嗚呼、テトラポッド登攀」」
「「頂上先睨んで」」
「「海辺へ子を残そう」」
銀バッチと欠片がチャリチャリと音を立て、フナムシの鳴き声が波を打ち消す山々に残響する。
「チロとスーも歌うんだ。それが山田さんの掟」
左手前のしわがれた鳴き声の雌フナムシが前脚を突き出してきた。
「……掟ね。掟なら、その」
チロの尾肢は萎れている。
「『巣の掟は守れ』……父さんの教えだね。さ、歌おうか」
スーは触角でチロを軽く二回叩いた後、鰓の調子を整えた。
「バカスーに言われなくても……はぁ、嫌な掟ね……あ、ううん」
チロは口から砂を吐き出した。
歌へ二匹が加わると、金のテトラポッドがより一層、灯るように見えた。
◇
浅瀬の聖歌は終わった。
暗青色の聖母が金のテトラポッドを少しずつ登攀している。
チロとスーは隣にある灰のテトラポッドの頂点で見上げていた。
灯台の火が金のテトラポッドを照らす。
「陽が沈むまで……長いわ」
チロは尾肢でテトラポッドを叩いた。
砂利がパラリと落ち、帰っていくフナムシの触角にあたった。
訝しげな複眼、少し持ち上がる触角。
チロが「文句あんの」と睨み返すと、フナムシは隊列に戻った。
スーは小さく鰓を鳴らした後、夕焼けが沈む空を見上げた。
旋回し、徐々に降りてくる――影
「うん、長いね……あ、キヨラさん、登り終わったみたいだね」
気付けば金山を登っていたキヨラは見えなくなっていた。
「……ねーちゃんはさ」
「うん?」
灯台の火が二匹を照らした。
船の導きに照らされる赤褐色。
「登攀者に選ばれたら、やるの?」
スーは複眼を真っ直ぐに向け、姉に問いかけた。
「バカスー。やる訳ないじゃん」
「聖なる登攀? なんで? やる意味は?」
「死後は極楽浄土、何それ?」
「大事なのは、今よ。今」
チロは捲し立てるように鰓を鳴らした。
「それもそうだね。ほぼ同感……ところでさ、きそうだね」
「カモメ」
――クワック
金のテトラポッドの上空、螺旋を描きながら下降してきた。
「このままだと、キヨラの方に行くわ。呼び寄せないといけない。なんかない? あるでしょ?」
チロは周りを見渡した。
「あれなんかいいわね。取ってきなさい、早く!」
「はい姉ちゃん」
チロの示す先、8の字のような銀の金属片。いかにも軽そうだ。
スーはそれを触角で挟み、灯台へ向けてチラチラと動かした。
――クワッカカカ
カモメは、チロとスーが乗っているテトラポッドの上空に移り、下降。
二匹は「んげェ」と『牙』を吐き出し、がっちりと咥え込んだ。
節くれだった黒い突起物。
夕陽に照らされ、先端が赤く光る。
パサ、パサ、と空気を切り裂く羽音。
灯台の火が照らす。
純真なる黒い目。
ブォン、と虫を殺すための黄色い鎌を振り上げた。
「左ッ!」
「わかってる!」
ガッ、と元居た場所に嘴。
足、脚、あし。
二匹は懸命に逃げ惑う。
「姉ちゃん、脚! 脚をッ!」
「決め、なかったら、殺す、からね」
スーを狙った黄色い左足がテトラポッドを踏んだ。
チロはわさわさと駆け寄り、
「死ね!」
黒い牙を突き刺した。
爪の袂に命中。
――ギャ、キャア、ギ、ギ
返しを使って肉を抉る。
チロの牙を抜く為に顔が降りてきた。
「喰らえェえええええ!」
スーは左目に向かって飛び込んだ。
――ギャアアアアアアアアア
牙は目の下の白い羽毛を破り、
鮮血を吹かせた。
右足。
スーの体は吹き飛び、
牙は抜け、砂へ飛んでいく。
「うわあああああッ!」
「バカスー! このッ!」
スーは仰向けにコンクリートへ叩きつけられた。十四本の足が行き場なく蠢く。
チロはカモメの足から牙を抜き、
歩脚に力を溜めると――
バサ、バサ、……と風を切る音。
「……ぶっ飛ばせたわね」
チロは牙をしまった。
カモメは遥か天空。
夕焼けを背景に不吉な文字を描き、去っていく。
「スー、死んだ?」
「……生きてる。あーいてててて」
スーは触角を使って体を起こした。
背中には十字傷。
「また勲章が増えたわね」
「勲章は増えたけど、俺の牙は……」
スーはテトラポッドの下を覗いた。
広がる暗闇、ザザザと砂を削る波音。
「帰りがてら探しましょ。丁度、時間ね」
チロは尾肢の先を夕陽へ向けた。
水平線の彼方に陽が沈む。
「約束は陽が沈むまで……任務完了だね」
スーは触角で背中を確かめると、鰓を鳴らした。
「キヨラさんは子を産んだら、戻ってくるのかな?」
スーは複眼を金のテトラポッドへ向けた。金は徐々に失われ、灰と黄色になっていく。
「どうでもいいわ」
「それより、帰ってご飯よ」
「バカスー、早く歩く!」
チロはそう鳴くと、テトラポッドを降りて行った。
「……」
スーは灰黄色のテトラポッドを一瞥し、下っていく。
次の日。
キヨラの子が山田さんにきた。
キヨラは帰って来なかった。
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