【金のテトラポッド登って】9話 カモメとの約束、粗暴な雌の登攀
夜のテトラポッドの表面はよく湿っており、十四本脚が安堵を覚える。
スーは、カモメと打ち合わせを終えると、右前脚を挙げた。
「…………こんなとこだね」
「それからカモメさん、運んでくれてありがとうね」
「俺、約束は守るから」
複眼を周りに巡らせる――他はいない。
「えぇ、頼みましたよ。では」
カモメはそう言って、シケモクをどこからか取り出して咥えた。
嘴の左側、灯台の残光が塵となる茶褐色の草を照らす。
白く僅かに煤けた翼を広げた、かと思えば下ろした。
「……私はリーベと言います。君は?」
「俺はスー」
「分かりましたよ、えぇ。では」
それだけ聞くと、カモメのリーベは翼を広げて羽ばたき、飛んでいく。
風が触角を揺らし、シケモクのカスが複眼にかかった。
「あっ! ……汚いなぁ、もう!」
スーは触覚と前脚で複眼を擦って、鬱陶しいカスを除去。
よく見えるようになった複眼を凝らす。
フナムシ五千匹分先には、薄ぼんやりと黄色のテトラポッド。
灯台の火がかかると、僅か煌めく。
「金のテトラポッド……遠いな……」
スーは鰓を小さく鳴らすと、テトラポッド下へ飛び降りて行った。
◇
次の日の夕刻。
「はぁ……疲れた」
「もう、カサゴの切り身は見たくないな」
スーから見てフナムシ十匹分先には、潰れた赤い半球。
黄灰色のフナムシーーアキラがその頂上で前脚を擦り合わせ、
赤半球の周りを取り囲むフナムシ達も同じく祈りを捧げていた。
「ただいま戻りましたー」
スーは傍にあったテトラポッドの縁へ飛び乗り、アキラに向かって鳴いた。
「スーか。随分と長旅だったな」
「その間、君の姉は帰って来たぞ……ほれ」
祈るフナムシ達の中央部を見ると、水を通さぬ青い布。その上にはチロ。
チロの腹は膨らんでいた。
「姉ちゃんただいま」
「お腹のはカデットさんの子ども? おめでとう!」
スーは触覚をピンと立てた。
一方のチロの触角はしなだれ、尾肢もしおれている。
「……バカスー」
「ん? 姉ちゃん元気がないけど……何があったの?」
スーは、チロ、アキラと順に複眼を巡らせた。
チロの脚には緑のペレット片。
アキラの触覚は天を突く。
「ローチ! 君は知らなんだが、彼女が聖母となったのだ!」
「あと少しで登攀へ行く、君は護衛だ!」
「え?」
「さぁ、共に聖歌を響かせよう!」
アキラはふごふごと鰓を鳴らした。
スーは、チロへ問いかける。
「姉ちゃん、なんで?」
チロは首を振った。
周りには、針金を持った雌フナムシが四匹。
先端はチロの保育嚢へ向いていた。
「そっか……子持ちだから、か……」
スーは複眼を細めてアキラを睨みつけた。
「おっと、スーよ。そんな目つきはしないでくれ」
「君のその気骨、護衛の時に使ってくれたまえ」
ザリ、と砂利が揺れた。
雌フナムシ達の切先がチロへ。
「……」
スーは口から砂利を吐き出した。
「よろしい、さぁ、君も歌うんだ。心を一つに」
アキラは両手を掲揚した。
フナムシ達は鰓を鳴らし、肺を空気で満たした。
「「嗚呼、テトラポッド登攀」」
「「頂上先睨んで」」
「「海辺へ子を残そう」」
チャリ、チャリ……と擦れるペレット片。
カツン、カツン、と銀バッチに当たる小石。
サ、サザザ……と潮が引く。
◇
潮騒の夕暮れ。
夕日に照らされたテトラポッド、赤と金。
金のテトラポッドは眼前。
先頭はチロ、その後ろにスーとアキラ。
更にその後ろに針金を咥えた雌フナムシ五匹。
「さぁ、ここからは聖なる登攀」
「チロ、君一人の力で登るんだ」
「私が戻ったら……あなたや、山田さんに群がるフナムシは……私の子どもの餌ね」
「ぶっ殺してやる」
チロは尾肢をバシンとテトラポッドに打ち付けた。
振動で微細な砂が落ちる。
「ローチ、それは無理だ」
「登攀せし聖母は天空へ抱かれる……潮騒には降りないのだよ」
「さぁ、登攀を暖かく見守ってやろう……行くんだ」
「行けェ!!」
アキラは触覚でチロの背中を押した。
揺れるチロの脚の緑ペレット片。
「ちっ……!」
チロは脚取り重く、金色の冷たい山を登る。
「リギア! 我々は引き上げるぞ」
「スー、行くんだ」
アキラがそう言うと、針金雌が突いて来た。
スーは複眼で睨むと「何よ」「雄のくせに」とカサカサ。
チロは中程まで登り切った。
「……姉ちゃんを助けるため、俺も登ってもいいか?」
スーは突かれた腹部を触覚で触り、アキラを見据える。
「ならん。早く行け」
「そうなんだ、よくわかったよ」
スーは前方に向き直り、小さく「んげェ」と吐き戻した。
その後、右側にいた雌へと素早く振り向き――横っ腹に顔を擦りつけた。
雌フナムシの腹部には――風穴
「……あ、あぁ……が」
「んな!?」
アキラは複眼を見開いた。
「針金と牙、雌と雄。試してみようか」
「「き、きゃあああああああああ!」」
残る雌四匹はカサカサと方々へ逃げた。
「貴様らァ! こんな時だけは……!」
「さ、アキラさん……俺たちも登攀しようか」
スーは牙を突きつけ、殻の隙間から緑の紐を取り出した。
「雄の登攀は初めてなんだろ? 落ちないように縛ってやるよ」
▼最終話(フナムシは進む……登攀の先には何が?)
▼8話(フナムシは戻る)
