DIE WITH ZEROという浅ましい生き方
DIE WITH ZERO。
読みました。
私も感銘を受けました。
富ではなく、経験(思い出)の総量を最大化せよ。
そして死ぬときには「口座残高ゼロ」に近い状態にしよう。
そのために「いつ・何に・どれくらい」お金と時間を使うかを意識的に設計せよ。
最期の瞬間に後悔しないために・・・。
あぁ、そうだよな。
「経験」だよな。
金を貯めこんで死ぬより、大切な思い出、できるだけ増やしたいよな。
それより大事なものなんてないんだから。
・・・と、途中まで思っていたのですが・・・。
後半から最後のページに向かうにつれて、少し違和感が生じてきました。
それがだんだん膨れ上がってきて、読み終えたあとには、なんだか異様にモヤモヤした気分になっていたのです。
「この違和感の正体、いったいなんだ?」
私は考え込みました。
思い出、大事だよな。
大切な人となら、なおさらだ。
その人たちのために、生きてるうちにお金を使った方がいいというのも納得。
ちゃんと自分以外の人のことも考えている。
だから死ぬまでに金を使い切る。
いい考え方じゃないか。
なのになぜ、こんなにもモヤモヤするのか・・・。
そして、パラパラともう一度ページをめくってみる。
著者が挙げる、思い出づくりのリストを見てみる。
・ヒマラヤをハイキングする
・家を建てる
・ミシュランの星つきレストランで食事をする
・サンダンス映画祭に参加する
・50回スキーをする
・「国境なき医師団」のボランティアをする
・オペラを鑑賞する
・アラスカにクルーズ旅行する
・子供たちとディズニーランドに3回行く
などなど・・・。
そしてふと気づいたのです。
今さらながら、この本を貫通している確固たる視点に。
それは「私がやりたいこと」という視点。
こんなにも富があり地位もある人が、ひたすら「私がやりたいこと」の話に終始している。
行きたいところにいき、食べたいもの食べ、したいことをする。
人のためになにかしてあげるのも「私がやりたいこと」をやる。
そこには「人生が自分に何を求めているのか?」という視点がスッポリ抜け落ちている。
自分のこの命が、今まさになにを「成すべき」なのかという発想が微塵も見当たらない。
みずからの生が、自分にどんな責任を果たすことを求めているのか問う気配すらない。
つまり・・・、
人生は「私がやりたいこと」を実現するステージであるという視点に疑いなく固定されている。
私がやりたいこと
私がやりたいこと
私がやりたいこと
私がやりたいこと・・・
その視点から脱け出そうとする素振りすらも見せない。
そして「私がやりたいこと」をやり切り、そのために金を使い切る。
自分が死ぬときに後悔しないために。
なんて浅ましい「命の使い方」だろう・・・。
そう感じたのです。
それは、私自身の真の姿を鏡で突きつけられたような気分。
ふだんえらそうなことを言っておきながら、結局自分の「やりたいこと」を基準に生きている自分自身を空から見下ろしたような気分。
前半で共感していた私は、まさに自分の中に広く巣食うその「浅ましさ」を肯定されてよろこんでいたのだ・・・。
そして生きづらい私にとって、このままではマズいのだ、と感じました。
もちろん、DIE WITH ZEROな生き方で、死ぬときに後悔しないと本気で思えるなら、それでかまわないと思います。
そしてじっさいに、そういう人も多いでしょう。
ただ・・・、
もしあなたが私と同じ、生きづらい人なのだとしたら。
伝えねばなりません、生きづらさ専門カウンセラーとして。
生きづらい人が死ぬとき後悔するかどうかに、「やりたいことをやり切ったか」は関係がないということを。
私は仕事柄、生きづらい方が余命宣告を受けたさいに、ご相談をいただくことがあります。
沈痛な面持ちで、ゆっくりと、ときに感情をこらえきれずに語りながら、一点を見つめてご自身の人生を振り返っていく。
そういった方が「やりたいことをやり切ったか」を気にしているのを見たことがありません。
つまり、どこに行った、あれを食べたなどという「満足」ばかりを気にしている人は、一人もいない。
それよりも、ご自身の「命の使い方」を気にされているのです。
自分なりに懸命に生きてきた。
なにひとつ「満足」できる結果は出せなかったけど、これが自分の人生だったのだと受け容れて死んでいきたい。
自分なりに精一杯生きたのだと「納得」して死んでいきたい。
そう。
「やりたいことをやり切ったか」などという「満足」を求めている方はいませんでした。
それよりも求めているのは「納得」なのです。
このあまりにも苦しかった人生に「やりたいことをやり切ったか」なんて求める余裕なんてない。
あるのは、そのあまりに苦しい人生を、最後の最後で受け容れられるかどうか。
人生から求められた過酷な運命を自分なりに闘い抜き、命を投げ出さずに本気で生き抜いたと、自分を認めてあげられるかどうかなのです。
生きづらい私たちが、自分の残りの命と向き合うとき。
そこで後悔から救ってくれるのは、「やりたいことをやり切ったか」という結果よりも、「命の使い方」というプロセス。
「満足」ではなく「納得」なのだと、私は信じています。
生きづらさ専門カウンセラー
脱世間起業塾Adic塾長
しのぶかつのり
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